知ったかぶりにも、ほどがある〈その2〉/芥川賞2013新春(3) | アディクトリポート

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タイトルはこの記事と共通なれど、実質的にはこれの続き。

もはやだいぶ前になるが、「王様のブランチ」で、
芥川賞を受賞直後の黒田夏子が出演し、インタビューに答えていた。
彼女曰く、
*ストーリーやキャラクターは、さして重視していない。
という旨のことを言っていた。

一見、もっともらしく聞こえるが、どっこいこれが、大変な思い違いなんである。

「キャラクターもストーリーもきちんと決めずに書く」ということは、読者に物語を伝える作業を放棄している事を意味するが、これは小説としては誤った判断である。

これまたよくある誤解に、
「小説や文学は、他のメディアでは成立しえない独自世界を追究すべきで、テレビや映画のドラマに転用が効くような作品は程度が低く、文字でしか表現できない世界を追求することこそが高尚で芸術性が高い」
というのがある。

シェイクスピアは、作家としての才能だけでなく、自作の売り込みにも長けていて、
「自分の作品は、舞台で上演するのに最適だ」と、当時の劇場主たちに熱烈に売り込んだらしい。

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したがって、彼の著作の主題が、歴史物や当世ものに限られているのは、当時の舞台演目に構想が限定されていたためでもある。

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もしもシェイクスピアが現代に生まれ、どんな荒唐無稽な絵面でもCGで再現可能な、映画と言うメディアの現状と可能性を把握していたら、想像力が存分に刺激されて、映画の原作として立派に機能する小説を書いたことだろう。

というわけで、どの時代に生まれようとも、すぐれた作家は、自作を文字の世界だけにとどめようとはせず、他メディアへの成長や発展を考慮に入れるはずである。

そこから逆算すると、映画やドラマが成立する要件を満たさない小説(=文字世界のみに引きこもる物語)は、不良品、欠陥品ということになる。

私が映画作家を志した当初、模索の中にあった2002年頃、
相談を持ちかけた作家、デビッド(デイヴィッド)・ウエスト・レイノルズに、

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「まずは何をおいてもストーリーが肝心、その次がキャラクター」
といわれた。

実を言うと、言われた当初は「そうなのか」と懐疑的だったが、
作品を何本か書くうちに、なるほど、彼の言うとおりだとわかってきた。

さいとう・たかを氏は、「マンガはキャラ主導でストーリーはその次」と定義し、

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たしかに現状はそのとおりだけど、だからマンガがそのまま、まともな映画に昇格できない所以だとも感じる。

ひるがえって、冒頭の黒田氏の言葉。

「ストーリーやキャラクターは、正直どうでもいい」

$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-hakai

…。

何もわかっちゃおらんじゃないか!
知ったかぶりにも、ほどがある。

この件の分析は、ネチネチとしつこく、まだ続く。