劇場版「ウルトラ」の歴史・シリーズ成立(8)/遅れウル伝〈その14〉 | アディクトリポート

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前回は、セブンの独自路線復活までに、26年かかった理由を探ったが、
今回はその原因を、別の観点から洗い出してみたい。

端的に言えば、セブンの独自路線継続を阻んだのは、
製作各社の「守りの姿勢」であり、その各社とは、一つには映画会社のことである。

こんなことは言わずもがなだが、
当初、テレビ番組のウルトラシリーズは、東宝の特撮怪獣映画と密接な関連があった。

円谷プロの創始者である、円谷英二の原点が東宝特撮映画にあり、
↓『ゴジラ』(1954)のセットで、本多猪四郎(左)と円谷英二(右)。
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-wawa
「ウルトラマン」(1966)のセットで。


そこから発展、独立した形での円谷プロだったから、
怪獣やプロップも使い回し、

↓『妖星ゴラス』(1982)の南極怪獣マグマは、
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-とどら
↑ヒゲを付け足されて、「Q」の四次元怪獣トドラに流用された。
↓やはり『ゴラス』のVTOL機(ビートル機)は、ブリキのたたき出しで作られ、
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-びとる
↑科学特捜隊のジェットビートルも同じ木型から制作された。
(ミニチュア自体は別物)


スタッフやキャストも、ほぼ共通。
『ゴジラ』の端役で出演以来、東宝特撮映画の常連だった
↓佐原健二・「ゴジラ対キングコング」(1961・左)は、「Q」の万条目淳役(右)に順当におさまった。
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-yonnwaku
↑桜井浩子は1961年、中学卒業と同時に東宝へ入社し、東宝ニュー・タレント1期生となるが、出演は脇役ばかりだった。『夢で逢いましょ』(1962・左)
しかし「Q」の江戸川由利子役(右)で注目を浴びる。


撮影環境も共存していた。
↓東宝撮影所(赤枠内:敷地区分は現在のもの/一部推定)と
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-ちず
↑円谷プロ(オレンジのバルーンで示した部分:旧所在地・東京都世田谷区砧7-4-12)は、文字通りご近所様だった。



↑1966年当時の、円谷プロの木造社屋や、円谷家の様子が見られます。

だから最初の劇場用「長篇怪獣映画ウルトラマン」も、
当然の成り行きで、東宝で公開された。
↓(上)劇場公開用ポスター
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-げきじょう
(中・下)チラシ2種

1967年7月22日公開。同時上映は『キングコングの逆襲』

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ところがなぜか、ウルトラセブンの劇場版は、東映から公開された。
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-とうえい

第18話「空間X脱出」のブローアップ版が、1968年7月21日公開の東映まんがパレードで上映された(同時上映:『太陽の王子 ホルスの大冒険』『魔法使いサリー 小さな魔法使い』『ゲゲゲの鬼太郎』)。

2012年7月21日発売のDVD『復刻!東映まんがまつり 1968年夏』にはTV版マスターを流用の上、収録されている。
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ウルトラシリーズのDVDが、東映ビデオから発売できたのは、近年「ミラーマン」や「マイティジャック」等の円谷タイトルの発売元が、東映ビデオに変更されたことも関係している。

なぜ東宝ではなく、東映だったのか?
憶測すると、
*円谷プロとしては、「セブン」は「マン」とは別物、別扱いだから、劇場版が東宝でなくてもかまわない。
*東映としては、自社の「キャプテンウルトラ」には円谷作品ほどの力がないことを思い知った後でもあり、自社のまんがまつり(当時は「まんがパレード」)をもり立てる実写作品として、どうしても「セブン」が欲しかった。
*東宝のチャンピオンまつりは翌1969年からで、この時期セブンの出番があるのは、東映しかありえなかった。
等々。

この憶測を裏付けるように、
1971~72年の「帰ってきたウルトラマン」と、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-mann
(上)「帰ってきたウルトラマン」1971年7月24日公開
(中)「帰ってきたウルトラマン 竜巻怪獣の恐怖」1971年12月12日公開
(下)「帰ってきたウルトラマン 次郎くん怪獣に乗る」1972年3月12日公開

1973~74年の「ウルトラマンタロウ」は、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-たろう
(上)「ウルトラマンタロウ」1973年8月1日公開
(下左)「ウルトラマンタロウ 燃えろ! ウルトラ6兄弟」1973年12月20日公開
(下右)「ウルトラマンタロウ 血を吸う花は少女の精」1974年3月21日公開

共に東宝チャンピオンまつりの枠内で公開された。

では、「ウルトラマンエース」が、東宝チャンピオンまつり枠から、ごっそり抜けているのはなぜか?

端的に言えば、出番がなかった。

1972年夏期
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-みら
1972年7月22日公開。
ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘(短縮再編集版リバイバル)
赤胴鈴之助
ミラーマン 生きかえった恐竜アロザ
樫の木モック ぼくはなかない
天才バカボン 別れはつらいものなのだ

※映画館でかけるテレビ怪獣特撮は、「ミラーマン」1本で間に合っていた。

1972年冬期
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-でれ
1972年12月17日公開。
ゴジラ電撃大作戦(『怪獣総進撃』の短縮再編集版リバイバル作品)
怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス
パンダ・コパンダ

※円谷プロは、わざわざ劇場用作品「ダイゴロウ対ゴリアス」を製作した。

1973年春期
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-びっぐ
1973年3月17日公開。
ゴジラ対メガロ(新作)
飛び出せ!青春
パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻
ジャングル黒べえ

※すでに「ウルトラマンエース」は番組終了期で、興行力に貢献しなかった。

とにかくこの、“映画「ウルトラマン」は東宝から”という流れは、
「タロウ」の1974年3月21日公開までは常識だった。

それが変わったのは、5年後の1979年3月17日に公開された、
『実相寺昭雄監督作品ウルトラマン』
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-、あ
からで、この作品が松竹富士の配給だったことから、以後のウルトラ映画作品は、3本を除いて、今日まで全て松竹配給となっている。

その例外の3本とは、

『ウルトラマンUSA』
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-usa

配給は東宝。「ウルトラマン大会(フェスティバル)」と題して、1989年4月28日に劇場公開された。同時上映『ウルトラマン 恐怖のルート87』『ウルトラマンA 大蟻超獣対ウルトラ兄弟』。

『ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY』
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-ode

配給は、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント。ただし公開は、全国松竹系で2000年3月11日。

大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-zero

ワーナー・ブラザース映画の配給で、2009年12月12日に公開。

で、長々となんで映画の配給会社について語ったかというと、『実相寺ウルトラマン』からは、源流を同じくして、切っても切れない関係のはずだった東宝怪獣とウルトラ怪獣を、はっきり区別、分断する商売上の理由が生じた、ということが言いたかったわけ。

これまで一緒くただったものを区別するのに精一杯で、まさか同じウルトラ怪獣を、「セブン」だけは別物ですと、さらに細分化して区別する気配りなど、とても持てなかったのではないだろうか。

だいぶ長くなったので、つづく。