今回はその原因を、別の観点から洗い出してみたい。
端的に言えば、セブンの独自路線継続を阻んだのは、
製作各社の「守りの姿勢」であり、その各社とは、一つには映画会社のことである。
こんなことは言わずもがなだが、
当初、テレビ番組のウルトラシリーズは、東宝の特撮怪獣映画と密接な関連があった。
円谷プロの創始者である、円谷英二の原点が東宝特撮映画にあり、
↓『ゴジラ』(1954)のセットで、本多猪四郎(左)と円谷英二(右)。
「ウルトラマン」(1966)のセットで。
そこから発展、独立した形での円谷プロだったから、
怪獣やプロップも使い回し、
↓『妖星ゴラス』(1982)の南極怪獣マグマは、
↑ヒゲを付け足されて、「Q」の四次元怪獣トドラに流用された。
↓やはり『ゴラス』のVTOL機(ビートル機)は、ブリキのたたき出しで作られ、
↑科学特捜隊のジェットビートルも同じ木型から制作された。
(ミニチュア自体は別物)
スタッフやキャストも、ほぼ共通。
『ゴジラ』の端役で出演以来、東宝特撮映画の常連だった
↓佐原健二・「ゴジラ対キングコング」(1961・左)は、「Q」の万条目淳役(右)に順当におさまった。
↑桜井浩子は1961年、中学卒業と同時に東宝へ入社し、東宝ニュー・タレント1期生となるが、出演は脇役ばかりだった。『夢で逢いましょ』(1962・左)
しかし「Q」の江戸川由利子役(右)で注目を浴びる。
撮影環境も共存していた。
↓東宝撮影所(赤枠内:敷地区分は現在のもの/一部推定)と
↑円谷プロ(オレンジのバルーンで示した部分:旧所在地・東京都世田谷区砧7-4-12)は、文字通りご近所様だった。
↑1966年当時の、円谷プロの木造社屋や、円谷家の様子が見られます。
だから最初の劇場用「長篇怪獣映画ウルトラマン」も、
当然の成り行きで、東宝で公開された。
↓(上)劇場公開用ポスター
(中・下)チラシ2種
1967年7月22日公開。同時上映は『キングコングの逆襲』
最強のウルトラマン・ムービーシリーズ Vol.1 長篇怪獣映画 ウルトラマン [DVD]
posted with amazlet at 13.01.08
エイベックス・トラックス (2006-09-13)
売り上げランキング: 142,970
売り上げランキング: 142,970
ところがなぜか、ウルトラセブンの劇場版は、東映から公開された。
第18話「空間X脱出」のブローアップ版が、1968年7月21日公開の東映まんがパレードで上映された(同時上映:『太陽の王子 ホルスの大冒険』『魔法使いサリー 小さな魔法使い』『ゲゲゲの鬼太郎』)。
2012年7月21日発売のDVD『復刻!東映まんがまつり 1968年夏』にはTV版マスターを流用の上、収録されている。
復刻! 東映まんがまつり 1968年夏【DVD】
posted with amazlet at 13.01.08
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D) (2012-07-21)
売り上げランキング: 4,624
売り上げランキング: 4,624
ウルトラシリーズのDVDが、東映ビデオから発売できたのは、近年「ミラーマン」や「マイティジャック」等の円谷タイトルの発売元が、東映ビデオに変更されたことも関係している。
なぜ東宝ではなく、東映だったのか?
憶測すると、
*円谷プロとしては、「セブン」は「マン」とは別物、別扱いだから、劇場版が東宝でなくてもかまわない。
*東映としては、自社の「キャプテンウルトラ」には円谷作品ほどの力がないことを思い知った後でもあり、自社のまんがまつり(当時は「まんがパレード」)をもり立てる実写作品として、どうしても「セブン」が欲しかった。
*東宝のチャンピオンまつりは翌1969年からで、この時期セブンの出番があるのは、東映しかありえなかった。
等々。
この憶測を裏付けるように、
1971~72年の「帰ってきたウルトラマン」と、
(上)「帰ってきたウルトラマン」1971年7月24日公開
(中)「帰ってきたウルトラマン 竜巻怪獣の恐怖」1971年12月12日公開
(下)「帰ってきたウルトラマン 次郎くん怪獣に乗る」1972年3月12日公開
1973~74年の「ウルトラマンタロウ」は、
(上)「ウルトラマンタロウ」1973年8月1日公開
(下左)「ウルトラマンタロウ 燃えろ! ウルトラ6兄弟」1973年12月20日公開
(下右)「ウルトラマンタロウ 血を吸う花は少女の精」1974年3月21日公開
共に東宝チャンピオンまつりの枠内で公開された。
では、「ウルトラマンエース」が、東宝チャンピオンまつり枠から、ごっそり抜けているのはなぜか?
端的に言えば、出番がなかった。
1972年夏期
1972年7月22日公開。
ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘(短縮再編集版リバイバル)
赤胴鈴之助
ミラーマン 生きかえった恐竜アロザ
樫の木モック ぼくはなかない
天才バカボン 別れはつらいものなのだ
※映画館でかけるテレビ怪獣特撮は、「ミラーマン」1本で間に合っていた。
1972年冬期
1972年12月17日公開。
ゴジラ電撃大作戦(『怪獣総進撃』の短縮再編集版リバイバル作品)
怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス
パンダ・コパンダ
※円谷プロは、わざわざ劇場用作品「ダイゴロウ対ゴリアス」を製作した。
1973年春期
1973年3月17日公開。
ゴジラ対メガロ(新作)
飛び出せ!青春
パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻
ジャングル黒べえ
※すでに「ウルトラマンエース」は番組終了期で、興行力に貢献しなかった。
とにかくこの、“映画「ウルトラマン」は東宝から”という流れは、
「タロウ」の1974年3月21日公開までは常識だった。
それが変わったのは、5年後の1979年3月17日に公開された、
『実相寺昭雄監督作品ウルトラマン』
からで、この作品が松竹富士の配給だったことから、以後のウルトラ映画作品は、3本を除いて、今日まで全て松竹配給となっている。
その例外の3本とは、
『ウルトラマンUSA』
配給は東宝。「ウルトラマン大会(フェスティバル)」と題して、1989年4月28日に劇場公開された。同時上映『ウルトラマン 恐怖のルート87』『ウルトラマンA 大蟻超獣対ウルトラ兄弟』。
『ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY』
配給は、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント。ただし公開は、全国松竹系で2000年3月11日。
『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』
ワーナー・ブラザース映画の配給で、2009年12月12日に公開。
で、長々となんで映画の配給会社について語ったかというと、『実相寺ウルトラマン』からは、源流を同じくして、切っても切れない関係のはずだった東宝怪獣とウルトラ怪獣を、はっきり区別、分断する商売上の理由が生じた、ということが言いたかったわけ。
これまで一緒くただったものを区別するのに精一杯で、まさか同じウルトラ怪獣を、「セブン」だけは別物ですと、さらに細分化して区別する気配りなど、とても持てなかったのではないだろうか。
だいぶ長くなったので、つづく。