エバQ音頭(ヱヴァQ賛歌)〈その1〉 | アディクトリポート

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「わけわからん」
「つまらん」
「退屈で苦痛」
「庵野がまたやらかした」
等々、非難囂々で絶賛上映中?の
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q

ですが、反対に賛否の「賛」の意見には、
まともじゃなくて狂ってるけど、それこそヱヴァ
視聴者や観客を突き放してるけど、だからヱヴァ
みたいに、ホントは褒めてなかったりとか、
ピアノの楽譜と鍵盤が音と一致していた、知る限り初のアニメ
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-ぴあの
という、「評価ポイントがそこ(だけ)かよっ!」
さえある。

観客の反応はホンモノだから、作り手としてそれに無関心ではいけない(=本来なら、「わけわからん」「つまらん」と思わせるべきではない)し、
私が本作を気に入ったからと言って、自分もこういう作品を目指しているわけでは全くないが、
かといって、皮肉を込めて本作を「良かった」と言ったわけではなく、ホントにそう思ったので、今回はそこらへんを書いておきたい。

名付けて、ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q賛歌、
略して「エバQ音頭」


ちなみに、「1回じゃ把握できないので何度も見た
と言う人も多いが、それは相手の思うつぼで、一度見てもわからないことは、何度見たってわからない(可能性が高い)ので、これを何度も見るくらいなら、他の映画を1本でも多く見た方がいいと考えている私は、1回きりしか見ていない。

※以下、一応広義でネタバレです。

好評価の第一点は、
*話を先に進めたこと
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-mura

私は『序』(2007)がヱヴァ初体験で、
その後が『破』(2009)
せっかく遅咲きだったことを生かして、テレビシリーズ(1995年10月4日~1996年3月27日)や、 『シト新生』(1997年3月15日公開)『Air/まごころを、君に』(1997年7月19日公開)を改めて鑑賞するようなことはしなかった。

どちらも未完で終わり、ついてきたファンが裏切られて終わったことくらいは情報として入って来てもいたので、わざわざガッカリするために、それらにあたることもないと感じて。

で、『破』を見た時に、ぜーレとネルフ、使徒とヱヴァの関係に自分なりの推論が出来上がったので、たとえそれが本筋に据えられないにせよ、あと1本じゃ絶対語り切れっこないと思った。

そしたら通の人から、『破』の頃に、「3作目の『急(Q)』は、前後2部作になるらしいですよ」と教えてもらい、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-ganntai
「そりゃそうだよな」と納得していた。

なので、今回の「裏切られたぜ」感想の第一波(だが、もはや大半の人が忘れ去っている)、
「終わりじゃなくて、まだ続くのかよっ!」
は、自分の中にはみじんもなかった。

というより、この『Q』1本で、あわてて店じまいするように終わられる方が、怒り狂っていたと思う。

前作の『破』までは、多少の改変はあるにせよ、オリジナルと基本的には同じ話のリメイクだった。

そのぶんヱヴァ中毒者は、「知ってる話の再確認作業」という、それこそ『宇宙戦艦ヤマト』の劇場版(1977)から連綿と連なる、テレビ発の人気アニメタイトルの劇場版の典型(かつ、日本のアニメ映画に独特のねじれ現象=およそまともな劇場用映画の体をなしていない)に浸ることで安心できた。

ところが、今回の『Q』は、これまで誰も知らなかった、新しい話が紡がれる。
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-kawo

このことこそ、新作劇場版に期待されて然るべきなのに、
ヱヴァに関しては長年にわたって幾たびもそれが裏切られ続けた結果、
待望のはずだったそれがいざ現実のものになると、観客はむしろ不安になり、「こんなの、オレの知ってるヱヴァと違う!」「これまで聴いたことのない話を、いきなり見せつけられても理解不能」と、心理的抵抗や反発が噴出したのが面白い。

もしかしてヱヴァヲタって、つくづくヱヴァしか見てないんじゃないの?

普通に一般的な劇映画を見慣れてれば、これぐらいの飛び飛び展開でも、興味を失ったり、途中で鑑賞を放棄することはないと思われ。

いわゆる「リテラシー」(そのメディアにあたる基本姿勢)ってやつですよ。

そんなこんなで、私は『Q』で、(どうやら)ようやく、『ヱヴァ』という作品が、初めての新展開に踏み出したことにこそ面白さを感じて、最後までその興味が削がれなかったのであった。

というわけで、この続きはまた今度。

作家集団Addictoe オフィシャルブログ-heta