『もしドラ』からの〜〈その3〉 | アディクトリポート

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これの続き

そもそもなんで、しつこく3回もこの件を取り上げているかというと、
町山氏が
「それだけはやっちゃアカン」
とか
「いくらなんでもそれはやらんだろ」
という不文律を、いくつも破っているからである。

〈ルール違反一つ目〉
自己正当化のために、論のすり替えをしてはならない


これは前回ふれた、「どうせロクでもない映画に決まってる」と言う勝手な決めつけが証明できなくなった挙げ句、「別の映画とやり方が違うのが、この映画のダメなところ」と、まるで別の話にすり替えていることを指している。

1回これをやっちゃうと、「こいつはそういうことをやっちゃうんだ」と、信用されなくなりますよ。

町山氏は、「商業映画でいちばん大事なのは観客へのサービスですよ」と語っているが、映画『もしドラ』に、

サービス精神はなかっただろうか?

ひるがえって、この、『もしドラ』についての町山氏のポッドキャストは、リスナーへのサービス精神にあふれてるのか?

私にはそうは思えませんよ。

自分へのサービス精神しか感じられませんね。

『もしドラ』の田中誠監督はじめ、宣伝関係者一同も、氏が作品を観るまでは礼を尽くしてましたが、感想発表後は黙殺ですよね。

こんな感想聞かされたんじゃ、当然だと思いますよ。

フタを開けたら、まともに相手にしちゃいけない(=関わり合いになってはいけない)人だったのが判明したんですからね。

〈ルール違反二つ目〉
意見の対立は、相手の立場や主張の理解なしには解決しない


この人に決定的に欠けているのはこれである。
何かしらに異を唱えた時点で、相手を責めるに足る確固たる材料をつかんでいる(と自分で信じ込んでいる)のだから、後日それで責められた人と揉めることになって、問題解決のために話し合いや意見交換の場が設けられても、自説を曲げたり撤回するのは負けだと考えているようで、主張は平行線をたどるだけである。

以前『ハート・ロッカー』(2008)で、ライムスター宇多丸氏と対談の場が設けられたが、

ザ・シネマハスラー『ハートロッカー』の件で、町山智浩アメリカから緊急電話出演!
PART 1
PART 2
PART 3


これを聞いて、
「なるほど! 町山さんの言うとおりだ」
と思う人が、どれほどいるだろうか?

私はアレを思い出しましたよ。
「未来少年コナン」(1978)で、
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コナンがジムシーと初対面した時、互いに自分の優位を言い張って、

07:00あたりから。
「オレはこんなに大きな獲物をしとめた」
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-jimu
という、根拠のないウソ自慢が
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-kona1
際限なくなるシーン。
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-kona2

ようするに子供のケンカレベルで、どうせ自分の最初の主張を曲げる気なんて毛頭ないんだから、対話の相手がいないに等しいんで、もはや話し合いに意味なんかないんである。

最近のどっかの国に、似てませんかね

批判されたり、標的にされた相手はいい迷惑、当たり屋だとか、通り魔殺人の被害者みたいなもんですよ。

町山氏は、歳を取っても失うべきではない、みずみずしい子供の感性(少年の魂)はとっくに捨て去った一方で、その年齢の成熟した成人なら、社会的常識として当然備えているべき「大人の姿勢」もさっぱり身についていないという、タチの悪い「大人こども」に思えて仕方がない。

まだルール違反は他にもあるが、1回のブログで全部書くのはもったいないので、また続く。