『もしドラ』からの〜〈その2〉 | アディクトリポート

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これの続き。

この件を私なりに分析すると、

町山氏は(『20世紀少年』の氏のラジオ評からも明らかなように)いわゆる秋元康商法が大キライで、
80年代のおニャン子クラブも
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-おにゃんこ
バブルなだけで真の文化的成功とは認めておらず、
それなのに、それが成功という前提の下に、
AKB48商法が、さらにあこぎな形で現代に亡霊のように復活し、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-eikei
またしても成功していることを苦々しく考えており、
そのメンバーが主演する映画だって、どうせロクなもんじゃないし、
原作の「自己啓発本(と、後のツイートで定義)」も同様にいかがわしいに決まってると
Twitterで吠えたところ、
思いがけずその映画の監督本人に見つかってしまい、
平謝りになってしまった。

ここで氏は、声なき声に、さいなまれる。
「なんだ、エラソーに言ってても、当事者に見つかった途端に、へーコラ平謝りかよ!」

誰かが実際に言ったとかじゃないですよ。
「自らの内なる声」ってやつです。

ここで大事なのは、
町山氏はこの時点で既に、
映画を観てから評価しないとダメ(なのは確か)だけど、
(「映画を見てから評価すべきでした」)
自分の見込みをくつがえす気がなかった
ことと、
『もしドラ』関係者はそうは思わず、
作品を観てくれれば、(Twitterを見る限り、誤解と偏見に充ち満ちている、町山氏の)先入観が好転し、
あの(辛口・毒舌で有名な映画評論家の)町山氏の高評価を勝ち取って、映画の宣伝に利用できると考えたこと。

だから『もしドラ』関係者一同は、町山氏が鑑賞する当日は、
「全員でお待ち申し上げます」
(「\(^o^)/町山さんが来るから関係者は金曜日のピカデリー集合ね。東宝宣伝部が全員かな」=吉田プロデューサー)
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-taiguu
と最敬礼だったが、
町山氏の方は、利権がらみで群れ集うのを最も忌み嫌うので、
「懐柔されてなるものか=その手には乗らねえよ」
と、鑑賞後たちまちの評価をあえて保留し、
自分の安全地帯のアメリカに戻ってから、
ポッドキャストで
「見たけど、やっぱりダメ映画だった」
と、持論を変えようとしなかった。

だけど、その論旨はけっこう支離滅裂で、
フツーに見れば、フツーに解消されるはずの先入観や偏見は、そのままだった。

『もしドラ』はアイドル映画じゃないのに、
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-tana
そう強引に定義し、
ドラッカーの「マネジメント」はビジネス書/指南本であり、
マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則
ピーター・F・ドラッカー
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原作本の「もしドラ」は立派な物語小説なのに、


なぜかどちらも「自己啓発本」と、これまた強引に決めつける姿勢を崩さない。

ところがこのポッドキャスト、
実は町山氏の持論の裏打ちだとか、見込みの正しさの証明としては、完全に失敗している。

なぜなら、
最初に根拠希薄に言い放った、
もしもドラッガーが云々って、半年後には確実にゴミになって1年後には誰も忘れてる映画
を実証する証拠を一つもあげられず、攻めあぐねた苦し紛れに『がんばれ!ベアーズ』と比較するという、的外れで意味不明なことへの論のすり替えをやってしまっているからだ。

政治評論家に講演を頼むと、
打ち合わせで主催者はこう問われるという。
「で、どっちの(陣営の)味方で話せばいいの?」

つまり映画評論家は、やろうと思えば、良い映画もけなせるし、駄作でも持ち上げられる。
テクと知識を駆使してこれをやったため、このポッドキャストを聴いて、
「町山さんの映画愛が伝わって来ました」
云々と賛同するバカ意見もあり、
町山氏はこの賛同に応えて、
「愛を込めましたから」
と返していたが、私には、ここでの「愛」を「映画愛」とは、とうてい受け取れない。

だって『もしドラ』は、劇場公開1年後にテレビで見たって面白くて感動する、本当に良い映画だったんだから!
語るべき具体的な中身があって、それを伝えきることに全力を注いでいるから、水増しや余計な要素がほとんどなく、見ているものを飽きさせない。

町山氏は、かの『アバター』(2009)だって
オレたちがやる! 作家集団Addictoeデビュープロジェクト-aba2
「戦争映画なのに、具体的な戦術、戦略が描かれていない(ところがダメ)」
と指摘していたが、
『もしドラ』には、野球の試合の具体的な戦術がしっかり描かれている。
その意味では、同じ町山基準に照らし合わせたら、『アバター』よりも優れた要素さえ持ち合わせている『もしドラ』なのに、なぜそのことをきちんと評価しないのか?

TBS製作で野球が題材の映画なら、思い出しただけで脱力感に襲われ、怒りがたぎる映画『ROOKIES -卒業-』(2009)とか
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-りょうた
【出演】佐藤隆太 ほか 【配給】東宝

『木更津キャッツアイ ワールドシリーズ』(2006)とか、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-きゃっつ
【出演】佐藤隆太 ほか 【配給】アスミック・エース

その馴れ合いぶりと堕落かげん、観客と映画というものをナメきっているとしか思えない点において、
日テレの『ごくせん THE MOVIE』(2009)とか
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-ごくせん
【配給】東宝

映画 ホタルノヒカリ』(2012←見てませんので、もしかしたらチョー傑作かも知れません)、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-たるの
【配給】東宝

フジだったら『海猿』の何本かとか、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-ふたり
【出演】佐藤隆太 ほか 【配給】東宝
*人命救助の精神が核にあるので、あまり悪口は言いたくないが、生死にかかわるサスペンスがキモの作品で、エンドクレジットでキャストの和気あいあいぶりを見せてしまうとか、ファンの集いでNG集を上映するという馴れ合いぶりは、完全に作品世界観の否定じゃないのか?
サザエさん化(空気みたいな存在)は、相応しい作品とそうでないのがあるはずだ。


ちょうど今後悔公開中の『踊る』(これも最新3・4作は未見なので、もしかしたらチョー傑作かも知れません
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-どる
【配給】東宝
とどっこいどっこいの、糾弾すべき有害映画、
「いかにもテレビ屋が考えた、ファンサービスのお祭り映画」
「こんなの、映画じゃねえよ!」
「半年後には確実にゴミになって、1年後には誰も忘れてる映画」

がいくらだってあるだろうに。


よりによって、それらと一線を画す良心作、充実作、力作で、
しっかり「映画」している『もしドラ』を、良い作品たらしめた原動力である原作小説まで含めて、なんでそこまで叩かなくちゃならないのか?

思いつく理由はただ一つ、
自分のメンツを保つため
だけなんである。

つまりここでの「愛」は、自己「愛」とか、自分可「愛」さにすぎないんですよ。
そんな自己正当化のために借り出された(駆り出された?)『がんばれ!ベアーズ』も、いい迷惑、とんだとばっちりだと思いますがねえ。

本当に映画を愛していたら、こんなやり方はしないと思うべな。

というところまでで、また続く。

ブログは続くよ、ネチネチと。