ミュージカル映画って、当たり外れが激しい。
成功作(=私にとってのアタリ)で思い浮かぶのは、
「サウンド・オブ・ミュージック」(1965)
「ストリート・オブ・ファイヤー」(1984)
「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」(1986)
「シカゴ」(2002)
「ヘアスプレー」(2007)
「マンマ・ミーア! 」(2008)
失敗作(=私にとってのハズレ)の方は、
「ウエスト・サイド物語」(1961)
「RENT(レント)」(2005)
それで、最新作の「ナイン」はどうかというと、私的には大ハズレ。
当たりとハズレの評価基準は何かというと、単純に言えば「面白いか」どうかなんだけど、じゃあ、自分は「何を面白いと思うか」といえば、あくまでもミュージカルシーンは物語を補強、裏打ちする添え物だから重視されず、まずはとにかく、骨格となるストーリーが、しっかりしているかどうかなんだと思う。
ところが巨匠といわれるヨーロッパ監督の多くが、(ミュージカル映画にとどまらず)骨子となる物語をないがしろにして、表現方法にばかり腐心してしまい、挙げ句の果てに具体的に語る話が出来上がってもいないのにそのまま公開してしまう、ということが、昔はけっこうよくあった。
他の業種だったら、そういう中途半端なものは欠陥品だとか不良品なのに、映画だと「芸術」として、高い評価が与えられてしまう。
まあ、「こう言うのがわからない方が、レベルが低い」って言う、一種の「裸の王様」的なもんだと思う。
芸術という名目は、便利な免罪符である。
いまだにそういう評価がまかり通ったり、それがいいと勘違いしている映画監督の一人に北野武がいて、この前フランスの芸術賞をもらって、「いいかげんに日本も私の才能を認めなさいよ」とのたまった。
彼とすれば、この受賞にまさに我が意を得たりだったんだと思うし、「だって昔の映画の巨匠は、こういう映画をたくさん撮ってたじゃないか」と思ってるんだろうし、アメリカ娯楽大作みたいに単純明快なのは、彼にとってみれば「映画の失墜・堕落」なんだろう。
だけど一方で、フランスやヨーロッパの映画評価はまるであてにならない、と見抜いてる映画人に、ウッディ・アレンがいる。
「さよなら、さよならハリウッド」(2002)では、
心因性の一時的な盲目状態に陥った映画監督が、それを隠してとりあえず作品を完成させるも、当然出来は散々。
プロデューサーはあまりの出来のひどさに、試写室で唸り続ける有様。
案の定、アメリカでの興行と評価はボロボロ。
ところがフランスでこの映画が傑作と評価され、監督はアメリカを去り、フランスで映画を撮る決意をする、というタイヘン皮肉な結末に。
もちろんアレンは、(アレン自身が演ずる)この監督が、フランス人の評価どおりに傑作を撮ったなどとは思っておらず、全くのデタラメを作ると、それを芸術だとか傑作だと勘違いするバカな民衆がいることを嗤(わら)っているわけだ。
「ナイン」の主人公の監督(ダニエル=デイ・ルイス)は、女優のあつかいがうまくて名匠として地位が高まるが、そういうコマシのテクはあっても、肝心の創作意欲とか創造性がまるでない。
そのため新作づくりに全く本腰が入らず、女のあつかいに腐心してばかりで、ただただ翻弄されていく。
舞台のミュージカルなら、そういう「筋は二の次」「見せ場(ミュージカルナンバー)優先」もありだろうし、似たようなフィールドに、歌舞伎とか宝塚もあるんじゃないかと感じる。
形(かた)が重視される世界だからね。
だけど映画はそれじゃあ、ダメなんだと思う。
きちんと筋を語ることより形が重視され、明確な結論がなくても、芸術だからそれでいいって「甘やかされてしまう」世界に、文学っていうのもあるような気がしてしまう今日この頃。
私の誕生日の4月16日に、待望(笑)の「BOOK 3」を発売してくれる、あの超有名作家とかさ。
超たのしみ~!
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んなわけねえだろ!
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