ファミリアー 歌姫の死と再生〈その1〉 | アディクトリポート

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ファミリアー 歌姫の死と再生
尾伏志音

公開の主旨と経緯

第一章 大歌手の誕生

下校途中の道

 1977年9月初旬の週日、午後3時頃。埼玉県朝霞市の住宅街。
 小学校4年生で、7月末に10歳になったばかりの工藤美奈子は、夏休み明けでまだ本格的な授業が始まっていない学校から家に帰る途中だった。
 友達と取り留めのない話をして笑いながら、それぞれの家の前でバイバイと声をかけ合い、最後には一人になって、次の角を曲がったすぐ先が美奈子の自宅だった。
 美奈子は自分以外に誰も見あたらないこの道の途中で、耳元に突然、大人の男の人が、咳払いしている低い声を聞いた。そしてあわててその声の方に目を向けると、それまで誰もいなかったはずの場所に、かなり背の高い青年が突然たたずんでいることに驚いた。
 青年はいかにも典型的な70年代の若者らしい、体にピチピチの白いシャツと、裾が広がっているので当時はラッパズボンと称されていたパンタロン姿だったが、その服装にふさわしい長髪だろうと推測される頭には、美奈子が見たこともないような奇抜な形のヘルメットをかぶっていた。自然にその若者とヘルメット越しに目があうと、若者の方は穏やかな笑顔を浮かべて、美奈子に向かって気さくな口調でこう語りかけてきた。
「クドウミナコちゃんだよね?」
 小学生が変質者や異常者の餌食になってしまう陰惨な事件が頻発するのは、これから10年以上も後のことだったので、当時の美奈子には年上の男性への警戒心はなかったし、なんといってもその若者は、美奈子にとってどことなく親近感や懐かしさを抱かせる不思議な雰囲気を持ち合わせていた。
 だから美奈子は気がつくと、自分でも無意識のうちにコクンとうなずいていた。
「いいかい、困った時には必ずボクが助けに来るから、安心していいんだよ」
 若者の言っている言葉はもちろん理解できたが、具体的には何のことを言っているのか、また若者がどうして確信を持ってそう言い切れるのかは、美奈子にはさっぱりわからなかった。
 おまけに青年の日本語には、どことなくたどたどしさ、たとえば日本での生活が長い外国人が話す、達者だけれども、なんとなくぎこちない日本語のような違和感がつきまとっていた。
 それでもつい今し方、自分の名前を確認された時と同じように、彼女は素直にうなずいていた。そして若者の脇を通り過ぎながら、彼の言葉の意味を確かめたくなり、質問しようと振り返ると、これもまた不思議なことに、若者の姿はその場から忽然と姿を消していた。
 小学生には小学生なりの悩みというものがあるから、美奈子はこの日からずっと、寂しい思いやつらい壁に突き当たるたびに、あのカッコよくて優しいお兄さんが、ヒーローのように颯爽(さっそう)と、自分のピンチに駆けつけてくれることを期待した。
 しかし彼女が期待するような事態は訪れないまま、美奈子は小5になり、小6になり、いよいよ卒業式となる頃には、果たして小4の時に会ったはずの、あの若者の姿と言葉は本当だったのか、それとも白日夢だったのか、あるいは夜の夢でたまたま見かけたことを、現実の日常生活とごちゃ混ぜに覚えているのか、自分でもわからなくなってしまい、とにかくあのカッコイイお兄さんのことは自分だけの大切な思い出として、誰にも言わないで胸にしまっておくことにした。

謎の再会

 美奈子は、ようやく物心ついた2歳か3歳の幼い頃から、いつも歌を歌ってばかりいた。そこには恐らく、歌が大好きで歌手になることを夢見ていた母、美枝子(みえこ)の影響も大きかったことだろう。なにしろ美奈子は小学校の卒業文集に、「将来の夢は歌手」と書いていたほどである。
 そんな美奈子だけに、1982年に中学3年生になると、一般公募のタレント発掘番組「スター誕生!」のオーディションを受け、その人並み外れた歌唱力のおかげで、西川きよしが司会をつとめる決戦大会にまで、堂々と進出を果たした。
 ここまで到達した出場者は、番組の締めくくりに各プロダクションからの声がかりを募るチャンスを与えられるのだが、あいにく美奈子の時には、どこからも採用のプラカードは上がらなかった。
 当時はアイドルや歌手のデビューは高校生でも早い方で、中学生や小学生でも当たり前のようにデビューするような世情は、モーニング娘。が全盛期となる、これから20年近くも後だということもあった。
 この第44回大会には、当時21歳だった徳永英明(とくながひであき)も出場したが、やはりプロダクションからのオファーはなく、グランプリを射止めたのは、なんと後にバラエティに転向する、当時16歳の松本明子だった。
 失意のまま、うなだれ気味に家に帰ってきてもおかしくないはずの美奈子はしかし、なぜか顔をまっすぐ前に向け、時には天を仰がんばかりの勢いで声高らかに歌を歌いながら、会場まで同行してくれた母と共に帰宅した。
「しょうがないね、お母さん」と放った美奈子のたった一言は、歌手になるのをあきらめたような口調にも受け取れたが、また時機を見ればいいといった感じの、闘志めいたものも言外に含まれているようだった。
 母の美枝子にも、美奈子のこのハイな様子は、芸能プロからの声がかりがなかったことへの失望に対する虚勢ではないかという気がしたが、とにかく本人は、思いの外(ほか)サバサバしていた。
 しかし美奈子は別に強がっていたわけではなく、決勝大会の残念な結果など、もう気にしてなどいなかった。
 なぜかというと、公開録画の収録を終えて、出演者の控室に向かう会場の廊下で、実に5年ぶりにあの頼もしいお兄さんと再会して、「大丈夫。来年にはデビューへの道が開けるからね」と、声をかけられていたからだった。
 小4での初対面から5年の月日が経過しているのに、お兄さんは以前とちっとも変わっていなかった。
 ただし着ている服だけは、DCブランドと呼ばれる、肩幅が広めで丈が短めの黒いスーツに衣替えしていた。こういったスーツは、あまり垢抜けない若い男性が身にまとうとサマにならず、「イカ」と揶揄(やゆ)されることが多かったが、お兄さんは日本人離れしたプロポーションなので、その服がとてもよく似合っていた。
 とにかく美奈子は、廊下ですれ違いざまにお兄さんから声をかけられるまでは、不本意だった番組の結果に落胆してうなだれていたが、困った時には助けてくれるという小4の時の約束通りに、お兄さんが来てくれたことの喜びの方が、その失望にまさっていたおかげで、帰り道は強がりではなく、本当に高揚した気分で鼻歌を歌っていたのだ。

つづく(毎日正午更新予定)

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