正伝ルパン3世/黄金のルパン帝国〈その2〉 | アディクトリポート

アディクトリポート

真実をリポート Addictoe Report

次元のアジト

 こうしてはからずも突然気まずい沈黙が続くことになった二人を乗せたフィアット500は、ほどなく次元のアジトである、殺風景で小さなアパートに到着した。一階部分がシャッター付きの駐車場になっていて、二階がアパートで、五軒ほどが軒を連ねている。
 いったんクルマを駐車場の手前で駐めて、次元が外に出るところに、ルパンが「おい、ちゃんと……」と声をかけてきたが、次元はこれを遮った。「ああ、わかってるさ。まあ見てなって」
 そう言いながら次元がシャッターを押し上げると、中には一台の車もなく、次元は再び運転席に戻りながら話しかけてくる。
「なっ、これでいいんだろ? ご注文通り、シャッターつきで、他にはクルマがない駐車場をご用意させていただきました」クルマを駐車場に収めながら、次元は恩着せがましくこう言った。「だけどタイヘンなんだぜ、お前さんのわがまままな要望どおりに、シャッターつきで、他にはクルマのない駐車場なんて用意すんのは。わざわざ3台分の駐車料を払って、他の住人のクルマは、別の駐車場を用意してもらってるんだからさ」
 次元は一応恩着せがましくこう言っているが、本当はこの当時は、自家用車を所有している一般市民は少なく、また持っていても駐車場など用意できずに、住宅地近辺の路肩に屋外駐車しているのが当たり前だった。クルマのサイズに合わせたナイロンのカバーがあって、年中それをかぶせたままで野ざらしのクルマだって珍しくなかったほどだ。
 こういう日本のクルマ事情を知っているのかいないのか、とにかくルパンは、予備のクルマが駐められるスペースと、シャッターを閉めれば外から中がのぞけないガレージの構造に満足した様子で、しきりに無言でうなずいていた。そして次元が黙って指し示した、当時は典型だった安アパートの2階をしみじみと見上げて、嘲笑ぎみにこうつぶいた。
「で、ここがお前のアジトってことね」
 後部座席からルパンの荷物を取り出し、その一つをひっぱりあげて階段を上りながら、次元が相手を見透かしたようにこう言った。
「ああ、お前さんの言いたいことはわかってるって。ずいぶんと狭苦しい、シケたところに住んでるなって、言いたそうだもんな」
 次元の後に続きながら、ルパンは静かにうなずいてこう言った。
「だってお前の稼ぎだったら、なにもこんなところに住まなくたって……」
 スーツケースの下面についたキャスターをゴロゴロ言わせて、コンクリの床を押して行き、自分の部屋のドアにたどりついた次元は、腰のポケットから取り出した鍵でドアを開けながら話を続ける。
「バカ! 国民の誰もが狭い土地にひしめき合って、ようやく木造やバラックからおさらばしかけてるこのご時世に、俺だけがでっかいお屋敷なんかに住んでみろ! どうせまともな稼業のわけがないって、かえって人目をひいちまうだろ。一人暮らしのこの俺にゃ、これぐらいの狭さでちょうどいいのさ。かれこれ3~4年、ずっとここがすみかだぜ。なにしろお前さんのことがあったから引っ越しもできなかったし、電話番号だって変えられなかったもんな」
 次元はここまで言うと、いかにもお待ち遠様といった様子で、勢い良くアパートのドアを開け、誇らしげに部屋の中を示した。
「どうだい、なんとかオレとお前の二人が寝泊まりするには、これでじゅうぶんだろ? スペースに金をかけてないぶん、情報機器はばっちりそろえてあるぜ。テレビはもちろんカラー」
 そう言いながら次元は、応接間にでんと構えているカラーテレビを指さした。
 この1970年は、カラー放送の開始から10年が経過していたが、カラーテレビは庶民にはまだまだ高嶺の花で、普及率は約3割に過ぎなかった。
 カラーテレビが白黒テレビに比して格段に高いのは、実はメーカーの価格調整が原因で、この年の末にはスーパーのダイエーが格安のオリジナルモデル、ブブ13型を発売し、その後カラーテレビの値崩れが起きるのだが、今の3月中旬の時点では、それはまだ夢のまた夢に過ぎなかった。
 テレビの披露を終えた次元はさらに中へ歩を進め、押し入れの引き戸を開けて、ご自慢の装備一式を誇らしげに示した。
「ラジオに無線機に銃器類、盗聴装置に脱獄セットまでこのとおり。今すぐにでも一仕事できるって寸法さ」
 ルパンは室内をざっと見渡してこう答えた。
「まあ、そう焦るなって。しかし今んところ、ここしか拠点がないってなると、ルパン帝国のお宝が到着する前に、その器になる施設を、別に準備しなくっちゃいけねえってことになるな」
 次元はルパンのこだわりに呆れた。
「ふん、またありもしねえルパン帝国の話かい。頼むからそれはそっちで勝手にやってくれよ。あれだけの乗物を置いておける場所なんて、東京で見つけるのはまず無理だからな。まっ、せいぜい観光旅行がてらに、日本のすみずみまで、一人で旅して回るこった」
「いやいや、東京にだって、まだまだ広い土地が遊んでるんだぜ」
 そう言いながらソファに腰を落ち着けるルパンを諫(いさ)めるように、向かいのキッチンで椅子に座りがてらに次元が応ずる。
「だけどな、ルパン、土地を買うだけだって相当かかるし、あのコレクションを保存するってんなら、雨風がしのげる建物だって必要になる。そうなりゃ、カネがいくらあったって足りないだろうぜ。使わずじまいのガラクタのためにそんなことすんのは、俺にはカネをドブに捨てるようにしか思えないけどな」
 それでもルパンは、一向にひるむ気配がない。
「まあ、それについちゃあ、おいおいお前にもわかってくるさ」
 次元はさすがに真顔になって、少し食ってかかるような口調に転じた。
「いや、だから俺はそれには興味がないんだったら! それよりルパン、一体どういう風の吹き回しなんだよ?」
「ほっ、なあにが?」
「とぼけんなって。あれだけのコレクションまで、ごっそり日本に持ち込むってことは、ただ単に気まぐれで日本にブラリと立ち寄ったってわけじゃなくって、本格的に拠点をこの日本に移すってことじゃないか。いったい何がお前さんをそこまで本気にさせたんだ? 今度は何を企んでるんだよ?」
 ルパンはつとめて平静を装ってこう返した。
「別になあんにも企んじゃいないさ。なんとなく、しばらく日本にいようかなって考えただけさ。それが悪いかい?」
「ふん、どうせお前さんのことだ。コレがらみなんだろ?」そう言って次元は、小指を立ててルパンに示した。
 するとルパンは、かすかに笑ってあっさりとこれを認めた。「まあ、たしかにソレがないって言ったらウソになるが……」
 これを聞いた次元には、相手にそれ以上先を続けさせるつもりはないようだ。
「そらみろ、やっぱりだ。いいかルパン。俺ぁ仕事の仲間としちゃあ組むが、女となったら話は別だ。これまでだって、計画がポシャったり、大きなヘマをやらかす時は、必ずお前さんの女好きが原因だった。もしも今度そんなことがあったら、こっちはさっさと下りさせてもらうからな」
 次元の激しい口調にも、ルパンは動じる気配がない。
「なあ次元、そうカッカして結論を急ぐなよ。俺はしばらく日本にいるつもりだって言ったんだぜ。女がらみなだけだったら、別にどっしり居を構えたりする必要なんかないじゃんか」
「はあん! じゃあ、お前さんがこの日本にしばらくご滞在になられる、ご大層な理由とやらを、女抜きでお聞かせ願いますでしょうかね」
 ルパンはもったいぶるためなのか、いくぶん姿勢を整え直してからこう言った。
「まじめな話な、日本に来た理由ってえのは大きく二つある。一つは我が愛しきママンの祖国で、オレも生まれは東京だったってこと。つまり今回はちょっとした里帰りっていうか、このルパン3世様の、めでたい帰国にあたるわけさ。だからこうして日本って国と日本人の皆々様に敬意を表して、お前とも日本語で対等に話してるんだし、日本語になった時点で、言い方が微妙に変わる言葉にだってちゃんと抜かりはないぜ。自分の名前もリュパンじゃなくてルパン」
 そう言いながら、ルパンは懐から自慢の拳銃を取り出して見せた。まだハイジャック事件も滅多になく、空港の手荷物検査もないために、そのまま持ち込めた代物だ。
「この拳銃は、本場のドイツの呼び名の、〈ヴァルター・ぺー・アフト・ウント・ドライツィッヒ〉でもなけりゃ、英語読みの一般的な通り名の、〈ウォルサーP(ピー)サーティーエイト〉ですらなくって、〈わるさー・ぴー・さんじゅうはち〉って言うんだろ? おまけに加えて、見た目だって日本人にしか見えないように変装してるわけだしな。この顔、けっこう気に入ってるんだ。しばらくはこの、思いっきり日本人顔で通させてもらうぜ」
 次元は何か言いたげだったが、空港でルパンの新しい日本人顔と流暢な日本語にまんまと一杯食わされていたこともあり、そのことにはあえて触れないことに決めたようだ。
「まあ勝手にするこった。で、理由の二つめは?」
 ルパンは大きくうなずいてからこう続けた。
「日本の今の勢いだよ。戦後25年。もう焼け野原だとか家のない人達だとかは見あたらなくて、それなりにオシャレになってきてんだろ。ちょうど万博も始まったし、ぼちぼち背の高いビルなんかも建ち始めてな。まあパリやニューヨークに比べたら、まだまだヒヨッコだけど、とにかく世界中の金持ちが、今や日本に注目し始めてる」
「そうか? 日本人の俺にとっちゃあ、そんな感じはしねえけどな」
「灯台もと暗しってやつだよ。俺がつかんでる情報じゃあ、スコーピオンが……」
 次元は聞き覚えのある名前に、敏感に反応した。
「えっ! スコーピオンって、あのスコーピオンか?」
「ほかにどのスコーピオンがあるんだよ。とにかくあの大犯罪組織のスコーピオンが、5年の歳月と50億の巨費を投じた飛騨(ひだ)スピードウェイが、もうすぐ完成するって聞いてるぜ」
「ふうん、そいつは初耳だ」
「だろ? 日本で起きてることだって、必ずしも日本人が一番詳しいってわけじゃないってことさ。とにかくそれ以外にも、世界中の金持ちだとか犯罪組織が、日本でビジネス展開して、でっかく儲けようって画策してる。ってことはつまり、このルパン3世様の活躍の舞台が、しっかり用意されてるってことよ」
 次元はどうやら、少しは納得したらしい。
「なるほど、そういう理屈か。だけどまあ、そうお前さんの思惑通りにはいかねえだろうな」
「ほう、そらまたどうして?」と、いかにも意外そうにルパンが尋ねる。
 次元はテーブルから離れ、かねてよりご自慢の本格的なコーヒーメーカーを取り出して、コーヒーを淹れる準備を整え始めた。典型的な日本風の真ちゅうのヤカンに水道から水を注いで、そこから専用の容器へと注ぎ直し、アルコールランプに点火しながら、どことなく得意気にこう答えた。
「いいかルパン、ここは日本なんだ。いくらよそもんが増えたったって、まだまだ日本人ばっかりの国だからな。お前さんがこれまで自分の生まれ故郷のフランスや、せいぜいヨーロッパあたりで幅をきかせてたみたいに、日本には日本ならではの縄張りってぇもんがある。いってみりゃあ、お前さんの日本人版みたいなのが、あちこちにウロウロしてるってことさ」
 この次元の言いぶんには、ルパンも少しは心惹かれたらしい。「ふうん、たとえば?」
「お前さん、石川五右衛門(いしかわごえもん)って知ってるか?」
「うんにゃ。誰だい、そいつぁ?」
「安土桃山時代の大泥棒さ。徒党を組んで盗みを働いて、最後には仲間共々、残らず釜ゆでの刑で処刑されちまったんだが……」
 いかに日本語が堪能なルパンでも、古い言葉まではわからない。「カマユデ?」
「油でグツグツ煮られたんだよ。生きたままな」
「うへぇ、そいつはキツイな」
 ここまで話がさしかかった時にタイミング良く、コーヒーポットが一杯に満たされた。マグカップにコーヒーを注ぎ、ルパンに差し出しながら次元は続ける。
「だけどこの石川五右衛門、時の権力にたてついたってことで、段々と庶民に人気が出てさ。歌舞伎の演目なんかで次第にヒーローにまつりあげられたんだ。強気をくじき、弱気を助ける。いわゆる義賊ってやつだな」
 ところがルパンはこの説明を聞いているのかいないのか、一口コーヒーをすするなり、思わず顔をしかめてこうつぶやいた。
「次元、お前さんのコーヒーは絶品だったのに、いったいどうしちまったんだい? これじゃあまずくて、飲めたもんじゃない」
 次元は気がついたように、こう弁解を始めた。
「ああ、そりゃあ水だな。悪いけどなルパン、日本じゃ飲み水は、わざわざ買ったりしねえんだ。みんなこうやって、水道の栓をひねって使うんだよ。第一、水を買おうったって、どこにも売っちゃあいねえんだから。なあに、そのうちお前さんも慣れるよ」
 ルパンは納得いかない表情のまま話題を元に戻す。「で、何の話だっけか?」
「安土桃山時代の大泥棒、石川五右衛門のことだよ」
「ああそうそう、それだそれだ。だけどさっきの話なら、石川五右衛門ってのは、俺のジィ様と似たような存在だったってことだな。でもとっくの昔にくたばっちまった、その石川五右衛門が、なにか俺と関係してくんのかい?」
「いやな、その十三代目って名乗ってる奴がいるんだよ。どこだったっけなぁ、たしか……」
 次元がここで話を中断したのは、ルパンがそれまで座っていたソファから立ち上がり、突然浴室の方へと向かったからだ。風呂場のドアを開けて何事かを確認したルパンは、自分から話を繋いだ。
「なあ次元、だからなんだってんだよ。その十三代目も、ご先祖様に勝る大泥棒だったりするのかい? だったら、オレ様のライバルってことになるが……」
「泥棒かどうかは知らんが、たしか居合いの達人らしい」
「イアイ?」またしてもルパンの知らない日本語だ。次元がアクションつきでサービス満点に解説する。
「腰に差した日本刀を、目にもとまらぬ早業でサッと抜いたかと思ったら、敵をバッタバッタと切り捨てる。ほら、時代劇にそう言う場面が、よくあんだろ」
「ふうん、それじゃあお前さんのピストルの腕前を、そっくり刀に置き換えたようなもんか。おっかねえ、おっかねえ。なるべく関わり合いになりたくねえもんだな」
 ルパンはそう言いながら、スーツケースの中をあれこれとさぐり、いくつかの品を別の小型バッグに詰め替え始めた。次元が怪訝そうに問いかける。
「なんでえ、たった今着いたばっかりなのに、またどっかへ出かけんのかい?」
 ルパンは悪びれずにこう答えた。
「ああ、ここは仕事場としちゃあそこそこ使えるが、長旅の疲れを落とすには、ちょいとばかり厳しいからな。シャワーがなくてバスタブだけじゃあ……」
 次元が遮る。「そこなんだってば、ルパン。日本人はな、シャワーなんて浴びずに、湯船にどっぷり浸からなきゃ、風呂に入った気分にならねえんだよ。さっきの水の一件もそうだけどよ、郷にいれば郷に従えってことわざがあんだろ」
 ルパンが即答する。「そりゃあわかってるさ。だけどまずは都内のホテルでシャワーを浴びて、ちょっくら眠って、会わなきゃいけねえ人だっている。つうことで、次元様のお屋敷ご自慢の、日本の風呂に慣れるのは明日からにさせてもらって、ちょっとばかし出かけてくるぜ」
 たちまちの自分の外出に呆気にとられている次元を気の毒に感じたのだろうか、ルパンの方から一区切りとなる声をかけてきた。
「まあ続きは後で聞かせてもらうが、さっきの話は、あれで終わりなのかい? ヨーロッパでのオレに匹敵する、日本の例、つまり偉大なご先祖様の名前を汚さないような、孫だとか子孫の例ってのは、そのイシカワゴエモンの十三代目だけで打ち止めなのかい?」
 次元は、ルパンが思いの外、自分の話をしっかり聞いていてくれていたことを喜び、ドアを出がけの彼の背中に、行ってらっしゃい代わりにこう声をかけた。
「いやいや、泥棒としてのライバルじゃなくて、お前を追う立場の人間の方にだって、日本には、そりゃあ手強い奴、それも立派なご先祖様に負けないぐらい、したたかで食えねえ野郎がいるんだぜ。まあその話は、お前さんが帰ってきてから、またじっくりとな」