実に31年以上前の、1978年の夏。
高校2年生で17才の私は、暇を持て余していた。
しかし、遊び回る金はない。
そこで一つ先の草加駅まで自転車に乗って行き、
西友の2階のオモチャ売り場に行くことが多かった。
今にして思えば、この西友はさすが西武グループらしい、しぶい品揃えが多かった。
バンダイのコンピュータ カーとか、誕生日に買った(1970年=9歳)のも、ここだった。
未来カーチックなこれ(ビュイックセンチュリー)が欲しかったけど、
売ってなくて、やむなくこちら(フォード マークⅣ)を。
画像探しで今知ったが、バンダイが開発したのではなく、USA HASSENFELD BROS社製品の輸入版。
HASSENFELD BROSとは、ハスブロのことですね。
まあ、それはともかく、草加の西友はオモチャの品揃えが通好みで、タカラならミクロマン(1974~80)からダイアクロン(1980~84)への移行期まで、ていねいにおさえたり、
このちょっと後の1978年の秋には、野村トーイのアンドロメダとかナスカのプラモとか、他で見つけられなきゃ、ここに来れば事足りるって雰囲気があった。
さて、この1978年の夏と言えば、スター・ウォーズの日本公開。
本編を映画館で観た後も、作品世界に浸りたいと思える、最初の映画だったんではないだろうか。
で、高校生ていどで、「映画を観た後で作品世界に浸りきる方法」っていうのは、オモチャや模型に触れることぐらいだった。
というわけで、西友で1個300円のタカラのミニモデル(全4種)を、一つ買って組み立てては、また一つ買うということを繰り返した。
大半の画像はネットから勝手にパクっています。気がつかれた人、ごめんなさい!
最初はたしかXウイングで、ホビージャパンの記述を参考に、水彩絵の具の黒を中性洗剤で溶かしたもので、汚し塗装を行った。
寸詰まりなプロポーションから察するに、大型のプラモ(MPC、日本ではタカラREVELL)よりも、ケナーの玩具を参考にしたらしい。一応ウイングは開閉した。
次がC-3POで、これはMPC社の約25センチのモデルの簡易縮小版。
このサイズにしては、そこそこ良くできていた。(もちろん当時基準で、の話)
3POとスケールの合うR2-D2も、20センチのプラモのスケールダウンだが、中央の第三の脚(足)の引き込み式機構まで再現され、優秀なキットだった。
この2体を組み立てれば、あの有名なホビージャパンの表紙と同じイメージを、小スケールで再現可能でもあった。
最後に、一番魅力のないタイ・ファイターも買った。
大型モデルはベイダー専用機で、標準型は、このミニモデルしかプラモが存在しなかったからだった。
このMPC版の復刻再販的なコピーキットがドイツレベルRevellから2006年?頃に発売され、2009年にニコイチでとてつもない作例が世に生み出されるなどとは、当時は夢にも思わなかった。79年だかに、北浦和のオリンピックで1個100円で投げ売りしてたよ。
しかし、このミニモデル版タイ・ファイターは、スプリングでウイングが勢いよく外れたり、球形の機体本体の後部に、妙な出っ張りが突出していたりと、劇中のモデルとは異なる部分が多すぎた。
なぜならこれも、映画用のモデルではなく、トイのタイ・ファイターを縮小したからで、後部の突起はもともとは電池ボックスだった。
こちらは玩具のベイダータイのコクピットモジュール。成型色以外は一般型と同じ。
後部に張り出しているのが、レーザー砲とサウンド用の電池ボックス。
成型色も3POと同じ金色チックで、わけがわからなかったが、とにかくたった1200円で4種のモデルを揃えられるのだから、文句はなかった。
今でもこの4種類を揃えたければ、スターケースにお問い合わせを。
なにせ31年前の作品なのでプレミア価がつき、1200円では一つも買えはしませんが。
それから14年後の1992年。
私は中学校教員を3月で辞めて、フラフラしていた。
この頃にはいっぱしの?SWコレクターになっていて、とにかく和製SWグッズは片っ端から集めるようになっていた。
タカラから、クレーンゲームの景品で、スター・ウォーズのぬいぐるみがでると知った。
クレーンゲームではアンパンマンのぬいぐるみをゲットしていたので、SWも楽しみにしていたが、なかなか本物にお目にかからない。
チャリでゲーセンをうろちょろ探し回って、(あやしい31歳……)ようやく見つけたのが、草加の西友の脇にあった、小さなゲーセンだった。
この年の2月に、草加駅前にはAKOS(アコス)という大きな商業ビルが建ち、西友は売り上げが激減するが、それでもまだ、2階建てのままだったと思う。
とにかくそのゲーセンで、店員に品物をすくいやすい位置に動かしてもらいながら、4500円ぐらいでようやく5個ゲットしたと思う。
たぶんこれが、正式なSWゆるキャラ商品の第一弾だったのではないか。
その後、1993年4月から千葉県津田沼に引っ越して、2002年の3月まで高校の英語教員だったが、それを辞めてからは次が決まらず、結局2003年には、埼玉県草加市にやむなく出戻りになる。
2005年には、SW映画最終作『エピソード3 シスの復讐』が公開された。
ケロッグがSW箱で4種類展開するが、
なぜかヨーダの箱のチョコフロスティだけが、見あたらない。
44歳になった私は、ふと思い出した。
「そうだ、草加の西友になら、あるかも知れない!」
すでに車は友人に譲っていたので、またしてもチャリで行った。
草加の西友はとっくに改築されて平屋になって、食料品専門になっていた。
まあ、目当てはシリアル(コーンフレーク)なので、食料品専門店で一向にかまわないが。
「そんなに都合良くみつかるもんかね」と思いながら探してみたら、あった!
というわけで、1978年から2005年と、時は確実に27年も経過したのに、私だけは行動が高2のままで、SWグッズが見つからないと、チャリで西友に行くのが習慣で、その時は決まってお金がなくてフラフラしているという、ありがたくないお話でした。
みんなも気をつけないと、おれみたいになっちゃうぞ!←ならねえよ!
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