英語の歌ってのはとてもかっこ良く私には聴こえる。
不思議と英語の流れる様な語感は耳触りが心地いい。
でも正直に言ってしまえば、
歌っている内容を自分が、
歌唱している人の思いまで受け取れているのか、
こんな調子で聴いているのは失礼なことでは無いのかと、
そんなことを考えることもいまだに少なく無い。
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単語や単純な文法を使った言葉は拾える。
日本文化をベースに育った人間が歌うなら
「こういうことなんじゃないか?」
なんて推測して聴いてる。
でもいつも不安が付き纏う。
「この詩は本当にこうなのか?」ってね。
詩の内容を自分は曲解してやしないかっていつも考える。
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本でもそうだ。
影響を受けた書物を違う文化で育った私が
原典では無く読んで、
果たして作者の本当の意図を汲み取れているのか、
それがいつも気掛かりなのだ。
あまり似合わないかも知れないが美術館にも足を運ぶ。
上野の森美術館で神経質に角度や距離や高さを変えたり、
目を見開いてみたり眉間に皺を寄せてみたりして
作品を眺めている者が居たら私だ。
映画でも舞台演劇でも何でもそう。
表現者の意図・真意を作品から引き出して汲み取り、
自分以外の個から多様な感覚を教えて貰おうと努力する。
其れが出来なくて何が相互理解や相互扶助だと思っている。
飽く迄も私個人のスタンスだけど。
そして其れが「個体」で在る自分が「社会」を形成する
意義を見つける冒険だとも考えています。
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「どうして英語で歌うのか?」
と云う私の質問に対して、
敬愛する表現者の方が
「日本語の歌詞ではメロディに対して尺が足りない」
と教えてくれた。
敬愛するその人のやり方は、
独特のメロディアスで力強い歌声からも感じる様に
音楽の一部を構成する要素だから理に適っていると感じた。
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"水滸伝"が大好きだ。
正確に言えば吉川英治氏の著作で在り遺作の"新・水滸伝"だ。
-作品について-
<http://suikoden108.com/trivia/18/>
梁山泊の頭領:宋江
<http://flamboyant.jp/suiko108/suiko001/suiko001.html>
が、仲間と語り合いたくも、
たまたま友人たちがタイミング悪く皆不在で
辿り着いた料亭で独り、深く酒に酔い、
其処で詩を生み他に倣い、壁に詩を書くのだが、
其れを時の権力者への叛逆の唱として密告されて逆賊とされる。
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こんな詩だ。
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幼いときから経史を学んだので
いまや権謀術数に優れている
荒野に臥した猛虎と同じように
爪牙をかくして待っているのだ
不幸にして罪人となり
刺青を施されて江州に配されているが
いつか恨みを晴らすときが来れば
潯陽江の水を真っ赤な血で染めてやろう
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身体は呉の土地にあるが
心は山東のことばかり思っている
いまは揚子江に流浪して嘆いているが
いつか必ず凌雲の志を遂げ
大反乱者・黄巣をあざ笑ってやろう
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因みにこの「叛逆の詩」は泥酔して
気が大きくなった状態で書いたもので
翌日には書いたことさえ宋江本人は忘れている。
しかもその咎で捕らえられようとする際には
肝を潰して狼狽し、
狂人のふりをして逃れようとしている。
つまり
「いい加減で調子コイて放ったクソ詩」
なので在る。
しかしこれ以上無く
"本心"に"感情"を練り込ませた結果に生まれたものだと思う。
但し、他人の心を揺さ振ることは有っても、
他人の心には響か無いだろうと思っている。
耳触りが好いだけのアジテーション。
そんなものをやるつもりは全く無い。
しかし何かこのエピソード自体に
私の心に引っ掛かるものが有るのだ。
たぶんそれは
言いたかったことと云うには一点の翳りも嘘も無かったからで在ろうと思うからだ。
「酒に酔っていたので」
などと云う言い訳で難を逃れようとするべからず。
心神喪失状態が免罪符になるならば
そうした人間は一か所に島流しで隔離か殺せとなってしまう。
私の意見では無い。
ひしひしと何か事件が起こる度にそう聴こえて来るからだ。
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私は人一倍、他人の心は解らないのだと意識をしている。
研究者たちの見解は真逆だそうだ。
共感力がズバ抜けて高いので色々な弊害を人生で受けると。
私はこうも思っている。
あなたも私を知ろうとはしないで要求だけしているだろう。と。
それが歪で不気味に感じるので
他者を思い遣り、理解しようとの努力は怠らない。
もっとも其れでも「この程度」で周囲に迷惑を掛けているのだが。
それに関しては大変に申し訳無い。
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私は極力"日本語"で歌うつもり。
勿論人種や文化を超えて音楽は楽しみたい。
世界の人々に共通してメッセージを発信したい。
だが、赤坂や六本木で多くの人種に塗れて生活し、
中国本省人たちが形成するコミュニティに属し、
在日朝鮮人が当たり前に生活に根付いた土地で育ち、
英国人の家族同然の小父が居た私には、
敢えて日本の中で外国人と過ごしたればこそ、
残念ながら"日本文化で揉まれた"者を対象とする必要を感じる。
外(他人)よりも先ずは内(自分)なのですよ。
その為に日本語で内容を伝わる様に発信する。
付け加えれば、
この日本で生きてる者全てに同じく向き合いたい。
在日だろうと在留であろうと長期滞在者であろうと、
この国で同じ社会で生きている以上は
同じ土俵で生活していることに何の差も無い筈で在って欲しい。
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ちょっと話が逸れるが、
文字で端的に記すと誤解を招く様な言い方になってしまうが、
"田舎者"と"観光客氣分"が大嫌い。
「飛ぶ鳥、跡を濁す」からだ。
私が言う"田舎者"は地方出身者を示さない。
同じく先祖代々東京生まれ東京育ちの人間でも
"田舎者"は存在するのを識っている。
東京も一地方にしか過ぎないと考えているからだ。
「失敗したら田舎に帰ればいい」
こう云う考え方が大嫌い。
「どうせここに住んで居る訳じゃ無いから」
"観光客気分"と云うのはこれを指す。
「望んで参加してる訳ではない。」
「自分は当事者じゃない。」
「只、見てただけ。関係無い。責任も無い」
これが嫌悪の対象。
自分のことでは無いとその場に居ながら
視線を外して安全圏に逃げ込もうとする。
大嫌いだ。
地方からこの土地を選び自分の基盤にしようとしている人を
歓迎しない訳がないじゃないか!
出自だけを取り上げて「他所者」として拒絶している考え方こそ
"田舎者"に感じるが如何だろうか?
出自がどうで在れ同じ生活圏でより良い生き方を模索して
頑張っている・苦悩している・笑顔で在ろうとしている人こそ
"仲間"だと思っています。
こういう言い方が既に「上からの目線でモノを言っている」様に感じたら
それはとても申し訳無い。
この言葉は勿論自分自身にも向けています。
だから努力や意識することを忘れるなと戒めにもしています。
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"人間"その者に向けて、
しかも"海外の人間"に強く訴える詩は英語を使おう。
「歌」、特にサウンドに載せて歌われる詩。
韻を踏むこと、
旋律に合っていること、
歌声と音色の一体感、
メッセージの長さ、
使える文言の数、
言霊として成立させる技術、
多くの技が全て合致して生まれる奇跡だと思っています。
こんな難しく、スリリングでエキサイティングで
遣り甲斐のある挑戦を音楽に覚えました。
音楽以外で随分長いこと音楽から視れば"寄り道"してしまったけれど、
私には必要な時間と内容だったのです。
例え3分以内で終わる曲でも、
その3分で出す為に今までの全てが必要でした。
表現を発信するのに必要な時間は在るでしょう?
表現者が必要と思う環境と時間で味わえたらといつも思っています。
「長いなー」と感じさせない様になりたいものだ。
「もっとくれ」。
これこそが最も「丁度良い」のでは無かろうか。
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そう言えば、件の"宋江"が、何故、独りで酒を飲む破目になったかと言えば、
後日タイミングが合わなかった仲間との最初の酒宴で
あまりにも大好きな魚料理をガッツキ過ぎてお腹を壊し、
臥せって居たために暫くは宴を我慢することとなり、
治るや否や他の人の事前の予定確認も二の次に
飲みに出掛けたからなのです。
ガッツイて欲望の儘に「丁度良さ」を無視すると壊れちゃいます。
私もガッツキ過ぎて、自分の受信能力を超えてヤラレ捲くっていますので
もっと精進しなくては。
是非、そうしたい。
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<水滸伝の宋江が捕らえられるエピソード>
http://www.cnw.ne.jp/~unpuku/cf/p39.html