見世物小屋で特異な姿の人間を観て異形の風体を目の当たりにし、
好奇と露悪趣味を充分に満たし、日常と違う瞬間を変身の一環として楽しむ。
ポルノで自分の慢性的な性的欲求を、一時的に爆発力の高い映像を再生し、
再生・停止ボタンで自分本位にその生理的欲求と感情を操作・処理する。
お化け屋敷で自分の想像と期待の範囲内の安全な未知への恐怖を体感し、
自分の恐怖中枢の性能の確認、及び克服した錯覚で誤魔化し満足する。
ヒューマンドラマの中に出て来る殊更不幸なキャラクターを観て、
現在の自分の姿と比較して「こいつよりはマシ。こいつよりは幸福」と安堵する。
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所謂「知的障害者」とか「精神障害者」とかの立場に置かれている人が居る。
人間はスタンドアローンで在りながら、その能力の限界を突破の方法として
社会と形を為したネットワークを作り支え合うものだ。
それを一方的に享受している厄介者として扱われている氣がしてならないのだ。
それが哀しく怒りを覚えて絶望感に包まれてしまうのだ。
作り上げたネットワークの社会が閉鎖的で選民的に始まるのは解かる。
より速い馬が人工的に交配に拠って作られていくサラブレッドの様だ。
そこには意識的な人間の意思が働いている。
一体、誰の意思だろうか。
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「健常者」と呼ばれる人も反面存在してしまう。
誤解も生むし憤りを感じる人が居るで在ろうが
(居て欲しいと云う願いを強く籠めるものである)
その大多数、健常者から笑いもの・慰み者にされることと引き換えに
突拍子も無いところで大声出したり、訳の解らないことを喚いてたりしても
「ウケる」で嘲笑って片付けられる、
言うなれば笑いものの代償に『健常者さんたちは許してやっている』。
受け容れろなんて言いたくないし、
笑っちゃうものは笑ってしまうからとでも尤もらしく嘯くんだろう?
そんな自分に疑問を持たずに言い訳を続けるのならば、
そこでずっとそうしているがいい。
唯、これだけは言う。
くたばりやがれ!
弱視の人間がどう頑張っても裸眼で物体が見え難い様に、
右手の欠損者が右手を使えない様に、
その部分が欠けて居たらどうしようも出来ないことが有るのだ。
勿論、だからと言って欠けていることに甘えてはいけない。
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何を以て「健常者」だろう。
大なり小なり我々は画一化された工業製品の様には行かない。
加齢で衰えていく部分も在れば、
年齢を重ねる中の経験で練達し平均を越える能力を手にする者も居る。
一般的に云う「一般人」と同じ思考や行動が出来ない。
それでもこの「社会」で何とかしていかなければならない。
生きていく為には。生きていたいのならば。
その努力を怠っているならば
「自分はこうだから」と社会に背を向け我を張るのならば、
社会に生きる人々から異端視され拒絶され爪弾きにされても
それは因果応報と云うものだと認識している。
甘ったれているだけに他ならないと感じるからね。
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隠遁者になることを望まないなら、自分自身で「社会」を形成する方法だって有る。
我を張って「社会なんて関係無え」と嘯くなら、
社会資源の活用も制限されたり放棄を余儀無くされるのは当然だと思っています。
併し、何とかしてこの社会に適合してやっていこうとしていたり、
本人が意思を万人に表現出来ずに、
本人の意思を汲み取れる近親者がサポートしている状況ならば
それを嗤うことをあなたはどう思うのか。
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目には視得難いものは少なく在りません。
物理的に視得るものから得られる情報の限界は在ると思います。
明らかに半身麻痺で在ったり、白杖を使いゆっくり歩いている方がいらっしゃるとして、
その方々がよろけたりするのを、あなたが背中を突き飛ばして転んでしまうことを望むのか?
悪意の有る者が盲目で在ることを好機と捉えて金品を強奪するのを見て
あなたは「外に出歩いているのがいけない」などと思うのか?
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精神的や知的な障害は中々物理的には一瞥して判らないものが多いと思います。
特に氣を遣い、腫物に触る様な扱いをする必要は無いと考えますが、
態々、一所懸命にやっているところで邪魔をしたりして面白がる様な
そう云った考え方が私は相容れないのです。
そんなものは「個性」や「特性」とは思わずに根絶やしにしてやりたいとさえ考えます。
『相手が存在する物事で自分の意思だけを100%実現し、その結果”蹂躙”する』
これだけは私は絶対に容認出来ない。
勿論、簡単に行かないことだと感じていますし、
何が『迷惑になる』かは個々の価値観に拠るものだから、
一つのルールを立てて実行するのは乱暴だと思う。
「経験」とそれに基づいた「倫理観・道徳」が求められると思います。
それを磨くのが人格完成に向けて人生を楽しむと云うことだと私は思うのです。
誰かの苦しみ泣いている姿を肴に酒を飲むことを楽しいとは感じない。
尚、「くたばりやがれ!」は誰かの生命に向けたものでは無い。
そう云うものを嗤う心境に対して放っています。
それが「氣付き」だと思うんですけどどうでしょうか?