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月歌夜奏

GeKkaYaSo

Blogと云うのは自己満足で在りながら、
自己完結出来ず、心の何処かに潜んでいる承認欲求の開放で在ると感じる。

書きたいことは好きなだけ書く。
テキスト行数が冗長だろうと、暗喩ばかりで解かり難かろうと構わず書く。
不謹慎でも不遜でも関係無い。

そんなことを嘯きながらも、見知らぬ相手から喩えそれが正論で在ろうとも
反対意見をぶつけられたり、否定的な態度を執られると身構えてしまうのは
自己顕示欲以上の承認欲求に他ならないことの証明だろう。

氣を付けて文章を記述することは必要。
一時の感情の侭に書いたとしても、此処がWebスペースで在る以上、
公開設定を開放していれば誰もが目にしてしまう可能性が有るからだ。

幾ら個人の意見だからと言って『日本人は死ね』などと書かれているものを見掛けたら
心穏やかで居られよう筈も無い。

精々、他人の領域を土足で踏み散らしたりせぬ様にしたいものだ。

さて、本題に入る。
記念すべき2017年の第一投目です。

 

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どうせいつかは誰でも死ぬ。

それを悩んで苦しみ頭を抱えるのは自分自身の自由だろう。
苦しみと分かった上で他者を巻き込む行為でないのならば構わないじゃないか。
但し普通の人はあまり大して親しくも無い人間の苦を、
進んで共にしようなどとは考えない筈だ。

『あなたの苦しみを分かち合い、軽減することが私の幸福に繋がる』

そんな聖人君子のサクリファイスを信じろと言うのは無理が有る。
そう云う話を聞いて不眠症を治すにしても、つけ込む弱点を探す為だとしても、
何れにせよ何らかの自分への利益が目的。
憐れで不幸な者を前にしての優越感や、
己が弱き者へ「救済の手を差し伸べている」なんて感情の為とかね。

冗談キツいね。

それが毒で在ると知ってるくせに、触れて侵されて大騒ぎしてるようなのや
当たり屋みたいなことしてる輩が一番厄介だから近付かないで欲しいと思う。


匙加減や受け取り方はそれぞれ在るとは思うけど、
自己の権利ばかり主張して他者を蹂躙することを厭わずに行動するような

自覚の無い略奪者は要りません。

せめて確信犯でいろ。
こっちも吊るす時に罪悪感を感じないで済むからな。

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さぁ、月の下で歌い、夜の中で奏でようじゃないか。
煩わしい騒音に聴こえるか、求めていた大きさの音かは、
感覚共有出来なければ解らない。
あなたと云うフィルターを通ったものの様子に興味が有るのだ。

この短い話を先ずは読んで欲しい。

<信じようと、信じまいと―>

実害が無いため報道されることは少ないが、
視神経と繋がる脳の部位を調べてみると、約300人に一人は赤と青など二つの色が逆に見えているはずだという。
彼らは赤く見えるものが”青”、青く見えるものが”赤”と思い込んでいるため気付くことは少ない。
あなたの視界は、本当に周囲の人と同じだろうか?

<信じようと、信じまいと―>

これこそが実害が無く、視得無いにも関わらず、安心感を完膚無き迄に叩きのめす恐怖だ。

「滑稽だから嗤える。」

「お前をナメてるよ。」

 

滑稽に見られたのもナメられたのもどちらも自分の行いの所為。

それを怒るのは筋違い。

嗤ってるそいつの価値観を正せる訳が無い。

 

他人の意識を変えるなんて無理。

自ら氣が付かない限りはね。

そいつにだって人格が在るんだ。

 

でもムカつくだろう?苛々してしまうだろう?

そんな時は簡単にやってしまえ。

相手にしないか、そいつとは向き合い方を変えればいいだけ。

 

相手を尊重するから難しくなるんだよ。

自分の人格を蔑ろにしてくる奴の人格を尊重してる方がおめでたい。
それをやりたくないとしても馬鹿なことは馬鹿なことに変わりは無い。

 

その馬鹿をやるかどうかは自分自身の自由だ。
馬鹿になれるか?

小馬鹿にされて怒ってる場合じゃ無いぞ?
どうせなるならメーター振り切って大馬鹿者になるよな。
 

其処までやれれば色んな超越者に出逢うだろう。