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月歌夜奏

GeKkaYaSo

いつしか意識的に行っていることが有る。
 

『気』と云う文字を使う場面では、そちらの文字では無く、
所謂、旧字体と呼ばれる『氣』を使っている。

何故かと言えば、『気』は中が『〆』の形を為す。
『氣』は中が米。
これは八方向に線が伸びて全ての方向を指し示す意味を持っているそうです。

『気』、つまりはマインドを〆て閉じ込めてしまわないで
『氣』を全ての方向に向けようって意志表示に此方を私は使います。

おまじないや験担ぎと云うよりは心構えです。

吉田兼好作、徒然草の第85段より

人の心すなほならねば、偽りなきにしもあらず。
されども、おのづから、正直の人、などかなからん。
己れすなほならねど、人の賢を見て羨むは、尋常なり。
至りて愚かなる人は、たまたま賢なる人を見て、これを憎む。

「大きなる利を得んがために、少しきの利を受けず、偽り飾りて名を立てんとす」と謗る。
己れが心に違へるによりてこの嘲りをなすにて知りぬ、
この人は、下愚の性移るべからず、
偽りて小利をも辞すべからず、仮りにも賢を学ぶべからず。

狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。
悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。
驥(き)を学ぶは驥(き)の類ひ、舜を学ぶは舜の徒なり。
偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。

※驥:一日に千里走る馬。駿馬。優れた才能を持つ人を表すことも。
※舜:中国神話に登場する君主。五帝の一人。

    儒家により神聖視され、堯(ぎょう)と並んで堯舜と呼ばれて聖人と崇められた。


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 上記を現代語訳するとこうだ。

人の心は素直ではないから、自分を偽るということが無いわけではない。

しかし、初めから正直な人がどうして居ない訳が在ろうか。

自分は素直ではないから、他人の賢さを見て羨ましがるのは普通のことである。

極めて愚かな人物は、偶々賢い人物を見ると、その賢さを逆恨みしてしまう。 

『大きな利益を得ようとして、小さな利益を得ようとしない。嘘で自分を巧みに飾って名誉を得ようとする』と賢い人をけなしてしまう。

自分の心と賢い人の心が違うので理解出来ず、こういった嘲りを言ってしまうのである。

この人は、愚鈍な本性から離れることが出来無い。

相手を偽って、小さな利益を手に入れようとし、仮にも賢い人から学ぼうとはしない。 

狂人の真似をして大通りを走れば、それは狂人そのものだ。

悪人の真似と言って人を殺せば、悪人になる。

千里を駆ける駿馬に学ぶのは千里を駆ける駿馬の同類なのだ。

聖王の舜を真似をする者は舜の同士だと云うことなのだ。

嘘にでも賢いことを学ぶものを賢いと言うのである。

 

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馬鹿の真似を何も考えずそっくり其の侭行っていれば
幾らそれが偽りの自分で本当の自分ではないと言っても
その馬鹿な姿が自分の姿になってしまうんだ。

『皆の為に』も『自分の為に』ももう聞いた。

 

『何の為に』が知りたいの。

 

そうするとどうなるの?

少なくとも自分自身は氣持ちいいんだろうな?

 

自分の原動力の要素としては全く興味無い。

カネが欲しそうな顔が後ろから覗いてるみたいに視得る。

 

じゃあこの方法は要らねえだろ?

 

PUNK ROCKはゴロツキの金稼ぎでしか無いのはお前の理屈。

悪いけどそんなピストルズの亡霊にいつまでも捕まってる訳にはいかない。
先人を言い訳に使うなよ。
コピーやりたいならそうしてろ。

あなたはあなたのPUNKをやりなよ。

私は私のPUNKをするよ。

それともPUNKの使用許可を取ったり使用料を徴収したいんですかね?

 

誰がお前の許しなんか必要とするものかよ。