月歌夜奏 -4ページ目

月歌夜奏

GeKkaYaSo

今日と云う日を多くの人が心待ちにしていたんだと直ぐに感じた。

勿論、当事者はその最たるものだ。

 

然しお前の行動は何だ?

 

妨害に来たのか?

誰かに印象付けたくて来たのか?

お前の存在アピールに一体誰を使おうとしてるのだ?

強烈なカリスマを持つ人をお前の表現のひとつに利用しようとしてるだろ?

判るんだよそんなものは。

その出で立ちをしてる連中はそう云う奴が多いからな。

様子を見てたら案の定だ。

 

そんなんで「応援してます」とか「好きです」とか言うつもりか?

子供が我儘で独り占めをしようとする姿によく似ている。

そう云う者程、期待が外れると急激にアンチ化する。

 

唯のBGMじゃないんだぞ?

一体何を聞いて此処に来たんだ?

 

情け無く、寂しい限りだ。

素晴らしい夜を台無しにしてくれたな。

こう云う連中なんだろうな。

今も昔もずっと変わらない。

 

私は私の世界を創造しよう。

出来るだけ早く。もう一度。

人間、年齢と共に関わる社会の大きさや種類に変化が現れるものだ。

一人で居た母親のお腹から出た瞬間に
母と自分の社会が始まる。

目が覚めたと泣いて報せ、眠いと泣いて訴える。
腹が減ったと泣き、便が出たと泣く。
何でも望みを聞いて貰えるところから始まる。

やがて外に出て完全な他人との付き合いに発展してゆく。
何でも我儘が通用しなくなってゆくだろう。
また、他人の我儘を看過出来ない立場にもなることだろう。

仕事での付き合い。
ビジネスの場となれば食い扶持でも在るので他者に試されもするし試しもするだろう。
物語や映画でもそんな場面はよく見る。
命が関わることには万全の態勢で望まなければならないからだ。
『七人の侍』と云う映画作品の中でも
荒ぶる野武士に対抗する仲間を募る方法として実力の程を試すシーンが出て来る。

それを踏まえた上で言わせて貰いたいと思います。
『人付き合いに於いて試すのも試されるのも嫌い』。

それをやらないし、やられた瞬間に相手に興味を失う。
何かの実験材料にされた氣もする。

交流を持つ目的にも拠るだろうが、利害関係や共同戦線を張るのでも無いのに
何故にテストを受けさせらなければならないのか?
五分の付き合いを壊されてマウンティングされた様な思いを感じる。

何かを共にする為にそれが必要なことで在れば致し方無いが
それならばそう云う付き合いに転じるとの宣言だと受け取ることにしている。
『試した』との宣言に反論するのは、心では泣きながら
利害の無いフラットな関係を継続したい時だけだ。

それはつまり、あなたを仲間と見て、
何かの有事の際には、一も二も無く駆け付けると云う意思の現れです。
大体に於いて温度差が有り、受け入れ切れる人は極稀。
この関係がすんなり自然に通ったのが、永きに亘って現在も兄弟として付き合っている仲間。

簡単なことでは無いので覚悟はしている。
全ての常識を超えた『絶対』を探しているんだからそんなにそこいらにゴロゴロ転がってて堪るもんか。

それにしても、言った言葉をよく取り違えられるらしく、
この「試すのはやめてくれ」の意思表示に対して、否定的だったり攻撃的に返されることが少なくない。
そんな時はその人の心が反映してるのだと考えるので、
意図せずその人の心の薄暗い部分を識ってしまった様で遣る瀬無い氣持ちになる。

駆け引き在る付き合いは私には不要なのだが、
それは飽く迄も私が一方的にあなたに突き付けている価値観だから拒絶だって有り得る。
譲れない部分は双方に在るだろう。
出来るだけそう言った部分の無い付き合いが好ましいと感じるが、
お互いを尊重する上で、譲れない部分をどれだけ許し合えるかが
他人としての壁を外すことだと考えています。

駆け引きや試験はビジネスと他人同士としての命懸けの場面だけにしたいものです。
戦争を念頭にピリピリして生きるのはとても大変。
視たところそう云う緊張感を感じないから此方もやらない。
肉の壁にも兵隊で使われるのも御免被ります。

放っておいたってやる奴はやるんです。
逆もまた然り。

『丸くなった』って言い方がどうにもこうにも違和感。 

 

感覚としては許容範囲が拡がり容量が増えた、

つまりは『器が大きくなった』とか、 受信アンテナの性能が向上したので

それまでは雑音にしか出来なかったものが、

ちゃんと言葉や音楽として響かせることが出来る『能力UP』だと思います。

 

作為的に演じた人格で得た結果は虚構。

作らずに素の自分で得られたものは事実。

こう在りたいと精進して手に入れるべき理想。

そう思いつつも実際に手に入ってきたものが現実。

 

そう云う風に考えて行動しています。

 

 

自分にとっていいことが一個有ったんだからそっち見る。

悪かったことに時間も心も割くのは厭な目の反芻で愚かしい。

自分の反省点が視得たならそれでよし!

起こった出来事を財産にするか毒にするかは自分次第ね。

それが経験。

 

 

「こういうこともある」 そして「こういうことになる」 残念だ。

 
 
「ほんの5分遅れただけじゃん!」
「たった300円のことじゃん!」
なんでもいいけどその「ほんの」や「たった」の僅かで些細なものが、
自分の信用や全存在をブッ壊したもんです。
あんまり自分の値打ちを間違えたり過信してはいけないんじゃないですかね。