月歌夜奏 -9ページ目

月歌夜奏

GeKkaYaSo

ふと思い出す。
 

無邪気な小学生の時分に、朝礼や全体集会などの場で、
つい友達と目が合ったりなどして笑ってしまったりすると

先生が飛んで来て「ふざけるな!」とか言われてた。

 

アレは、自分から「ここは静かに謹んで聴く場面だ」って思ってないから
まるで無力に従わされてる自分やみんなの姿が滑稽だからじゃないだろうか。


こんな大人数が「静かに黙って棒立ちで話を聴け」ってことに従わされて、
工業製品みたいに並べられてるってのが可笑しくってしょうがない(笑)

少なからずとも私はそうで在った。


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「誰々が亡くなった」だの

「こんな傷ましい事件が起こりました」だの

「もっとコレに目を向け考えましょう」だの

そう云う話にブチ当たらなかったからだとは思うのだけれど、

壇上で打ってた色んな話を何一つ憶えて無い。

只やり過ごすだけの有り難いお話の時間。


こう見えても私は真面目(クソが着きますが)なので、お話自体は確実に耳には入ってた筈。

だけど見事に何一つ、冒頭の季節の挨拶と
「皆さん悔いのない様に頑張ってください」的な〆の言葉くらいしか憶えてない。


「お前に大事な用が有る」と云うのなら、話は寧ろコッチから聴かせて貰いたいと云うものだ。


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会社の定例会議とか売上げ報告会議などで、

「今期の数字」だけを、
唯、本当にそれだけを各部署が告げて終わる様な

一時間にも及ぶ、丸で存在意義を感じられない
名ばかりの会議をしている企業の存在を識る。
 

納得する趣旨説明とかを誰かが出来るのならば是非聴きたい。
少なくともそんなものが何に効果を及ぼし利益を生むのか、
何を信じて行っているのか予想を越える答えを聴いてみたい。

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『世の中ってのはこういうもんだから』

あまり仲良くない先達から繰り返し聴かされて来たが、

私自身は一回も色良い返事をしたことが無かったので、

「お前は駄目だなぁ~」などと言われ続けて居た。


後年、お互いの所属がそれぞれとなり、
その人が身体を壊す様な事態に陥り、
担ぎ込まれた入院中の病院からすっかり落ち込んだ声で私に泣きの電話が入った。
 

目茶苦茶に強氣な人だったのに、

「ああすれば良かった、これが駄目だった」」などと一時間近くも一方的に喋って、
それが此の世で私が聴いた、その人の最期の言葉になった。

 

縁も所縁も無い土地で、たった独りで逝ってしまった。

 

『こういうもんだから』

確かにそう云う場面も在ると感じています。

でも何でもかんでもそれが自分を納得させるマジックワードにはなりはしない。


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然したる目的も理由も無いのに、

相手の満足・不満足の為だけに従わされるのは此の年齢になっても難しい。

 

でも

「どこかの誰かが一所懸命に我慢して、魂をそのままにTOPになったら、
   バッと世間を引っ繰り返してくれて、自分に棚ボタで恩恵が来ないものだろうか」

などと云うことは一回も考えたことは無い。

そんな妄想は虚しいだけでは無く、そう考えてしまうこと自体がどうも自分には楽しくない。
 

その誰かに自分がなるか、

それが出来ないのに他人様が変えてくれるなんてことに期待はしない。

 

喩え、そんなHERO風の人が現れたって私と同じ志とは限らないし、

大して知りもしないその人に与する氣も無いし、

自分自身が己の生活や生命の届く範囲のことしか解らないのに

全く違う境遇の人が何かを変えることをやってくれるとは全然考えられません。

どんな偉かろうと頭が良かろうと、
そこまで大幅に広い見識と回る頭を持ってるとは思えない。

ペテンは利いてるとは感じる人も居るけれど(笑)

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『 従 う 』 や 『 忠 実 』 と云う言葉に対してアレルギーの如く、敵対的反応する人が存在する。

その言葉や行為に叛するんじゃなくて
それを通そうとさせる相手の面構えを視て叛するのが本当ではないのだろうか。

システマティックに従わせるのは反抗して然るべきとは思うけれど、
そんなことを本気で思ってる程度の者が、
いつまでも悠々自適に生き続けていられる世の中じゃないと思ってます。

私は世渡りが特別下手で心配性なのでしょうか。


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何で集会で笑ってたのか。
 

こんな風に掻き集められて従っている自分自身が一番滑稽だから笑えてしまうのです。

急にこんな話をしてなんですが

 

 ” 2011年 3月 11日 ”

 

所謂、東日本と言われる地域に居た人は、

震源地への距離が近かったとか、海沿いだったかとか、

誰と一緒だったとか、独りで居たとか、状況は色々だったと思いますが

『どうしようも無く抗えない死への兆候』を感じなかっただろうか。


私は生きて行く中で、明確に『死』何度か感じたことが残念ながら有ります。
因果応報、自業自得、どう云う言葉を使おうが構わないが
原因は人為的なものであり、何とか抗う術を考える内容の出来事でした。

然し、今回の相手は圧倒的な猛威を持つ自然災害。
そして人間の手に余り有る制御不能の強大な力。

そんなものを相手にさせられた時、
死生観を改め考えると云うか、大きく影響を受けたと云うか、

『確証は無いけれど、多分今回も大丈夫』と云う楽観が脅かされなかっただろうか。

 

あの時に感じた死の翼は「今、コレやってるから一寸待って」なんて、
こっちの都合なんて関係無く、何の準備も覚悟もする暇も無く、

強大過ぎる力の前に一切の抵抗も出来ずに、

受け容れざるを得無い受け容れたく無い現実を突き付けられた瞬間だった。

 

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人間の駄目でも在り、大きな恩恵を感じる能力として、『忘却』ってものが在ると思っています。

 

あの時に感じたものを忘れて、竦(すく)んだ足はまた一歩一歩踏み出せる様になった人、

「こんなことをしている場合では無い」と、行動が一氣に変化したのをすっかり忘れて
怠惰な『平和(惚け)的日常』に戻った人、色んな人が居るだろうと。

 

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私は「また今度」がアテに出来なくなってしまった様です。

でもこの『またね~』ってのが割と好きなんです。

 

再会を約束する言葉

次回を感じさせる言葉

未来が無ければ出せない言葉

 

それらの言葉の意味が持つ信頼が、一氣に吹き飛ばされてしまった。

 

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金・土・日と三日間ライブハウスに通いました。

どれもこれも素晴らしく、凄く刺激を貰いました。

そしてとても楽しい反面、初めて自分が表現者・発信者として

ステージの上で勝負していないことが悔しくて仕方ありません。

 

美味しい料理をじゃんじゃん食べて栄養を着けているのに、
全くそのパワーを揮わずに贅肉にしてしまってる残念感。

 

音楽をしていないことが「悔しい」なんて、今迄感じたことは無かったんです。

 

自分の死生観を忘れていないか?

忘れていないならこの生き方はその死生観に基き沿ったものか?

 

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生きていると言うことは

ちょっと此の世に立ち寄った

 

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「どこから来た・なにをしてきた」よりも「どこへ往く・なにをする」だ。


前者は他人が判断すればいい。

自分の誇りにはするけれど、其の価値を他に押し付けるなんて以ての外。

後者は自分。

他人なんてどうでもいい。

自分自身の自発が無ければ何も始まらないこれからのこと。

 

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自分はとても精神エネルギーの燃費が悪い。

タンクの底が抜けているかの様に、貰ったエネルギーが直ぐに底を尽く。

エネルギーにして貰う能力は常に磨こうとしている。

無感動な人間にはなりたくない。

その経験が有るだけに尚更ね。

 

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「陰鬱・闇・陰」はマイナスだと思って居たが、

ゼロよりマイナスの欠けたものでは無いと理解し始めた。

こいつらは「陰鬱・闇・陰」と云う『存在』なのだと。

 

それは残念無念かも知れないが

明らかに私を構成する要素の部分だ。

持っていることを恥じない。

それを氣付いたことを誇ろう。

但しそれを他人に振り分けてはいけない。

マイナスを扱えるのはマイナスの効果を認識出来る者だけだ。

 

御して進む。

 

いきなり自分の連続がブツ切りされるその瞬間まで。

このニュースが騒がれているのを、当事者を礼讃している人のSNSの投稿表示で識る。

ちょっと乗っかったテキストを、以前から考えているカネの話しを絡めて記して見ようと思う。

 

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<以下転載>

 

"あの"マルコムとヴィヴィアンの息子が。


-セックス・ピストルズのマネージャーの息子、

   パンクゆかりの品々8億円相当の全焼却を宣言-

http://ro69.jp/news/detail/140500

 

<以上転載>

 

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"息子"なんて表現しかされないようなことなんだから

そんなにイキるものじゃ無いだろうジョセフ・コーレさんなどと思った。

 

燃やしたかったら勝手に燃やせ。

出来たらダイオキシンとか大気の汚染に氣遣ってくれたら幸い。

~私のために(笑)~
 

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別に文句も無いし共感も無いし賞讃も無い。

これはこれをやる人の表現方法なのだからね。

だから態々メディアに知れ渡る様に何かしたのだろうと勘繰っている。

毎週毎週、燃えないゴミだの燃えるゴミだのに小分けにして出したり、
カネも有るんだろうから業者委託して処分していれば、
誰も氣付くこと無く廃棄と云う目的は達せられるだろうからと思うが如何に。

 

こうすることが何かのメッセージの伝達方法。


時間の経過でどんなものにも付加価値が付く。
ヴィンテージなんてクソクラエ。
新しいものが技術革新で上棟では無く、
合理性とコストダウンの利益追求型短期耐久消費財としての存在だと知らずに認知され、
その場凌ぎの商品はゴミの予備軍だとバレている。

軽く、薄く、小さく。そして壊れても修理不能、安価なので買い替え推奨。
 

自分の寿命よりも長持ちする製品がみんな好きなのだ。

あの世まで持っていけないものは遺ったみんなへのお小遣い。
そして自分を忘れないで欲しいとの願いを籠めた契約書にしたいのだろう。


誰も無実の人間を傷付けて無いんだから大したもんとする方が良いかね(笑)

 

話題作り。
人為的なコマーシャリズム。
張り子の人形だって内蔵が出来れば魂が宿るかも知れません。
望んだ様に生みの親を助けてくれるかは甚だ疑問ですが。

 

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今回のこのニュースは、

常々目に留まっては心をささくれ立たせる「お前が言うな」的存在が、
こう云う真似を画策していることへの回答かな?


攻撃されている体制側が反体制側に祝辞を送ってるのは

おちょっくってるって感じるんだけどどうですかね。

"40周年おめでとう"らしいけど、

パンクバンドの活動○○周年おめでとう行事は結構なんだけどさ、

個人的には「周年」は「執念」だと脳内変換してる。

 

「こんだけNOと言い続けてるのにお前等はまだ我々にそれを続けるのか!」

ってそう思うんだよ。

 

バンドやパンクの活動のことをじゃ無いですよ?

それらが叫び訴え続けている攻撃対象の連中の所業のことだ!

 

仮令斃したとしても、後から後から涌いて来る、
手を変え品を変え姿を変え名前を変えて出て来る他人を食い物にして生きる連中。

新しいものが良しにつけ悪しきにつけ生まれて来る以上は

闘い続けなければならないのだろう。
仰向けに腹出して寝られる極楽浄土は死んでから味わうものみたいです。

 

"パンク40周年おめでとう"

私からの"おめでとう"は飽く迄も

「音楽」と「表現」と「発信」、そして「探求・探究」、
「闘争」を続けていることに対してだ。

 

そいつは素晴らしいことだと感じるから。

 

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『-パンクの破滅的な存在意義-』

と云うのを自分は心に刻んで居る。
(パンクに出会った時の"物足りなさからの解放"には、こいつが私にはくっ付いて来た)
 

目的が達成されれば消えて無くなる。

だらだらといつまでも続けたくない。

 

まるで利権にしがみ付き、既得権を失わないように情報操作をしたり

カネにモノを言わせて政治屋を操り、要らないものを押し付けて

供給し購買させる連中みたいになりたくない。

 

自分が消えてしまう原因になるのにその活動を続ける。

不満なんて無い方が私には良いことなんだよ。

しかし不満を受け容れさせらて

不満を不満だと感じなくなるように麻痺してしまったり、

向き合うことをやめてしまうことはしたくない。

 

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"5百万ポンド(約8億170万円)相当のパンク関連グッズ"

と有るけれど、その算出をコツコツやってたのか。

ご苦労様なことです。

 

カネなんて道具には支配さえされなければ、有った方が何かと役に立つではないか。

どっちにしろ私のものでは無いのでカリカリ残念がってるのは間抜けです。