ふと思い出す。
無邪気な小学生の時分に、朝礼や全体集会などの場で、
つい友達と目が合ったりなどして笑ってしまったりすると
先生が飛んで来て「ふざけるな!」とか言われてた。
アレは、自分から「ここは静かに謹んで聴く場面だ」って思ってないから
まるで無力に従わされてる自分やみんなの姿が滑稽だからじゃないだろうか。
こんな大人数が「静かに黙って棒立ちで話を聴け」ってことに従わされて、
工業製品みたいに並べられてるってのが可笑しくってしょうがない(笑)
少なからずとも私はそうで在った。
---------
「誰々が亡くなった」だの
「こんな傷ましい事件が起こりました」だの
「もっとコレに目を向け考えましょう」だの
そう云う話にブチ当たらなかったからだとは思うのだけれど、
壇上で打ってた色んな話を何一つ憶えて無い。
只やり過ごすだけの有り難いお話の時間。
こう見えても私は真面目(クソが着きますが)なので、お話自体は確実に耳には入ってた筈。
だけど見事に何一つ、冒頭の季節の挨拶と
「皆さん悔いのない様に頑張ってください」的な〆の言葉くらいしか憶えてない。
「お前に大事な用が有る」と云うのなら、話は寧ろコッチから聴かせて貰いたいと云うものだ。
---------
会社の定例会議とか売上げ報告会議などで、
「今期の数字」だけを、
唯、本当にそれだけを各部署が告げて終わる様な
一時間にも及ぶ、丸で存在意義を感じられない
名ばかりの会議をしている企業の存在を識る。
納得する趣旨説明とかを誰かが出来るのならば是非聴きたい。
少なくともそんなものが何に効果を及ぼし利益を生むのか、
何を信じて行っているのか予想を越える答えを聴いてみたい。
---------
『世の中ってのはこういうもんだから』
あまり仲良くない先達から繰り返し聴かされて来たが、
私自身は一回も色良い返事をしたことが無かったので、
「お前は駄目だなぁ~」などと言われ続けて居た。
後年、お互いの所属がそれぞれとなり、
その人が身体を壊す様な事態に陥り、
担ぎ込まれた入院中の病院からすっかり落ち込んだ声で私に泣きの電話が入った。
目茶苦茶に強氣な人だったのに、
「ああすれば良かった、これが駄目だった」」などと一時間近くも一方的に喋って、
それが此の世で私が聴いた、その人の最期の言葉になった。
縁も所縁も無い土地で、たった独りで逝ってしまった。
『こういうもんだから』
確かにそう云う場面も在ると感じています。
でも何でもかんでもそれが自分を納得させるマジックワードにはなりはしない。
---------
然したる目的も理由も無いのに、
相手の満足・不満足の為だけに従わされるのは此の年齢になっても難しい。
でも
「どこかの誰かが一所懸命に我慢して、魂をそのままにTOPになったら、
バッと世間を引っ繰り返してくれて、自分に棚ボタで恩恵が来ないものだろうか」
などと云うことは一回も考えたことは無い。
そんな妄想は虚しいだけでは無く、そう考えてしまうこと自体がどうも自分には楽しくない。
その誰かに自分がなるか、
それが出来ないのに他人様が変えてくれるなんてことに期待はしない。
喩え、そんなHERO風の人が現れたって私と同じ志とは限らないし、
大して知りもしないその人に与する氣も無いし、
自分自身が己の生活や生命の届く範囲のことしか解らないのに
全く違う境遇の人が何かを変えることをやってくれるとは全然考えられません。
どんな偉かろうと頭が良かろうと、
そこまで大幅に広い見識と回る頭を持ってるとは思えない。
ペテンは利いてるとは感じる人も居るけれど(笑)
---------
『 従 う 』 や 『 忠 実 』 と云う言葉に対してアレルギーの如く、敵対的反応する人が存在する。
その言葉や行為に叛するんじゃなくて
それを通そうとさせる相手の面構えを視て叛するのが本当ではないのだろうか。
システマティックに従わせるのは反抗して然るべきとは思うけれど、
そんなことを本気で思ってる程度の者が、
いつまでも悠々自適に生き続けていられる世の中じゃないと思ってます。
私は世渡りが特別下手で心配性なのでしょうか。
---------
何で集会で笑ってたのか。
こんな風に掻き集められて従っている自分自身が一番滑稽だから笑えてしまうのです。