今まで持ち合わせていなかった発想。
『手』の使い方を変えてみようとたった今思った。
道具を大切にすることはとても大事。
その道具を扱うのは他でも無い『手』。
この『手』は肉で出来た柔らかい人間の部品だから
壊れない様にと、痛みを感じない様にと考えて、
鍛えるつもりがいつの間にやら
単純に頭が回らなくて
粗雑に扱って来ただけなんじゃないかと思い直した。
物事の緩急やたおやかさを考えず
楽な方法を選び、逆に無駄にキツい思いをして
すっかり削れて小さくなってしまったかに思える。
自分の肉体と云う"ガワ(肉体)"は物質だから衰えていくし
中からどんどん壊れていくだろう。
人生はそうしたものだと思ってた。
ぶっ壊れたら終わり。
そんなリスクは死と同様、誰にでも平等に訪れる。
では"ガワ"だけ良ければ人を魅了出来るのか?
"この人と関わってみたい"と思うのか?
手の役割をどうして一つに限定しようとするのか。
どうして手の自由を自ら奪おうとしたのか。
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自分のことは"ユニーク"だと思う。
ユーモアが有るとか面白いって意味じゃ無い。
"変わり者"だ。
不良品なんてかっこいい言い方じゃ無くて"変な奴"だ。
最近一本独鈷で数年経ったので異質を自覚して来た。
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自分と云う個体が存在する意味を知りたい。
この手の使い方なんてのは
1歳未満でも普通は氣付いて
とっくにやってるのかも知れん。
今更他人に訊けないとはこのことなのだろう。
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誰に教えて貰った訳でも無いのに、人は立ったり、必要が有れば歩いたり、
疲れりゃ座ったり横になったりする。
自分と云う個体の優劣じゃ無い。
私にはこの考えに至るまでに45年必要だった。
そう云う個体なんだろう。それだけのことだ。
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これから先、何か変わったことが、面白いことがきっと起こる。
さぁ、また文字を書いて
自分の血肉で紡いだ言葉で
化学変化への冒険をしよう。
『かもめのジョナサン』を初めて読んだ少年の時、
喜びと恐怖が混ざりその場から走って逃げ去った。
そんな感情は人間が生殖で
人間を作れることを知ってしまった時以来だった。
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人間の性善と性悪。
ジブリ映画でほっこりしたと思えば
会ったことも無いモニタの向こう側の人間に
一瞥をくれるかの気軽さで悪意を向ける。
掌を返す様な変わり身を薄ら寒いと感じる。
勢いに乗って居る者を目ざとく見つけて頼まれもしないのに貢ぎ、
飢えて安全な塒(ねぐら)にも欠く者を軒下から追い払う。
倫理観?保身?昇進?利益?
シンプルでストレートなことと
安直な融通の利かなさの違いがまだ理解出来ない。
何でもかんでも「平等」だけを言ったら
歯を食いしばり頑張った者を食い物にしようとする者も現れる。
心配性か?ネガティヴか?ペシミスティックなだけか?
恐怖に敗けているだけなのか?
『自分はこう』が造り上げられず、
変化に柔軟と優柔不断のラインが曖昧。
ああそうか、これだけは解る。
幾ら外見を似せたって張り子は張り子。
虎にはなれない。
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反省は大切。
そのあまりに自分を否定し続けて来なかったか?
「こいつが悪い。こいつは悪だ」
そう言われ続けて直すことに没頭する余りに
相手の気に入るような取り繕いをする様になり自分の個性を殺す。
そんなものは人格の完成に向けて精進しているとは言わない。
極端にやって来た。
自分のポジションを作り上げてきた。
その価値観は悪だと、それを自分が「美しい」と思えなくなり去った時、
またゼロから始められる人間を殆ど見たことが無い。
二種類だ。
積み上げて来た自分を否定しない。
しっかりと地に足を着け、自分自身を誰よりも信頼して進む人。
そして、やり直すことを一切考えない者。
誰がなんと言おうとそれは順応じゃ無い。
妥協で惰性だと思う。
しかし「生きる強さ」に於いては自分よりも格段に上だ。
形振り構わず生きる強さを証明していくだろう。
そのどちらでも無かった自分はユニーク(特異)。
正しいか間違っているかでは無くマイノリティだ。
重複が無い。弱く小さい存在。
そこで壊れてしまうのはユニークでは無い。
"普通"の"極ありふれ"た"弱い人間"だ。
こういう葛藤は誰にでもある。
特異を自覚し強さを美しいと思うならば決して潰れてはならない。
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進化しようとしている。
進化の果てが滅亡だなんて考えて生きている生物はいない。
「強いものが生き残るのでは無い。
環境に順応し変化出来るものが生き残るのだ」
ってのは誰かの言葉だったろう?
いいこと言うではないか。やってみる価値は有る。