空と風と川の流れを. -8ページ目

空と風と川の流れを.

 空と風と川の流れを求め,素の自分を表現できたら良いなと.

 幼少の頃、確か、なにかのドラマだったと思うが、一人の女性の人生を3人の異なる女優が演じるというもの。たしか、紺野美沙子さんと京塚昌子さんとあともう一人誰かだったと記憶している。そのドラマの宣伝で、『明治、大正、昭和の激動の時代を生き抜いた女性の生涯・・・』というようなことを言っていたと思う。

 よくよく考えると、私自身も昭和、平成、令和という三つの時代を生きているということになる。とはいえ、昭和の時代は長く大戦もあったし、私自信は戦後の生まれであるし、いわゆる”激動”という時期を経験していない。しかも自身が学校を卒業して成人として社会を知ることになるのは平成の時代である。しかし、友人たちは私のことを”昭和の人”と呼ぶ。なぜかはわからない。単純に考えが古いのだろう。

 

  幼少の頃、まだ昭和の時代にはリアカーに大きな味噌樽を積んで漬物を売り歩く年寄りをよく見かけた。その様子を母はじっと見つめていた。元来、漬物というものは家で作るものだったと思う。母は大きめの甕から糠が付いたきゅうりなどの野菜を取り出して食卓に出していたと思う。そうでない場合は、漬物を専門とする小売店で買えた。そういう店では、大きな味噌樽いっぱいの糠が入っていて、店の主人はその中から漬物を取り出してビニール袋に入れて売っていた。今思うと好き嫌いが分かれる糠の独特の匂いがフロア全体に立ち込めていて、よくクレームなどなく営業を続けていられたと思う。おそらく当時は糠漬けというものはそういうものという一般的な認識があったのだろう。

  私自身の考えとしては、こういう食文化は失われるべきではないと思う。もちろん医学、栄養学の進歩から昔には受容されていたものが淘汰されることもあろうだろう。しかし、昔ながらの食品や加工は現代でも通用するものがあると思うし、複雑な化学的議論を抜きにしても、美味しいものが失われるのは残念に思う。

 

 改めて、自分は昭和の人間だと思う。自分自身が昭和からアップデートできないでいる。人間的にも思考的にも。なぜかわからない。もう一つシンプルに言えることは、ただ単に自分自身は食いしん坊だと思うし、善きにせよ悪しにせよそういう風に親に育てられたのだ。

 

 というわけで、思い立って糠漬けを作ることにした。

 NYに日本の米を扱うお店があり糠も扱っていた。通販で必要量の糠を購入して、さっそく自宅で糠漬けを作ることにした。

 糠漬けを作るためには時間がかかる。まず、”ぬか床”を作らなければならない。昔の人はこんなことを当たり前にやっていたんだな。

 二月末、今回は1kgの生米糠を購入した。米糠1kgに対して塩が13%、130g。水は糠と同量。

 そして、味付け、風味付として出汁昆布、鰹節、煮干し、鷹の爪、そして野菜の切れ端など捨て野菜を混ぜ込む。

 この状態で一日に二度、糠をかき混ぜること10日。捨て野菜や風味付のものを4、5日に一度交換する。

 10日を過ぎたら一日に一度かき混ぜる。その頃には乳酸菌が増えて糠独特の匂いが強くなってくる。そして、この頃からいよいよい食べるための野菜を漬け込むことができる。

 どうしても食べたかったのが、大根の糠漬け、そして、きゅうり。やってみた、ここまでくれば、小さいものでは半日、大きいものでは丸一日で糠漬けができるとのこと、。

 で、大根を付けて早速食べてみた。

 美味いという感情よりも、ああ、昔はこんな香りと味だったなぁっと思いだす。確かに塩辛過ぎるところはあるが、今後繰り返し野菜を入れていくことで野菜の水分がその塩分を薄めていってくれるだろう。

 なによりも、大根がそれらしく「しなびて」いたのだ。そのしなびれた大根なんてお店で売っているものしか見たことがなかったし、ここ何十年、見る機会がなかったように思う。

 

 ぬか床作りから三週間が経過した。

 

 大根を輪切りの半分なら丸一日、きゅうりなら半日、茄子も半日ぐらい。当初は塩辛さが先に出ていたが、今では塩辛い中に甘さも感じるようになった。熟成してきたのだろうか。

 糠漬けができあがるまで時間がかかるし毎日の混ぜる作業もめんどくさい。なによりも、野菜さえあれば、持続的、継続的に漬物を得ることができる。言い過ぎかもしれないが、最も好きな料理を食べるということは「自分が自分でいるために」大切なことだと思う。ソウルフードとでもいうのだろうか。不思議とそういう食べ物は精神的にも肉体的にも元気にしてくれる。

 

 なぜ、このようなことをしているのだろうか。そこに疑問をあえて持たないことに意味があると思う。

 毎日、変わらないことを当たり前のように行う。これも修行。自分に向き合うことなのだろう。そう思うことにしている。

 α7CIIを買ってから、発色やコントラストやいろんなことをあーだこーだと考えている。レンズに対してもどのレンズがいいとか、色収差、ボケ感がどうこうといろいろ考えていると、だんだん嫌気がさしてきた。

 5年ほど前にα7RIIを買ったときはその写りに素直に感動して、あまり深く考えずにいろんなものを撮っていたな、考えるすぎることで面白みがなくなってしまっている。それは本末転倒だな。

 そこで、一度原点に戻ってみることにした。

  

 α7RIIを入手したと同時に買ったのがソニー50mm FE f/1.8という一番安い単焦点レンズ。いわゆる撒き餌レンズと呼ばれるものだが、α7CIIを買う資金にと売ってしまったが、あの素朴な写りがやっぱり良いと思って、今回一度買い直してみた。今度は新品。

 

 今日手元に届いて、早速室内で試し撮りしてみたのだが、やっぱりこのレンズ好きだなと思う。必要にして十分だと思うし、しっかりボケてくれて、そりゃ自分はプロではないので細かいところはわからない。

 結局のところ、釣りにいくときの動画と静止画を一本のレンズで全てやってしまおうとする場合、35mmのレンズ一本でいいと思う。ただ、そのときにも、印象的な一枚を撮りたいとするならば、このレンズは自分の好みに合うんだよね。

 

 実際、α7CIIに取り付けてみると、このレンズはかなり軽くて小さい。ぴったりだと思う。α7C用に作られた40mm F2.5

や50mm F2.5もかなり小さいと言われているが、この50mm F1.8はプラスチックを多用しているためかかなり軽い。これでええやん?って思う。

 しばらくカメラ散歩にはこのレンズを使いまくってやろうと思う。

 


 

 今日で米国で働きはじめて15年が過ぎた。

 長くいるもんだ。

 諸事情があって帰りたくても帰れない状況が続いている。もう日本には8年も帰っていない。

 

 しかし、

 正直な気持ち、もう15年?って気持ちである。あっという間だったな。歳いったからだろうか。

 なによりも、日々、当たり前のように日々暮らしている。

 

 アメリカでは一年から数年の期限の契約で仕事をして、仕事が認められれば契約を更新してもらえる。まるでスポーツ選手のようだと思う。そういう意味で、これだけ長い間仕事を続けられてきたのは実力よりも幸運としかいいようがない。それだけである。

 しかし、その幸運だと思っている間にそれなりにコンスタントに仕事をしてスキルアップしてこなければ、そのうち運も尽きてしまうと思う。研究職であれば尚更、『停滞は後退を意味する』のである。それも含めて幸運だったなと、最近つくづく思う。

 

 まだ身体が動く間に日本に戻ろうかと思うけれども、研究という仕事の性質上、次から次へと新しい課題が出てくるのでなかなか区切りをつけられないのも事実である、つまり、おもしろいんだ。学ぶことはたくさんある。

しかし、ええ加減、踏ん切りをつけないとなとは思う。わかってるんだけどもね。

 

 

 ただ、朝のコーヒーを飲むその時間だけは自分のもの、至福の時間。