空と風と川の流れを.

空と風と川の流れを.

 空と風と川の流れを求め,素の自分を表現できたら良いなと.

 

 ふと手元にあったレンズ、Leica Summicron-R 50mm F/2というレンズ。
 いつ入手したのか、どれぐらいの値段をしたのか覚えていない。まだフィルムカメラをメイン使っていた時代だった。
 ライカはMシリーズのレンジファインダーカメラがあまりにも有名なため一眼レフについてはあまり有名ではなかった。実際、当時はミノルタとコラボレーションしていたため、Rシリーズの一眼レフと一部のカメラとレンズはミノルタが製造していたということは知られている。その時代のレンズ。

 

 どんな写りをするんだろうと徐ろにα7ciiに付けて撮ってみた。

 絞りはf2.2。カメラ側はFL(フィルム)モード。White Blanceは4600K。

 

 結果をみて驚いた。こんな写りするんだと。フォーカスしているエリアはかなりシャープ。中心から周辺にかけての自然なボケ。正直言って、ゲっ、すげ、って思ってしまった。

 

 改めてシリアルナンバーから製造年代を調べてみると、1970年製。そこで思い出した。昔、フィルム写真をやっていたときに、Leicaflex SL2というカメラを入手してこのレンズを使っていたんだ。もう10年以上前の話だったと思う。

 

 一旦、気に入ってしまうとこのレンズばかり使いたくなってしまう。

 今度はα7RIIにつけて撮影してみた。やっぱりいい写りがする。白飛びしないし暗いところも真っ黒にならない。焦点があっている周辺ではしっかりとシャープに写っている。理想といえば理想的なレンズだと思う。ただ問題なのはManual Focusであるというぐらいか。1970年代だよ。これ。もう50年以上前のレンズだよ。すごい技術だよな。

 

 ということで今後しばらくはこのレンズで撮りまくると思う。

 

 月日が流れるのは速いもので、V90 Cross Countryを買って一年になる。

 

 「どうなんだろう。この車のことが好きになれるんだろうか」と思いながら1年が過ぎたように思う。

 

 自分の過去の車の遍歴で、もっとも気に入った車はなんだったんだろうかと考えると、渡米する直前まで乗っていた1993年製ボルボ940GL Estateだったように思う。本当に乗り心地がよかった。

 乗り心地と言う面ではV90は劣る。シートの角度など設定がいまいちなのだろうか。

 940/960のから考えると、V90はフラッグシップカーとして引き継いだものになるので、車格という意味では同じと考えていい。

 よくよく考えてみると、V90Cross Countryは日本円で一千万円近くする車なのだ。中古とはいえ、そんな車なのだから悪いはずはない、と思ってる。

 

 気に入っている点、気に入らない点に分けて書いていくと、

 【気に入ってる点】

  •  インテリアと革シート。明るい茶色の革シートはかなり贅沢に見える。
  •  思ったよりスピードがでる。ドライブモードがEconomy, Standard, Performance, User setting、そしてOff Roadとあるのだが、Performanceモードにすると、かなりパワフル。2000ccのターボエンジンはよく走ってくれる。
  •  外見のデザインはまあまあか。

 【気に入らない点】

  •  エンジン音がけっこううるさい。せっかくの贅沢車なんだからもう少し静かにしろよって思う。
  •  いらない装備が多い。
  •  ダッシュボックスの中に飲み物を冷やすためにクーラーの風が入るようになっている。
  •  夜にリモートキーでロックを解除すると、ドアノブや地面に灯りがつく。室内には紫色の小さな室内灯がつく。暗いラウンジじゃないんだから。
  •  オーディオのサウンドはいまいち。臨場感もなければ重低音が効いているわけでもない。もうちょっと良いスピーカーがなかったのかとも思う。

 

 そんなもんかな。

 総合的に考えると、まあまあ気に入ってる。元々車なんてパワステとオートエアコンと方向指示器さえついていればなんてでもいい思ってるほうなので、V90はそれに比べてはかなり贅沢な車だと思う。

 どちらかというと、「好きになってやらなければいいけない」と思ってる。 

 なにが不満なんだ?不満なんてないだろう。

 自身の年齢的にもこれぐらいの贅沢な車を乗っていてもいいとは思う。

 米国で一人で生活しているが、友人がいるとなにかと心強い。友人といってもその土地の人である。

 それは直接何かを頼むとか、頼るとかでなくても、「なにかあったら助けてもらえるかも」という安心感である。

 一人で知らない土地に引っ越して、周りに知り合いがいないと、どこにどんな店があるか、どこの病院がいいかなど尋ねられる人がいるというと心強いのと同じ意味である。

 

 ナンシーさん。

 私が勤務している大学の別部門の超ベテランの技術員っだったが、3か月前に引退された。御年75歳。途中途切れたものの合計40年ほど当職を続けて来られた人。

 

 今の職場にきて、しばらくしてナンシーさんに一つの実験をお願いすることで会った。自分が日本人だというと、最初の一声が「お好み焼をつくれる?」だった。

 というのも、ナンシーさんのご家族が1980年代にご主人がUS militaryの軍人さんだったことで追浜に住んでおられたとのこと。それゆえ、彼女の食の好みはかなり日本食寄りなのだ。週一で行きつけの寿司屋に行き、家には象印の5合炊きの炊飯器があり、醤油はもちろん味醂の使い方も知っている。

 そのせいで、彼女の娘さんと息子さん、さらにはお孫さんまで日本食に抵抗がない。自家製の納豆を持っていったら、お孫さんは「おー」と言いながら速やかに炊飯器からご飯をお茶碗によそり、納豆を海苔に巻いて醤油をちょっと付けて食べて「うまい」と言う。

 それだけではない。彼女の家にはどこで見つけたのか知らないが茶箪笥があり、中には茶器、ラーメン鉢が収納されている。お茶を淹れるときは南部鉄器の茶瓶を使う。

 

 おそらく彼女ご自身、日本では滞在地で大変親切にされたのだろう。そして日本が大好きになったのだろう。

 だからこそ、私にもとても親切にしてくださったのだろう。仕事上の依頼にも無理をきいてくださったし、詐欺に遭いかけたときも警察や銀行への報告など手伝ってくださった。さらには家族のパーティーにも度々招待してくださった。

 

 先週、彼女が寿司屋にいこうと誘ってくれたが、それよりも彼女とご家族にどうしても料理を振る舞いたくなったので皆に集まってもらった。寿司桶に入れたちらし寿司と、小鉢のおそばを食べてもらった。あっという間になくなった。ものの20分程度だった。

 

 彼女はここサウスカロライナ州チャールストンで生まれた人。先日彼女は街を去った。以降、テネシー州の山間の街に住むとのこと。

 ここにはどれだけの思い出があり、どれだけの寂しさを胸に街を後にしたのだろう。

 もう直接会うことはないかもしれない。ただただ、健康に長生きしてくださることを願うばかり。感謝。