空と風と川の流れを. -7ページ目

空と風と川の流れを.

 空と風と川の流れを求め,素の自分を表現できたら良いなと.

 もともと4月には釣りに出かけたかったのだが、頼まれた仕事や自分自身の案件も次から次と入ってきてたこともあってなかかなか出かけることができなかった。そのまま仕事をしていてもよかったとは思う。それなりにストレスなく仕事をしていたし、やることは山ほどあったけれども。しかし、ここらで一度リフレッシュしてさらに仕事にプラスになればと思い思い切って出かけることにした。今回も行き先はノースカロライナ州チェロキー。 

 

 チェロキーへの釣りの旅ももう何度も行っている。出発する時間帯、途中立ち寄る食料品店、途中昼食に立ち寄る場所などほぼルーティン化している。

 チャールストンからハイウェイI-26を西へ進み、約3時間走ったところでサウスカロライナ州からノースカロライナ州に入る。そこでハイウェイから降りて食料品を買い込む。今回は釣れた魚を切り身にしてアヒージョを作り、その様子の動画を撮影しようと計画していた。その材料と朝食用のパン、果物などを買い込む。

 一日目は運転のみ、二日目は寒いのであまりモチベーションが上がらず、魚も出てこない。数時間のみ釣りをしただけ。三日目、少し暖かくなったので川に出た。

 三日目の朝、幾分寒さは和らいだようだった。これなら今日は釣りになるだろう。川は春らしく流れが重く速い。ということは魚は流れが緩い場所にいるのだ。しばらくするとやっと魚がアタリ出した。そして釣れたのがしっかりとした重さのあるマスだった。

 その魚、

 鱒はさかなへんに尊いと書く。魚として気位が高いという言い方もあるそうなのだが、鱒は釣れてから魚に敬意を示すといわれている。毛鉤に食いついてからのその後のやりとり、ファイトとも言うが、そのやりとりが長ければ長いほど体力が奪われ、最後には「降参」という感じでこちらに身を委ね、魚は落ち着いた状態でいるのが普通なのだ。

 しかし、この魚は、なんだかとても機嫌の悪そうだった。やりとりしているときからも魚がやたらと嫌がって逃げ惑っていた、手元に来て写真に収めようとしても、こっちを向かない。まるでそっぽを向いているような顔つき。その後、川に戻すときも魚が疲労というよりも、「ふんだ、ぼけっ」という感じで水に戻っていった。これが人間だったら「感じ悪い人やなぁ、なにあの態度?」って思うだろう、そんな魚だった。

 午後、四時ぐらいになってから昨日見つけた場所で釣りをすることにした。

 いい流れだ。しかしキャッチアンドリリース区間ではない一般の場所。それほど大きい魚はいないだろうなと思ってはいた。

 実は今回の釣りには一つ計画があった。釣った魚でなにか料理を作って動画にしようと画策していたのだ。

 しかし、実際に釣れたのは、一人では絶対食べきれない50cmクラスのメスの虹鱒だった、この季節、腹に卵を抱いているかもしれないので、逃すことにした。

 そして、また別の場所に移動して釣りを続けた。今度はそれほど大きくはな虹鱒が釣れた。

 しかし、その虹鱒はあまりにも体色が鮮やかで、くっきりとした斑点に赤い線。こんな綺麗な魚を殺して食べる気にはなれない。そう思ったのでやはり川に戻した。

 結局、予定していたアヒージョには虹鱒の代わりにオイルサーディンを使うことにした。それはそれでまずまず美味しかった。

 

 今回は運転しているときもキャンプ場で釣りをしているときも常にどこかで仕事のことを考えていた。いつもは旅をしているときはできるだけ仕事のことを頭から排除するのだが。しかし今回はのんびりしながら仕事のことを考えるのがどこか心地いいのだ。つくづく自分は気ままな生き方をしているなと思う。

 最終日、四日目は朝から雨になった。そこそこ雨足も強い。仕方がないのでテントを片付けて帰路についた。

 

 あとから釣れた瞬間などを思い返してみると、確かに釣りをしているとき、特に竿を握っている竿に魚の重さを感じているとき、そして釣れた魚を見つめているときは自分自身に戻っている。頭のほぼ100%仕事のことを考えているのだが、50%ぐらいは釣りをしている本来の自分に引き戻される、というより思い出させてくれる。

 

 次は7月くらいか。

 

 

動画も作ったよ。観てやってください。

 

 

 

 

 

 釣りの際の動画と静止画を一本のレンズで全てやってしまうためには35mmレンズが適していると思う。35mmの画角は72°程度であって、広すぎず狭すぎず、周囲の風景取り込みつつ写したいももしっかり録画するといった動画にちょうどいい。静止画を撮るときは好みが分かれるだろうけど、35mmという画角はまあまあええかなと思える。

 

 ソニーα7Ciiについて、さまざまなレビューを調べていると、やはりというか感じていたことが書かれていた。

 デジタルカメラはセンサーで感知した像をそのまま出力するわけではなく、内部の画像エンジンと呼ばれるプロセッサーで処理されたものをSDカードに転送して記録する。そこに写りの特徴が反映されるのだが、どうもα7Ciiはその設定を静止画ではなく動画向けに設定してあるというのだ。真偽はわからないがそうなんだろうなと思える点はいくつかある。なるほど、静止画を撮影する場合にはどこかシャープネスが甘いというか全体に眠くなりがちというか。かなり設定を弄って記録するという作業が必要になるのだが。これがローパスフィルターの影響というレビューも見かけた。α7Riiと比べても写りはかなり違う印象をうける。

 

 じゃあ、もう少し35mmレンズについてもう少し吟味したほうがいいと思って考えたみた。FE 35mm f/1.8の無印、FE 35mm f/1.4 Zeiss、FE 35mm f1.4 GMなどなど。そこで行き当たったのがSigma 35mm F/2 dg dn Contemporaryというレンズ。

値段はサードパーティだけあってまあまあ手頃。ネットで出てくる画像は自分好み、十分シャープであり、収差も残っている。ボケは渦巻きボケではないけど雑というわけではなさそう。

 しかし、以前にSigma 45mm f/2.8 dg dn contemporaryというレンズを使ってみてその写りに良い印象はない。サードパーティを買ってまた同じ失敗と残念さを味わうのは嫌だなぁと思っていたが、どうも、45mmのそれとは写りは全く別物のようだ。

ほんと、このレンズを買うかどうかについてはかなり吟味した。決定するきっかけになったのは、自分が過去に撮った写真をAIにアップロードしてみてどのレンズで撮ったもので、そのレンズと近いものはどれか検索したところ、やはりSigma 35mm f/2が筆頭に出てくる。で、最終決定は趣味レーションしてみてα7Riiで撮影したものと遜色ない結果が出そうだということだったので、購入してみた。

 ところが、α7Ciiの設定は全てデフォルトにして撮影してみたところ、あかんわ、と思ってしまった。

 開放f2で撮影してみたところ、なんだか写りがシャキッとしない。緑色の彩度が少し高めにでる。全体的に眠いので落ち着きがない。なーんだこの程度かと思ってしまった。Sigma 45mm f2.8と同じような写りだなぁと。このレンズの方がわずかにシャープか?っていう程度。

 で、いろいろ設定を弄って、自分の好みの写りを作っていく。めんどくさい。

 Creative lookをNaturalにして、シャープネスを上げて、彩度を少しさげる。Shadowを下げて影の黒さを強調させて、コントラストも少し上げる。ホワイトバランスは寒色系4000kぐらいにして、、、などなど。

 少し、マシになったかなと。これぐらいなら使ってもええかなとは思うけど、この写りなら料理の撮影なんかには使う気になれないなぁ、などなど。それはレンズの個性なので仕方がない。

 

 ただ、レンズっていうのは外に持ち出して使ってみて初めて性能がわかる面もあるので、このレンズは少し使い込んでみようと思う。

 

 

 元来、自分はPCとか機械とかそういうものが嫌いなのだ。むしろアウトドアを趣味で野山で遊ぶことに喜びを感じる。そして釣りがなによりも好きな”自然派”であり、機械物とハイテクからは対局な嗜好を持つ人間なのだ。

 また、事物に関してもアンティークや昔のものを好む。映画や音楽にしても古い映画を好む、古い人間、そのものなのだ。

 

  しかし、仕事柄、職場のメンバーはもちろん、他人からはハイテクに精通した人間だと思われている。それなりに最新の機器を使って実験したり、そのデータをPCを使って解析して論文やプレゼン用の図表を作ったりしているものだから、そう思われるのだろう。そのことに違和感を感じている。それは、そのハイテクやPCを扱えるもっと凄い知識を持った人を知っているからでもある。高校の時から生物学に興味を持ったので、理科の選択は生物学を選んだ。一方で、理系クラスの多くの人は物理学を選択していたので、自分自身は物理学のことなんて全く知らず、どちらかといえば苦手なのだ。その理系クラスに”電子工学クラブ”に所属している生徒が何人かいて、壊れたウォークマンを見せると、「ちょっとまっとき」といって、筆箱の中から精密ドライバーと小さなハンダごてを取り出してちゃっちゃと直してくれた。そのとき、自分には到底できないことだと思っていた。

 大学に入ってから、一人の先生に、「研究職に就きたければPCを使えるのは必須条件やで」と言われた。そういうものかと思いつつ、大阪日本橋のPC店でノートパソコン一台を買いに行った。1993年のことである。

 また、PCのプログラミングも同じく、自由自在にプログラムを組んで処理している人なんかは尊敬するどころか別の世界の人間だと思っていた。当時、NECのPC9801シリーズが普及していて大学の教員はみんな使っていた。友人も買って自宅で使っていた。

 私自身最初に買ったPCは東芝のダイナブックの初代モデルだった。いざ買ってみたものの何をどう使えばよいか全くわからなかったので早々に手放した。

 大学で、「情報科学」の講義を選択してPCを使わない情報整理を学んでいくうちに朧げながらPCの使い方がなんとなくわかってきたので、満を侍して再度、東芝ダイナブックを購入した。当時そこそこハイスペックだった2MぐらいのRAM。ワープロソフト一太郎や画像作成ソフトの花子、表計算ソフトのロータス1−2−3など定番のソフトをインストールした。そして決定的に勉強のやり方を変えたのが、カード型データベースソフト(名前を忘れてしまったが)を使い始めたことだった。

 日々、学んだことや思ったこと、専門書なんかで調べたことを片っ端から入力していって、そしてレポート課題などに対してはその入力した内容を一気に書き出し、編集してレポートにして提出していた。それまで、一週間ぐらいかかっていたレポート作成作業が2時間程度でできるようになった。

 

 それでも、PCのプログラミングは自分にはできなかったのである。

 

 プログラミングに最初に挑戦したのが学校で仕事し始めたときに、実験で得た波形データを特殊なBASIC言語を使って処理するというものだった。一応やってみたものの、自分でプログラムを作り直すとか修正するとかは全くできなかった。誰かが作ったプログラムを使うのがせいぜいだった。

 

 その後、通信制の大学で「プログラミング入門」という科目を取ってみたが、二度選択して二度とも試験を落として結局単位を取得することができなかった。

 

 今年の一月、新年の挨拶に、大学院時代の教授と電話で話したのだが、教授はすでに定年退職されていて年齢は80歳。最近は、ボケ防止にPythonを勉強しているというのだ。その目的は?と尋ねてみると、プログラミングを組んで、神経回路の働きをシュミレーションするのだというのだ。なんと、研究に対するモチベーションが高いんだろうと敬服どころか畏敬の念さえ覚える。

 

 そして、今月はじめ、職場のボスから、ある一つの画像解析の依頼があった。他大学のその分野の偉い人から送られてきたデータで、薬剤の効果を数値化して評価してくれないかというものだった。

 当初、「あ、はいはい、やりまっさ。」という感じで請け負って、これまでの自分がやってきたやり方でさっさと解析結果を送り返した。先方は喜んでくれた。

 だが、なんだか腑に落ちない。つまり「これでいいのか?」という疑問が湧いてしまったのだ。

 見た目、病変が減って確かにその薬剤の効果が出ているように見えて、その病変部位の数と大きさを比較したのだが、それだけでは、その臓器の形態や性質を反映していない。基本統計量で比較するだけでは、空間的分布の変化やダイナミズムを表現できていないのだ。これでいいのか?と。そこで、画像の空間的特徴をそのまま数値化できる解析。。。そうだモンテカルロ法だ。思い出したのだ。

 どうすればいいのか?普段使っている統計ソフトでできるのか?などいろいろ調べていくと、Pythonでできるというのだ。

 早速いろいろ調べてみるとなるほど、できるようなので早速PCにインストールしてやってみることにした。

 今の時代、プログラミングも便利になったよね。昔なら一行一行プログラミング言語を理解しながら進めなくてはいけなかったのに、最初はこれ、次はこれ、という感じでライブラリをコピペしながら進めていくと、それなりにできたのだ。

 これまで、なんどもなんどもプログラミングに挑戦してきたのに、やっとそれなりにプログラミングができるようになったのだ。しかも、そのワークフローと原理のようなものもそれなりに理解できたのだ。そういうことだったのかと。

 だからといって、この画像解析の一連の手法については自分が世界初というわけではないし、プログラムを一から組めと言われれば到底できない。そういう意味で、プログラミングができます!なんてどの段階から履歴書に書けるのだろうか、と疑問に思うのだが。

 

 とはいえ、自分にとってはこれは大きな進化なのだ。多くの人が当たり前にやっていることで、自分が苦手にしていることをそれなりにできるようになったのだ。特に、自分の専門とする顕微鏡での観察と画像解析に一ランク上のことが実現できることになったのだ。それも直接、論文の質的アップにつながる。
 やりぃーーーってひとりよがりだけれども、仕事のモチベーションがあがっている。もう55歳だよ。