今年ももう残り少なくなった。
【仕事】
今年、仕事に対して、安定して集中していたと思う。自分でいうのもなんだが、『職人』的にアウトプットを継続できたと思う。さらに、独自性、オリジナリティを押し出すことができたと思う。我々は通常、一年毎あるいは数年毎の契約で仕事をしている。結果を出せなければ、あるいは一定のレベルかそれ以上のアウトプットをしていけなければ簡単に仕事を失う。しかし今年に入ってからはそういうプレッシャーを感じつつも自分のレベルにある程度の自信を持って仕事を推し進めることができたと思う。
あくまで、自分自身の個人的なことであるけれど、自分自身、20歳代に経験した失敗、その失敗からの挫折感とコンプレックスを持ち続けてきた。今年の9月のある日、突然昇進が決まった。これまで自分の昇進については人事的、立場の問題もあって長らく放置されてきた。はっきり言って不当な扱いだった。しかし給与面では問題がなかったので、その扱いについて不満を持ちながらもあまり気にしないように努めてきた。しかし、今回の昇進で得た肩書きははっきりいってあまり馴染みのないものだった。しかし、いろいろ調べてみるとかなりのジャンプアップ、そして自信のこれまでのキャリアを考えると妥当といえるものだった。
そのことに気づくと、その20代から持ち続けてきた劣等感や学歴コンプレックスなどが心の中から消えていった。つまりやっとのことで『乗り越えた』のだ。自分の心の中に持ち続けたヤニというか泥のような痞が消えていくように感じた。
そう思ったのも束の間、立場が変わったことで、自分のやりたい仕事が上から制限されてしまい、職場のプロジェクト以外の活動が認められず、また、後輩や新人の指導を一気に任せられることになった。そのせいでフラストレーションが溜まってしまい、これにはまいった。昇進も良し悪しである。
【釣り】
今年からYouTube動画の作成を開始した。
最近はMacでいうiMovieのような使いやすい動画編集ソフトがある。こういった動画編集ソフトを使うことで誰でもそこそこ他人に観てもらえるような動画を作成できるのだ。便利な時代になったものだ。
単純に、フライフィッシングの動画に見かけるような「初心者のための。。。」とかそういうものではなく、また逆にメーカーが作った釣り番組のような「大自然に抱かれて・・・」とか「過酷な自然に立ち向かう・・・」とか感動を押し付けるようなものだけは作りたくなかった。ただ、釣りの楽しさと釣りと自然のから得られる癒しの時間を純粋にまとめたいと思ったのだ。
そういったコンセプトで、四月の釣りから動画を作り始めて、釣りの動画7編、毛鉤作成動画を15編をYouTubeに載せた。
あいにく、フォローをしてくれている人、視聴回数もそれほど伸びてはいない。収益なんて程遠い。しかし、ある程度フライフィッシングの楽しさを映し出すことができたと思うし、釣りを行く前から、どんな動画を作成するかを計画し、釣りをしているときはもちろん、家に戻ってきてからもまだ釣りの場面を思い出しながら作るという新たな楽しさを得ることもできた。
【写真】
動画を作り始めたことで、写真、つまり静止画はあまり撮らなくなった。
実際、動画と写真はほぼ全くといっていいほど考えが異なることに気づいた。
例えばレンズ。写真では50mmのレンズが標準とされているが、動画としては24mm〜35mmが標準といわれる。その使いわけと考えの切り替えに戸惑うことがある。
さらに、メッセージ性というかストーリー性を持たせるという意味では写真と動画では大きく異なる。写真は静止画なのでその一枚でストーリーやメッセージを表すように撮影するが、動画では『時間』と『音』という要素も加わるのでストーリー性やメッセージ性は時間という軸を通じて映し出すことができる。どちらも難しいのは変わりないが。
でも、釣りをしながら動画も写真も撮るっていうのはとても忙しい。のんびりしたい時間なのに。そこはどう割り切るかが課題である。
【全体として】
今年の元日に自分の人生にとって非常に大きな問題が持ち上がった。
その意味で、今年は一言でいうと『困惑』と『忍耐』の一年だった。
非常に抽象的な言い方になるが、
自分自身を信じ、そして誰かを信じる。何事も『信じる』ことが大切なことなのだと、そういうことを学んだ一年だったのかもしれない。これも、自分にとって何か意味のあることなのだろう。
来年はどんな一年になるのか今は見えない。ただ、寡黙に生きたいと思う。