今年ももう残すところあと僅か。あっと言う間の一年だった。そう思うのは歳がいった証拠なのだろうか。
しかし、今年ほど充実した一年はなかったように思う。
仕事はとてもきつかった。肉体的にも精神的にも。プレッシャーが強く必死だった。必死とまでは言わないけれども歯を食いしばり自己を奮い立たせ続けた一年だった。そんな日常でも中でも釣りにいった。今、この一年を振り返るとなんだかんだいいながらも楽しかったと思う
【仕事】
今年は、別部署の仕事でのトラブル、スタッフとの衝突から一年が始まった。これまでの自分ならそんな衝突や揉め事に喰ってかかって行ったものだが、上司や部門長に言ってその後の処遇を任せた。言い方を変えれば組織に属する人間なのだから組織としての対処を求めた。自分としてはつまりめんどくさかったのだ。結果的にその部署の仕事を放棄したので気持ちが楽になると同時に本来の研究に集中できた。
だがしかし、今年は一本も論文が出ていない。そこは残念で悔しいところである。
今年は本格的に研究資金の獲得を目指しはじめた。先の本ブログでも書いたが、研究者として独立するためには個人の研究費を獲得して自分の給料を賄う必要がある。これは大学の教員であればもちろん、大学院生は自分の学費を稼ぐためとしても多くの大学人、研究者が取り組んでいることである。自分自身これまで博士研究員として雇われて研究業務を遂行しているだけであったが、経験年数も論文数などの条件も満たすようになったことで、ボスから研究費の獲得を命じられた。
先の本ブログでも書いたが、これが非常にきつい作業だった。自分の英語能力の低さが最大の問題なのだが、なにもかもが新しい取り組みだった。ボスからはダメ出しをされ、苦言と嫌な顔をされながらも英文と内容の修正をしてもらえた。二月に最初の申請をして結果は惨敗。八月に別の団体が公募している研究資金にも応募してみたがそれも敗退。そして11月中旬に二月に退出した申請書を改善して再度提出した。
キツかったとはいえ、この申請書作成の仕事は嫌いじゃない。日常の研究活動から気づいたことを、自分自身は気づいているが、まだ世界の誰もが証明していないアイデアを文章に落とし込んで、それを実験を通じて証明していく方法を戦略として書き綴っていく。つまり、研究者のアイデアを文章化、具体化させていく哲学的なプロセスであり最も研究者らしい仕事だと思う。そう思えるからこそ楽しく思えた。
【釣り】
8年前に現在の職場、街に移ってきて以来、それほど釣りをしていなかった。元々好きな川の鱒釣りをするためには最低車でも2時間、まともな釣りができる川にいくためには4時間はかかる。宿泊費と時間を考えるとなかなか釣りに行くことができなかったのだ。ところが昨年から収入が少し上がり、時間にゆとりができた。仕事のペースも落ちてしまった。一時期、砂浜からのサーフの海釣りをやっていたのだがいつのまにかしなくなった。
仕事のプレッシャーとストレスを日々感じながらも、収入が少し上がった。また、それなりに職場でも信頼のようなものも得てきた。でも心はどこか充たされることがなかった。なんのために仕事しているのだろうか、という気持ちがあった。その理由がやっとわかった。好きな釣りが無かったのだ。リフレッシュする機会が無かったといえばそれだけのことなのだが、そんなことにさえ気付かなかった不器用な自分がいたのも事実だったのだ。
それがある一人の人物との出会いが大きく変わることになる。
今年の三月頃だったか、運転免許の更新のために地域の運転免許センターに言ったとき、一人の人物に日本語で話しかけられた。彼は日本の釣具メーカーの米国営業所の駐在員とのことだった。彼はあらゆる釣りを経験している筋金入りの釣り人だった。彼と話をしていると釣りに関して話が尽きることがなかった。彼との会話の中での釣りの話はまるでボディーブローのように心だけでなく体にも熱くなってくる自分があった。それほどその人物との出会いは自分にとっては革命的な出会いだった。
そして五月、とりとめなくなし崩し的に仕事に流れる気持ちを止めて無理やりアパラチア山脈の東南部、ノースカロライナ州チェロキーの川に向かった。
そのチェロキーの川はキャッチ&リリース区間があり大きいニジマスとブラウンがいる。それが自分のやり方、ウェットフライの釣りなのだが、それで大きい魚が釣れてくれる。面白くってたまらない。かなりハマってしまった
それからは、1、2ヶ月に一度のペースでチェロキーの川に通った。宿泊費を節約する目的もあってキャンプも始めた。
日本ではCovid-19の影響でアウトドア、キャンプが流行っているらしいが、それとは関係なくキャンプを始めた。
日本にいるときは、あちこちで車中泊やソロキャンプをして長野、岐阜で釣り歩いたものだが、渡米してからは一度もなかった。どのようにすればいいかわからなかったのだが、これも知り合った日本人釣り人のおかげでキャンプ場を利用方法を知って可能になった。なによりも、ホテルを予約すれば一泊100ドル近くするのだが、キャンプ場でテント利用なら一泊50ドル程度であり節約にもなる。それ以上に道具や準備にお金がかかるので大きな節約にはならないのだが。それでも、キャンプしながら釣りをするという日本でやっていた営みとその気持ちが蘇ってきた。
渡米して12年、やっと思い通りの生活、仕事と釣りがある生活。
久しぶりに多くの釣り道具にお金を費やした。あまり釣りをしてこなかったために、釣具の多くと消耗品が劣化して交換、刷新する必要があった。
また、釣りの際に使うカメラにも再び興味が出てきた。富士フィルムのX-pro1あるいはソニーのα7r2を防水バッグに入れて魚が釣れたときはもちろん、風景など思いむくままに撮るのだが、自分としてはなかなか気に入った写真が多く撮れるだからこれも楽しい。
年末になって、ほとんど衝動買いだがソニーα5100を入手した。このカメラについては前記事に書いたので、ここでは割愛するが、この初心者向けのα5100で美しい魚と自然の風景を撮影することを今から楽しみにしている。
【その他】
今年の7月、安倍晋三元内閣総理大臣が遊説中の奈良で殺害された。日本のメディア、新聞では『死亡』、『殺害』と言う言葉を使われていて、意図的に『暗殺』という言葉を避けていたと思われる。日本以外の国では明確に "assacination" 『暗殺』と表現されている。しかもその後、大衆メディアは統一教会信者が問題であるかのように、この殺人という犯罪の追及よりも宗教と社会の問題をすり替えて世論誘導に徹していた。さらに、世論はまるで安倍元総理を犯罪者の如く叩き続けたのだ。世界は安倍氏を世界的なリーダーであったと賞賛していたにも関わらず。誰がなにに怯えているのだろうか。中国は総理を退任したあとでも安倍氏のなにを恐れていたのだろうか。世界では安倍氏の経済と政治については300ページを超えるような一冊の本になるほど注目され重視されていたのだ。安倍氏の訃報は世界各国のニュースで報じられた。
その後、ロシアとウクライナの間で戦争が起きた。ロシアはソビエト時代とは違い経済的にも国力としても先進国とはいえない。それがこの時期に帝国主義を取りはじめたのだ。世界秩序が一気に崩壊に向かうのだろう。
なによりも、その後の日本政府の対応のまずさである。安倍氏のような世界各国への影響力などない。中国に対しても意図的に迎合し主張もしない、以前の弱い日本に成り下がってしまったのだ。
私は海外で生活している。私の職場では、様々な国から来た人々が働いている。それゆえ、母国が立派な功績を挙げたり、世界に良い影響を与えるようなニュースがあると誇らしく感じる。逆に、失敗や悪評などがあったりするととても惨めな気持ちになり、母国の話題を避けたくなるのだ。
つまり、安倍氏の暗殺、その後の政府の対応、野放しにされているマスコミ、メディアの偏向、これらのことから、自分自身、失望してしまった。
以前はできるだけ早く日本に戻りたいと考えていたが、今はそうでもない。理由は安倍氏の暗殺とその後の対応だけが理由ではないが、日本に戻ったとして、報道の自由の意味を履き違え、それを利用して世論誘導して日本と日本人特有の美徳や文化を破壊していくような風潮、それに対してなんの対策もできない政府。そんな風潮や論調が毎日見聞きすることになりストレスに苛まれるような国にあえて戻りたいとは思わなくなってきてしまった。
帰ってきたくなければ帰ってくるな!って言われそうだけど、日本が日本人のものであり、独自の文化と国民性がどうか失われることないよう祈るばかりである。
来年は良い年になりますように。

