夫とお付き合い始めた時から、夫の両親には可愛がってもらった私
お義母さんとは着物が共通の趣味で話題一致
お義父さんは日本画の趣味があり、私も絵画鑑賞好き
加えて高校では染色を学び就職先も染色試験室
お義父さんとは色の配合や色の濃淡の話題で大盛り上がり(笑)
結婚が決まった時は夫以上に喜び、結婚式では号泣だったお父さんと夫(私の両親は泣かず)
私にとって実の親以上だったお義父さんが亡くなったのは、長男が二か月の時でした
今月、次男の運動会の時に「お父さんの絵の道具、処分しようかなと思ってるんやけど。」とお義母さん
スポーツ、大工仕事、裁縫、料理と何でも器用にこなす夫
亡くなった後「お父さんの遺品が欲しくないの?」と夫に聞いたことがあります
「親父が絵を描く姿をそばで見てきたのは俺だけ。親父の姿の記憶があるからええねん。」と言っていたけど、寂しそうでした
お義母さんの話を聞き「絵の道具頂けたら、きっと描けると思います。お義父さんの書いてる側にずっといたって聞いてますから。」と私
長男からも「父さん何でも出来るで。字も上手いから、絵かけると思う。」と駄目押し
リメイク着物と一緒に、約半分の日本画の道具が到着しました
下の巻物の絵や、スケッチブックに閉じられた絵を何枚か紹介
和紙を何枚も繋げていた巻物より鳥の絵
酉年生まれだったお父さんは鳥の絵を多く書き残していました
孔雀やオナガドリ、闘鶏・鶏・ウグイスなどの作品を残していたと記憶しています
毎年色紙に翌年の干支を書いたものを、友人や知人にプレゼントしていました
下の絵の道具を一つ一つ確認しながら、お父さんとの思い出が蘇りました
右端筆箱の中から、何やら紙が入った袋が
中を確かめると、我が家の住所と電話番号を書いたメモ紙とJRの路線地図・時刻表を発見
長男が生まれる前年のモノだから、約17年前のモノになります
私達が遠くに引っ越しした後で「俺、寂しいねん。」と電話をかけてくれたお義父さん
身体が弱いのに電車に乗り、切迫流産で入院中の病院まで来てくれたお義父さん
お義父さんの優しい気持ちを思い出して、号泣してしまいました
ひとしきり泣いた後、不思議に心がすっきり
私たち家族を想うお義父さんの気持ちは、亡くなっても続いていると感じました
実母が亡くなって心身不調の私を心配し、「何時でもそばにいるよ」と言ってくれているようです
「人は亡くなっても、生きている人の中で生き続けている」
「モノは在るべき場所、人の元に来る」
本当にそうだなと思えたお義父さんからのメッセージ大切にしたいと思います