たまたま仕事の途切れた2日間、JR全線完乗の旅に出ている。
2015年9月8日朝、宮城県第二の都市、石巻市にやってきた。

前回はこちら
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/3bd47cd5e0b1badb5670ea558f902a41

石巻駅は朝のラッシュ最中だった。
各方面からの列車が一遍に到着したようで、改札前は高校生で大混雑である。
仙石線ホームから人込みをかき分けるように跨線橋を渡り、
石巻線に乗り換える。

【石巻線 浦宿駅~女川駅】





石巻線の3両編成のディーゼルカーは男子高校生で既に満員だった。
座る場所がないので、男子高校生に揉まれながら先頭部分に立つ。

二つ目の渡波(わたのは)駅で、一斉に男子高校生が下車していく。
駅の看板によると、宮城県水産高校の生徒たちだった。

車内に残ったのは、地元の女性2人と、
どこかの大学の鉄道研究会メンバーと思しき男子7, 8人だった。
彼らは風光明媚な景色そっちのけで山口県の路線や神奈川の南武線の話をしている。

浦宿(うらしゅく)駅までの間、海岸線を行く。やはり津波が襲ったことだろう。
ここまでの復旧も時間がかかったが、もとの位置に線路が敷かれた。



浦宿駅からが未乗区間である。
津波により、次の駅、石巻線終点の女川駅周辺が壊滅的被害を受けた。
そのため、浦宿~女川間にある女川トンネルの出口から先は、
地盤を7~9mかさ上げした上に線路を作り、
女川駅は200m内陸に移設した。
このようにして、2015年3月21日に新線ができたため、今回未乗区間となった。

トンネルを出ると、真新しい路盤が続く。


津波はここまで来ており、
がれきがトンネルの入り口を塞いでいた記録がネット上に残っている。
このがれきによって津波がせき止められ、浦宿側になだれ込まなかったとも言われている。


ほどなく女川駅に到着する。


行き止まり。



再びJR全線を乗り終えた。

それにしても、周辺には何もない。
工事用車両が次々とやってきて、土地のかさ上げ工事が行われている。

駅の横の風景


女川町は、東日本大震災の津波の被害を最も受けた場所のうちの一つである。
湾口が小さく、さらに山と山に囲まれた扇状地だったため、
津波の水位が一気に上がり、
海岸から遠い場所も壊滅状態となってしまった。
駅周辺にあった中心市街地はほとんど残っていない。

駅前、そして元駅跡地まで続く旧線路部分は、
大手住宅会社によって商業地の建設が続いている。




それを横目に見ながら、雨の中を歩いてみる。
2008年にここを訪れた時には、旧駅から100m程の海岸まで歩いた。
今は、旧駅付近から、工事従事者以外は海岸までたどり着くことはできない。


そのまま保存されている旧女川交番。
建物が土台からえぐり返され、ひっくり返っている。



朝9時だが、住民の姿はない。
鉄道研究会は何処からともなくやってきたタクシーで消えてしまった。
工事作業者のみが、重機を使って黙々と仕事をこなしている。


川を挟んだ高台にある女川地域医療センター。
高台に建っているのにもかかわらず、17mにも及ぶ津波で、1階は激しく損傷した。


再び駅に戻る。


雨に打たれたし、昨日は夜行バスだった。
それに、重機だけが闊歩する荒涼とした風景を見ていたら、妙に人恋しくなった。
駅に戻ってきたら、ほっとした。
冷えた体を駅併設の温泉施設「ゆぽっぽ」であたためながら、
微力だが被災地に貢献するとしよう。

女川町営のゆぽっぽは、旧女川駅にも既に併設されていて、
私も2008年、フランスからの一時帰国中に訪れている。
今回の移設された駅にも併設されることになり、2階に設けられた。

ゆぽっぽの階段踊り場からホームが見える。



新駅開業の日をまちびらきの日としたという。
周囲にはまだほとんど何もないが、
唯一、福祉施設と個人の花屋だけが営業を開始しているようだった。
これから時間をかけながら市街地が形成されていくのだろう。



一風呂浴びてから、
到着して1時間半後の列車に乗る。ここからも引き続き「青春18きっぷ」を使う。
本日中に静岡へ戻る。







今度の石巻線の列車は、一人掛け席側を窓側にも回転できる仕様の車両だった。
このタイプは当初、山形県の陸羽西線の観光用に3両用意されたものだが、
現在では他の車両と共通運用となりかなり広い範囲で使用されているため、出会うのは運次第である。
計画では石巻駅で仙石東北ラインに乗り換えて仙台に出ようと思っていたが、
面白い車両に出会ったので、このまま終点の小牛田(こごた)駅まで乗り通し、
そこから東北本線に乗り換えることにした。

大きな被害を受けた町には心が痛んだが、
着実に復興は進んでいて、駅がその旗ふり役となっているのは頼もしい。
再びのJR全線完乗と新しい駅を祝して、
一風呂浴びた後、汽車にゆられてビールがうまい!

~JR全線完乗へ2015年~
一旦おしまい。
たまたま仕事の途切れた2日間、JR全線完乗の旅に出ている。
2015年9月8日早朝、仙台駅から「仙石東北ライン」に乗って高城町駅まで来た。

前回はこちら
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/d93e675a8e0439145856b4d74ace45f1

【仙石線 陸前大塚駅~陸前小野駅間】


仙石線高城町駅。仙台方面に向かう朝のラッシュが始まろうとしている。
次々と高校生がやってきて、折り返し停車中の電車に乗っていく。
都市近郊の朝の風景だ。

私は逆行き、つまり石巻行の各駅停車を待つ。


ほどなく、ほとんど乗客の乗っていない4両編成が到着した。
仙石線は山手線や南武線などで走っていたお下がりの通勤型電車205系を整備したものだ。
片側にドアは4枚、横向きの座席(ロングシート)、そのまんま通勤型電車である。

そんな中、例外がやってきた。

有名観光地松島への観光地輸送や仙台~石巻などの中距離輸送対策として、
数本だけ、4両編成のうちの石巻方先頭車が前向きで座れるシート(クロスシート)に改装されており、
これに当たった。
混雑時には回転してロングシートとしても使用できる「2WAYシート」になっている。
現在では、海側はクロスシート、山側はロングシートとして固定されて使用されている。

高城町駅に到着後、すぐに出発。
この高城町駅から陸前小野駅の間は、東日本大震災の震災後、仙石線の中でも最後に開通した部分である。
特に、陸前大塚駅から陸前小野駅の間は、海に沿っていたため、壊滅的な津波の被害を受けた。
沿線集落の高台移転に伴って、仙石線もこの部分は山側に線路を移設することとなったため、
開業は地震から4年以上たった2015年5月30日となった。
これによって仙石線はあおば通り駅~石巻駅間で再び全通した。
この新線部分を今回は乗りに来た。


奥松島の海岸線に沿って走る。今日の海は穏やかだ。


陸前富山駅から陸前大塚駅にかけては、線路のかさ上げが行われている。

陸前大塚駅を過ぎると山側にカーブし、新線区間に入る。
一気に海岸から遠くなる。

この新線区間で、2駅が高台移転された。

東名(とうな)駅


野蒜(のびる)駅




両駅ともに真新しいホームと駅舎で、周囲は震災復興住宅の造成中である。
一からのまちづくりということで、駅を中心として行政施設などを効率的に配置し、
コンパクトシティーの先駆けが出来上がるということである。
モデルケースとして期待したい。

野蒜駅を出ると、車窓が開ける。次の陸前小野駅まで、新しく作られた高架橋を行く。





荒涼とした景色である。雨がそれを助長している。
ずっと向こうに松が立っているのが見え、そこが海岸線である。
あそこから津波が襲ってきたと思うと、
今日のこの日、静かな車内、安全に運行されている電車に乗っていられることが不思議に感じられる。

陸前小野駅も津波の影響を受けたが、その場所に復旧された。
これで一路線乗り終えた。残るはあと一路線である。

石巻の都市圏に入った。
矢本駅からは高校生が駅ごとに乗り込んできて、いよいよ満員となる。

ひといきれの中、ショッピングビルを改装した派手な市役所を見ながら、
終点の石巻駅に到着する。



次回へ続く。
たまたま仕事の途切れた2日間、JR全線完乗の旅に出ている。
2015年9月8日早朝、仙台駅に降り立った。

前回はこちら
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/cdf21d2ea355faa4b89b15a060269d9f

土砂降りで、先が思いやられる。
ここから全線完乗の旅、再開だ。

【「仙石東北ライン」塩釜駅~高城町駅間】

本日の第一走者、非常にユニークである。
蓄電池とディーゼルエンジンとモーターを組み合わせて走行する、
最新鋭のハイブリッド車両、HB-E210系に初めて乗車する。
この車両はこれから足を踏み入れる「仙石東北ライン」の開通に伴って用意された専用車両である。



宮城県の県都仙台市から、第二の都市である石巻市までは、以前は二つのルートが考えられた。
海側を直通する仙石線と、内陸側を行く東北本線~石巻線の乗り継ぎである。
仙石線は、1925(大正14)年に私鉄の宮城電気鉄道として開業し、
戦時中1944(昭和19)年に国鉄に買収された路線である。
そのため、仙台近郊では都市内輸送を行う路線として、駅と駅の間隔が非常に短く、スピードは遅い。
それに対して、東北本線は駅間も長く、スピードも速い。

この二路線は松島湾を望む一部区間で並走しているが、
線路はつながっていなかった。
仙石線はその経緯から東北地方では珍しい直流電化、東北本線は交流電化だからである。
これをつなぎ、石巻までの時間を短縮しようという構想が何度か立ち上がったものの、
その都度消えてきた。

2011年の震災からの復興を促進するために、
いよいよこの2路線を接続する線路が作られるようになった。
その距離、わずか300m。でも新しい路線が出来上がった。
この接続線を使って東北本線仙台駅と仙石線石巻駅を結ぶ系統に
「仙石東北ライン」という愛称が付けられ、2015年5月30日に開通した。
仙石東北ラインの特別快速では、震災前の仙石線快速より所要時間が約10分早くなった。


両路線は電化方式が違うため、前述のハイブリッド車両を投入することで直通を可能とした。

6時26分に仙台駅を出発する。
最初は蓄電池に充電されている電力でモーターを回し、列車を動かす。
スピードが乗ってくると、突然ディーゼルエンジンがかかり、発電が始まる。
途中からエンジンがかかるので、音が面白い。
減速時にはモーターより回生電力が生じ、蓄電池に充電される。
これをまた加速時に使う。この繰り返しだ。
満充電時、停車時にはアイドリングストップとなり、騒音が軽減する。
従来のディーゼルカーより排気中の窒素酸化物 NOx を60%低減させているそうである。


東北本線を走り、塩釜駅に停車する。この列車の次の駅は仙石線の高城町駅となる。

少し走ると、横にちらちらと仙石線が見え隠れする。
いつあちら側に移るのか、楽しみになってきたので、一番前に行ってみる。

だが、次の松島駅に着くのではないか、というところまで来て初めて渡り線が現れた。


身をくねらせながら、渡り線に入っていく。

東北本線の上り線(東京方面)を渡り、



枕木が真新しい接続線に入る。接続線は非電化となっていて、架線がないのがわかる。


少し曲がったところで停車した。無線や信号の切り替えをしているのか。


車窓左側には、分岐していった(正確に言うとこちらが分岐したのだが)東北本線の複線が見える。

再び動き出す。

仙石線の線路がすぐ近くに。


何事もなかったかのように合流して、仙石線を走り続ける。

ほどなく、そしてあっけなく、高城町駅に到着する。

私は、各駅停車に乗り換えるために、ここで降りることとする。
仙石東北ラインの列車は、そのまま石巻に向けて去って行った。



接続線内で少々停車するため、その分がもったいなく感じるが、
まもなくこの停車も解消され、さらにスピードアップが行われるようである。
いずれにしても、乗り換えなし、
快適なハイブリッド車で素早く石巻まで移動できるようになったのは
進歩だと感じた。
今日は乗るばかりだが、
今度は海の幸を食べにこの新しい列車で石巻まで行ってみたいと思った。

次回に続く。
前回はこちら
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/66fbcf41e964fb7034582ef5df502916





我が「はくたか568号」は私の誕生日9月7日の14時16分に金沢駅を定刻発車。
この先、乗車する長野駅までは、飯山駅を除いた各駅に停車していく。
初めての北陸新幹線。誕生日を記念するのにふさわしい列車である。

北陸新幹線の新規開業区間は風光明媚だと聞いている。
トンネル区間は意外と少なく、車窓からは山も、そして日本海も見えると。
海が見えるのはA席側だが、私の指定席は山側のE席である。

いいぞ、いいぞ。新線区間を走り始めるゾクゾク感を久しぶりに味わう。
しかも、どんどんとスピードを上げていく。新幹線ならではの胸のすく走りだ。



10月から運転する七尾線の特急「花嫁のれん」の試運転とも並走する。

石川・富山の県境をトンネルで超える。
在来線は倶利伽羅峠(くりからとうげ)が県境となる。


平野に下りると、やはりこちらも新しい能越自動車道と並行して、新高岡駅に到着。

立山連峰は曇っていて見えない。しかし、車窓には肥沃な富山平野が広がる。


神通川を渡り、富山駅に停車。


次は、黒部宇奈月温泉駅。


新潟県に入る。在来線の親不知付近も、過去のものとなってしまった。
そして「糸魚川」駅までの間で富山湾が向こうの窓側、
さらに線路のだいぶ向こうをを通過していく。
日本海側を新幹線が走るようになった。

長いトンネルを抜け、上越妙高駅に停車。
ここから、路線上はJR東日本の管轄となる。
ただし、通過列車もあるため、JR西日本の乗務員は長野駅まで乗り通す。


雨こそあがっているが、曇りである。
山側(E席側)は、妙高山も雲がかかってよく見えない。
でも、市街地の広がりが見えると駅が近づいてくる。

交通の要営である直江津を無視して長いトンネルを超えて、いきなり長野県、
信越本線とは離れた飯山の街を通過するのは、ある種の新鮮さと快感を覚える。
いにしえの街道、そして水運に沿った形である。





大きな街に達し、長野駅に到着する。




列車は東京行であるが、私はここで辞する。
これで一路線乗り終えた。あっという間であった。




ここから、再び「青春18きっぷ」を使って新潟駅まで向かう。

誕生日プレゼントで頂いたワインを昔馴染みの115系電車のボックスシートで開ける。

この形の電車は関東・新潟以南の本州各地で走っていたが、現在では新潟、群馬、岡山、鳥取、広島、山口ぐらいである。


ドアは手で開ける。
子どもの頃の御殿場線ではものすごく重く感じた。母親が開けてくれた覚えがある。
ドアはステンレスではなくさらに重かった。取っ手も丸っこい独特のものであった。
そのうち、80年代後半、小学生高学年ぐらいからか、
御殿場線も自動扱いするようになったため、このドアの重さを忘れてかけていた。
(さらに、ボタンでドアを開ける新型313系が入ると、
従来からの車両もドアを手で開けるようになった。2000年ごろか。
2007年に新車に置き換わり、今は静岡県内には115系はない)


窓の開く列車、本当に少なくなった。


外には越後平野、田んぼが広がっている。
だから夜の車窓には漆黒の闇が広がる。がらがらの夜汽車のような列車で、祝杯をあげる。


新潟駅に到着する。ここから高速バス「WEライナー」の夜行便に乗る。
始発の万代シティバスセンターより終着の仙台駅まで。



最近は通路カーテン付が増えてきた。

次回へつづく。
2014年1月2日、当時フランス在住時の一時帰国の際にJR全線を乗り終えたが、
その後に日本に帰国した際、だんだんと新路線、新線区間が増えてきた。
最たるものが今回紹介する部分、北陸新幹線である。

前回はこちら
http://blog.goo.ne.jp/miromes9-13/e/950d7bd36ca0d0254a64871793748205


2015年3月14日、二つのJR線が開業した。
北陸新幹線と「上野東京ライン」である。

【上野東京ライン(東北本線)東京駅~上野駅間】

現在「上野東京ライン」と呼ばれるようになった東北本線東京駅~上野駅間は、
1980年代まで線路がつながっていた。
しかし、東北新幹線の東京延伸にしたがって用地を譲ることになり、線路は途切れた。
今回、東京~神田間の回送線と秋葉原~上野間の回送線の間に、
高架新線を作ることによってこれをもう一度つなげ直し、
東海道本線と宇都宮、高崎、常磐の各線とを直通させるというものである。
同区間直通化によって車両の融通を共通化する。
それにとどまらず、田町~品川間にあった車庫(田町車両センター)を廃し、
その広大な跡地に新しい駅、そして新しい街を作るという、
JR東日本の一大プロジェクトである。
その距離東京~上野間たった3.6km、いや、神田付近~秋葉原付近のわずか1km強をつなぐだけなのだが、
しかし、まずは神田付近の日照権に対する地元との軋轢、
毎日営業している新幹線高架のさらに上に高架橋を掛けるというの工事の難しさ、
さらに工事中に起こった震災対応などを経て、
既に1990年代中盤よりあった計画がようやく日の目を見た。
実は非常な難工事だったのだ。

解説は長くなったが、こちらは3月開業の早い時期に自然と乗ってしまった。
都内に用事があった際に、東海道線にそのまま乗り続けていたら上野に着いた。

現在東北新幹線に譲ってしまった部分をさらに高い高架により乗り越え、
神田付近のビルの7~8階あたりを超える部分は圧巻である。
しかし、新しい線路とはいえ、そもそも線路の戸籍上は東北本線、
つまり山手線や京浜東北線の同区間と同じものであり、
一路線乗った、という風にカウントはできない。
とはいえ、「土浦」や「勝田」や「取手」といった行き先を付けた
常磐線の特急、中距離電車、快速電車が東海道線に乗り入れているのを見るのは、
未だに電車が異次元空間を超えてきているように思える。

【北陸新幹線 金沢駅~長野駅間】

さて、ようやく今回の「北陸新幹線」である。
既に一部分、高崎~長野間については、
1997年、長野オリンピックに先立って開業している。
この時より既に路線の正式名称は「北陸新幹線」であったが、
北陸まで達していないということで、
「長野行新幹線」、のちに「長野新幹線」という路線愛称で流通していた。
3月14日の金沢延伸にしたがって、ようやく「北陸新幹線」としての日の目を見た。

では、この区間に乗ってみよう。
2015年9月7日、珍しく連休ができたので、JR全線完乗の旅に再び出発する。
本日、おりしも私の「惑わなくなる齢」の誕生日である。

40年前に母の産道を抜け出てきた4時41分、40年後の今日は家の戸口を出た。
静岡駅5:01発の岐阜行き普通電車に乗る。
静岡県内では非常に珍しい転換クロスシートの車両、313系0番台である。
前向きにて、ゴキゲンに旅が始まる。
ここから金沢までは「青春18きっぷ」で鈍行の旅だ。

この後、豊橋より新快速、終点の大垣にて普通電車に乗り換える。
全て313系の転換クロスシートで至極快適。

米原より、JR東海からJR西日本のエリアに入り、北陸本線の電車に乗り換える。



交直両用の521系、転換クロスシートで、いうことはない。
車両数が少なく、ラッシュ時が不安ではあるが。





敦賀、福井と乗り換えるが、やはり521系が続く。
北陸本線はつい最近まで国鉄時代の急行型電車が幅を利かせていたとは思えないくらいの近代化を感じる。
ボックスシートのそれは汽車としての旅情があって楽しかったが。

朝からFacebookに誕生日メッセージが届く。
フランスではだいぶ前から使っていたのだが、
日本で突然流行りだし、一時期は嫌気がさしてやめた。
しかし、今では通信手段として(特にフランスの友人とのやり取りに便利)、
今日も皆さんからありがたくメッセージを頂戴している。
ずっと返信しているが、なかなか追い付かない。

金沢には13時41分、定刻に到着。
メッセージを返していたら、いつのまにか、である。

ちょっとだけ駅に降りる。開業前には大工事をしていた駅も完成し、
雄大とも荘厳ともとれるゲートが表口に誕生した。





開業から半年、相変わらず開業ブームは去っていない。
日本人も外国人も、皆写真を撮っている。

真新しいホームに上がる。





ただの近代的な新幹線ホームとは侮れない。



ホームの各柱には金箔が!加賀百万石の栄華を彷彿とさせる装置か。



我が「はくたか568号」は、発車7分前に入線する。
しっとりとして、それでいて近代的で、さわやかな色遣い。
もっと対面していたいが、あわただしく乗り込む。

今日はJR西日本所属のW7系。日や列車によっては、JR東日本所属のE7系である。
完全な共通運用で、どちらが来るかわからないが、
両車はまったくの同一仕様。

車内には普通車を含めて全席にコンセントがついている。
早速朝から消費したスマートフォンのバッテリーに餌を与える。

さあ、発車!
長くなってきたので、次回に続く!
フランスから日本に戻り、あっという間に半年以上が過ぎている。
生活ががらりと変わり、周りに囲まれながら日々多忙な中にも充実しているが、
やはり「青春18きっぷ」が出る時期になってくると、気分が高揚してきて、旅に出たくなる。

さて、2014年新春の一時帰国の際にJR全線を乗り終えたのだが、
その後2014年10月には吾妻線の付け替え区間、
さらに2015年の春に、相次いで新路線が開通した。

18きっぷが出たのであれば、これらに乗ってみたいと思い、一層そわそわしてきた。

【吾妻(あがつま)線 岩島駅~長野原草津口駅】

そのようなわけで、新規開業区間のりつぶしの第一弾として、
2015年7月21日火曜日に群馬県へ出かけた。
3連休の最終日で混雑すると思われる前日20日「海の日」に自分の仕事を進めることとし、
敢えて平日出発とした。

静岡駅を5:28の普通電車で出発し、沼津で上野東京ラインに乗り換える。
小田原から「湘南ライナー10号」
(品川止まりのために編成が短いにも関わらず若干空いている)、
品川で少し待ち、
一日に数本しかなくなってしまったが
しぶとく生き残っている高崎線の快速「アーバン」を選ぶ。

高崎駅から11:43の吾妻線大前行に乗る。

久しぶりに出会ったみかん色(湘南色)の115系、
子どもの時からの思い出がたっぷり詰まった電車。まだ現役なのがうらやましい。

どっしりとしたボックスシート、これがいいんですよ。
わが静岡は…今ではロングシートばかりで旅気分になれなく、残念だ。

夏休みに入ったとはいえ、子どもの姿を見かけない。
一つのボックスに一組ずつきれいに収まり、発車。
ボックスシートには駅弁が似合う。高崎名物の「とりめし」を紐解く。



高崎より上越線を進み、伊香保温泉の玄関口である渋川駅から吾妻線に乗り入れる。
利根川の支流、吾妻川を左手に見ながら上流に遡って行く。
沿線には伊香保温泉、小野上温泉、四万温泉、湯平温泉、花敷温泉など、とにかく温泉が多い。
もちろん横綱格の草津温泉も擁している。
これらの温泉を巡るのに、今までに幾度となく乗っている路線だ。

高崎から1時間ちょっと、渋川から40分ほど乗ってくると岩島駅で、
ここからが新線区間だ。

今回の新設区間は、川原湯温泉駅をはさんだ岩島駅~長野原草津口駅間である。
正確に言うと、「八ッ場(やんば)ダム」建設に伴って線路が付け替えられた区間だ。
全くの新路線ではないので、改めて乗りなおさなくてもよいだろうという声もあろうが、
ここは大きく路線変更されているので、それも気が引ける。

長年その建設をめぐって揺れた八ッ場ダムは、一旦着工されるものの、
民主党政権時に公共事業見直しの象徴として中止となる。
自民党政権に戻ると、再び着工された。
この中止期間中も、線路と道路の移設工事は粛々と進められ、
計画通りに2014年10月1日に開業と相成ったものだ。

岩島駅を出ると、すぐに新線区間に入る。
橋梁で吾妻川を渡り、すぐにトンネルとなる。
新線区間はロングレールなのか、レールのジョイント音がしない。
長いトンネルを抜けて明かり区間に出ると、新しい川原湯温泉駅だ。

出発すると、すぐにまた長いトンネルに入る。

出ると、真新しいコンクリ―ト橋で吾妻川を再び渡り、
間もなく草津温泉の玄関、長野原草津口駅に到着する。



長野原草津口駅ホームより川原湯温泉駅方面を見る。
左にカーブしていくのが旧線、まっすぐ進んで、橋に続いているのが新線。

旧線時代は、日本で一番短い鉄道トンネルであった「樽沢トンネル」(7.2m)もあり、
渓谷沿いの路線は目にも涼しく楽しかった。
だが、トンネルの迂回新路線は、あまりにもあっけない。

そのまま乗り続ける。
終点一駅手前、「万座・鹿沢口」駅は中黒(・)の入った駅名として、
国鉄時代は唯一のものであった。

万座・鹿沢口駅までは特急を含めてそれなりの列車本数があるが、
一駅奥、終点「大前」駅までやってくる列車は一日5往復のみ。





13:23着、私もここまで来るのは20年ぶりぐらいだろうか。
集落は吾妻川の対岸にあるため、駅とその周辺はひっそりとしている。







そのまま折り返しの列車に乗って30分ほど、
川原湯温泉駅の真新しいホームに降りてみた。






南側(山側)は砂防対策からかコンクリートの壁となっていて、
北側(川側・将来のダム湖側)もホームからは視界がきかない。

2001年には、木造の旧・川原湯温泉駅に降り、
川原湯温泉の公衆浴場「王湯」に来て、
その名の通り川原に面した露天風呂の風情を楽しんだ。
何より、浴室に入るのに階段を下がっていくという建物の構造も面白かった。
斜面に建っていたのだろう。

ダムが完成すると、旧川原湯温泉駅のあった川原湯地区は水没することとなる。
そのため、既に現在、対岸である右岸の80mほど登ったところに、
駅をはじめとした市街地の移設を進めている。
王湯も移転したというが、あの涼やかさを楽しめるのだろうか。

吾妻線より再び、静岡へ向けて戻ろう。
一路線乗り終え、冷房の効いた車内で飲むビールは格別だ。
さらに、渡仏前(2007年ごろ)にはできなかった、
「湘南ライナー1号」~「ホームライナー静岡3号」という
特急型車両の乗り継ぎはありがたい。
静岡駅、21:28着。
SNCF の子会社 OUIGO が運行する TGV Duplex (オール2階建てTGV)です。



TGV Duplex を専用編成に改造していますが、全ての車両が二等車に改装されました。




元バー車にも、座席が置かれました。


車内の座席は座席はすべて同じタイプ。
TER の最新車両と同じものに換装されています。リクライニングしません。
回転しませんが、二人掛けの場合は背面テーブルが出てきます。
テーマカラーである水色とピンクがビビッドです。


元2等車とバー車部分の座席足元にはコンセントがあります。
予約時に2ユーロ払うと、コンセント付き座席を予約できます。
(コンセントなし席が満席の場合は、
自動的にこちらに割り当てられるので、そのときはラッキー!)


以前は1+2の3アブレストで座席の並んでいた一等車部分も、
OUIGOへの改造の際に二等車座席に換装されました。
ただし、座席台座や床部分の艤装の関係から、1+3の4アブレストになっています。
この元一等車の車両にはコンセントがついていません。


3列部分です。やはりリクライニングや回転はしません。
真ん中席はひじ掛もなく、
JR東日本・上越新幹線のオール2階建て「Max」の2階自由席みたいです。


デッキ、出入り口付近。ドア内側もテーマカラーのピンクに。


2階から1階デッキへのアプローチ。
基本デザインは従来と変わりませんが、
旅客案内表記がテーマカラーのピンクになっています。

2013年、フランスの新幹線 TGV にも、徹底的な価格破壊が訪れました。
SNCF(フランス国鉄)が専用の子会社を作り、
飛行機と同じようなローコスト・キャリア(LCC)を目指したのが、
このOUIGOです。

変動制の価格、インターネットからでしか買えず、
自らチケットをプリントアウトするというところまでは
以前の iDTGV と同様ですが、
OUIGO ではさらにランニングコストを圧縮して低価格を推し進めました。
そのノウハウは、航空機のLCCと同様です。

早く買えば、パリ近郊の Marne-la-Vallée 駅から900km近く離れた
マルセイユやモンペリエまで、たったの10ユーロで行けてしまいます!
(1ユーロ=約140円、2015年6月現在)

ブログ主は、昨年7月にパリから、
古巣の南仏・エクサンプロヴァンスに出かけたときに利用してみました。
その時のレポートです。

パリ側のターミナルは、市内のリヨン駅などではなく、
パリの東、約30km離れた Marne-la-Vallée - Chessy 駅になります。
列車本数の少ない、都市から離れた駅から出発させることで
コストを削減するというのも、LCCと同じです。
RER A 線で市内から約40分程度。通常10ユーロ以上かかりますが、
今回はバカンス中のため、
パリ市内の定期券で Ile-de-France 地域圏の交通機関乗り放題の恩恵に預かりました。

パリからの RER は途中で、なぜか長時間停車があり、
Marne-la-Vallée - Chessy 駅に着いたのは OUIGO の発車30分前。
チケットには発車30分前までにゲートに来ないと乗れない、との記載があり、
ひやひやでした。


Marne-la-Vallée - Chessy 駅に到着する直前、
並行している TGV の専用線にOUIGOが入ってきました。
これがこのまま折り返すのです。
到着からわずか30分で折り返すというのは、
フランスの長距離列車としては短い時間です。
つまり、できるだけ折り返しを短くして
列車の運用効率(トレインアワー)を上げるという、
LCCの思想とまるっきり同じですね。




RER はA線の終点、Marne-la-Vallée - Chessy 駅に到着。
Disneyland Paris の最寄駅です。
一旦駅の外に出て、そこから OUIGO 専用ゲートに向かいます。




列ができているので、すぐにわかります。


駅の中をぐるぐると列が続いています。
係員が一人ひとり、プリントアウトされたチケットのバーコードを
専用の器械で読み取り、改札を行います。
大きな手荷物を持っていると追加料金が必要になるのも LCC と同じです。




ぐるぐる回り、ようやくホームです。


今までの銀色の TGV とは違い、水色とピンクのカジュアルな車体になった専用編成です。

折り返しの車内清掃はないようで、きちんとゴミは持ち帰るように、との記載。
折り返し時間の短縮と、清掃員の不配置という、徹底的なコストダウンです。


従来の2階建て TGV Duplex 車両を改造していますが、なんと、
もともとバー車両だったところにも座席が置かれています。
列車の全席が二等車で、一等車はありません。
この改造により、座席数が20%増えたそうです。
薄利多売です。


座席はリクライニングできません。最新の TER(地域急行列車)と同じものです。




車内の座席、掲示、そして外観と、
すべてテーマカラーの水色とピンクで統一されています。


予約の際にコンセントつきの座席も選べます。プラス2ユーロでした。

乗ってしまえば、普通のTGVと同じ時間で着きます。Aix-en-Provence TGV 駅までおよそ3時間。




~~~

数日後、パリへの帰りも OUIGO で。
OUIGO を待っていたら、数年前には見られなかった光景が。





スペイン国鉄 RENFE の高速列車 AVE が乗り入れてきました。
なんとマルセイユを出発して、地中海沿いをひた走り、
バルセロナを通ってマドリードまで行く列車です。
仏西両国の高速新線が結ばれたことで実現した列車です。


さらにはマルセイユからドイツのフランクフルトまで行く TGV も!
できたばかりのLGV Rhin-Rhône (ライン・ローヌ高速新線)を使う、新しい列車です。

これらの列車を立て続けに見送ったら、次は OUIGO です。
高速路線網も新しい時代に入ってきました。


帰りの列車は、これまた改造で一等車部分の座席を二等車用に換装している車両です。
元の取り付け台座や床面などの関係からか、1+3の4アブレストになっています。
1人掛けにあたったのでラッキーでしたが、3人掛けの真ん中だったら(泣)。
(座席位置、番号は選べません)


Marne-la-Valée まで帰ってきました。
さらにここから RER でパリ市内までです。
40分かかりますが、OUIGO の安さの魅力には勝てません。


3月のある日曜日の話です。
まだ乗っていないRER B線南側半分に乗りに行きました。
RER B 線はパリ北駅を境に北側をSNCF(フランス国鉄)、
南側はRATP(パリ交通公団)の管轄となります。
今回はこのRATP管轄の側です。

帰りは、そのまま引き返してもおもしろくないので、
Orlyvalというオルリー空港連絡輸送に乗り空港へ、
さらに新しくできたトラムT7線を経由してパリに戻りました。

それでは、その時の散歩日記です。


RER C線 との乗換駅、Massy - Palaiseau 駅。
こちらはRATPですが、C線はSNCFで、ホームはちょっと離れています。


パリ南西郊は静かな住宅街が続きます。
同じRER B 線とは思えないくらいに、SNCF管轄の北側とは風景や乗客が違います。


「窓口」という名の駅。




終点近く、Gif-sur-Yvette 駅。降車客も乗客もまばらになってきました。
数十分前にパリの Châtelet - Les Halles を走っていた電車とは思えない、
まるでローカル線の佇まいです。


パリから約50分、終点のSaint-Rémy-les-Chevreuseに到着します。

(駅名に入っている lès というのは英語の the に相当する定冠詞 les ではなく、
古語 lès や lèz (「~の近くの」)です)
そんなわけでその名の通り、Chevreuse 渓谷公園の入り口に位置しています。
なだらかな山が駅の近くまで迫ってきています。




線路はここでおしまい。






ここが RER B 線系統の南端、最北はシャルル・ド・ゴール空港です。

パリに戻ります。
が、来た道を引き返すだけではおもしろくないと思い、
ぱっと Antony 駅で降りてしまいました。



ところで、今回のお出かけはいつもと同じように、
定期券であるICカード Navigo のZone1-2用を使っています。
平日はパリと隣接郊外だけしか乗れませんが、
土曜休日は Zone 5 まで、つまりイル・ド・フランス地域圏の交通にすべて乗れるようになります。
しかし、今回の Orlyval だけは例外。
いかなる券も使えず、別払いできっぷを買わなければなりません。
改札機はICカードも未対応です。

10ユーロ出すか、かなり迷いましたが、
これも経験、えい、とばかりに乗ってしまいました。
本当に空港に用事があるときは、
これからは RER B線 + Orlyval の乗り継ぎではなく、
Orlybus というパリから直通のバスを使うと思います。




Antony からしばらくトンネルの中を行きますが、
トンネルを出ると RER C 線の線路と並行します。
日本で言う新交通システム(「ゆりかもめ」や「ポートライナー」)のようなものです。

Orlyval は1991年に開通した、VAL*を利用した空港連絡輸送です。
(VAL:Véhicule automatique léger「軽輸送自動運転車両」、
Lille, Toulouse, Rennesなどの都市でメトロとしても採用されている)
1993年にはRATPが管理するようになりましたが、
前述の通り、運賃は他の交通機関とは一線を画するものになっています。






自動運転のため、運転室はない。


横幅は狭く、ロングシートだがお見合い席のよう。
空港連絡用として、大型荷物置き場もあります。


補助席もあります。


オルリー空港が見えてきます。

Orly Ouest (西ターミナル)でスイッチバックします。
反対に進みだしたので、びっくりしました。


Orly Sud (南ターミナル)が終点です。



列車は2両編成。

空港ターミナルビルに入ります。


ふっと、Tramway の文字が目に付きました。
あれ、ここまで来てたっけ?
そうだ、T7号線が開通していたんだ!

それでは、トラムでパリ方面に戻りましょう。


トラムT7号線は2013年11月に開通しました。
一旦、空港駅からパリとは一駅反対側に向かい、
終点から起点を目指します。
終点は Athis-Mons 市にある Porte de l'Essonne 停留所。

がらんとしていますが、2017年にはここよりも南に延びるそうです。

停留所の横には、コンコルドが!

この反対側はエールフランスの塗装になっていました。

トラムは明るく、きれい。




オルリー空港の貨物ターミナルを通り、
さらに現代のパリの胃袋、ランジス市場 (marché de Rungis)をぐるりと回りこむように行きます。

高速道路A6(パリからリヨン方面に、さらに地中海方面に通じる、
通称「太陽の道」Autoroute du Soleil)と付かず離れずで進みます。


Place de la Logistique 停留所。(直訳すると「物流広場」。巨大市場らしい!)


終点、Villejuif - Louis Aragon 駅。メトロ7号線の終点です。
トラム乗り入れにともなって、リニューアルされました。

ここからメトロで帰ります。
7月2日から6日まで、毎年恒例、日本の祭典、Japan Expo が行われています。
いまやフランスからだけでなく、ヨーロッパ中からも来訪者が押しかけてきます。
今回15回目になるそうですが、ブログ主は初めて行きました。

午前中は仕事があったので、午後のRER B線に乗って向かいます。
通常、昼間に走っている快速電車はパリ北駅 (Gare du Nord) を出ると空港までノンストップですが、
今日は臨時に見本市会場最寄の駅に止まります。


なんと、停車駅表示下欄にもJapan Expoの文字が!
いかに多くの人が訪れるかがわかります。
この見本市会場で行われる他の大きな恒例行事、
例えば Maison et objets などのイベント時でも、こんな表示は出ません。


シャルル・ド・ゴール空港手前の Parc des Expositions 駅が最寄です。



駅もこの通り、Japan Expo 一色です。


コスプレして記念撮影ができるのかも。


マンガの広告。




会場は、Villepinte 市(Seine-Saint-Denis 県 (93))にある見本市会場です。

日本で言えば、幕張メッセのようなものでしょうか。










(画像がちっちゃくてごめんなさい)
ミュージシャンの YOSHIKI さんと「ふなっしー」が同じステージの上に乗っていたり。
フランスにいて、こんな光景をみるとは...



帰りは集中するので、券売機付近では整理が行われていました。
コスプレの人たちが多数いて、ここはフランスだよなーと思いながら、
滑稽。



帰りの電車の中にもコスプレイヤーが。
この時間になると、RER B線はすべての電車が各駅停車になります。
少しく治安の良くないところにも停車するので、
途中で乗ってくる乗客とのギャップが激しいです...

晴海や有明のコミックマーケットに行っていた大学時代を思い出しました。
(最近はそっち方面からすっかり足を洗ってしまっていました)