皆さんこんばんは、
本日もお疲れ様です。
いつも読んでいただいて本当にありがとうございます、
認知症の父親が生きていたときを振り返ったりすることがあり、
いろいろ考えます。
生きていたときはいいことはほとんどありませんでした。
認知症はもちろん言うことは基本聞いてくれませんし、
理解もできないですし、
当たり前の事、正しい事を否定されます
勝手に外に出て徘徊しますし、
大事になっても警察の人が出動されても、
知らん顔です。
それに母親のサポートもしないといけません。
具体的にいうと、
父親ですが、
毎週火曜日にデイサービスを利用していて、
朝8時に迎えにきてくれるのですが、
曜日の勘違いや、時間の勘違いが多く、
月曜日になると今日デイサービスくるやろと言ってきて、
今日はこないといってもなかなか信じてくれません。
今日はこないと言ってわかったと理解してくれたと思っても、
目を離してるすきに外に出てデイサービスくるのまってると言ってきます。
服の着替もできないので僕が着せます。
デイサービスから帰ってきたら、
また昼からデイサービスくるやろと言って、
また外で待つようなときもあります。
そしてタバコですが、
タバコを渡さないと我慢できず暴れ出すときもありました。
一度コップを投げきたりして、
定期通院で連れて行くと、
先生にタバコ辞めさせるように言われて、
家に帰るとタバコ吸わせと父親が言ってきて、
認知症なので吸い殻の処理も完璧に出きるはずがなく、
床にタバコの灰が落ちたりして、
床のクローゼットが焦げていて、
借りてるベッドも焦がして、
注意しても最初は守りますが、
すぐに忘れてまた吸い殻のが落ちたりしてます。
辞めさせようとしても暴れるし母親に八つ当たりします
そしてたまに包丁を持ち出すときがあったので、
最初に持ち出していらい包丁は隠しましたが、
タバコを切らすとその危険性があるので、
辞めさせる事ができませんでした。
ご飯を作ってもひっくり返す事があったり、
トイレもできなく、
家の通路にうんちがあったりで
夜3時頃に起きて両親ふたりとも話ししたりご飯食べたりで、
ちょんと3食出していても認知症の人は食べたことを忘れて、
食べてないといいます。
父親は食べるたびにくしゃみをするので、
疲れて寝てるときにそのくしゃみで僕は起こされてしまいます。
そして母親ですが、
母親は意思疎通や、多少は歩いたりできるので
体関係の不便はほとんどないのですが、
母親の性格、心、考え方に疲れてしまいます。
こんだけ父親の認知症の行動があるのに、
父親は認知症じゃあないと言ったり、疑ったりします。
僕が父親の行動を説明してそうかなぁといいますが、
認知症を信用しませんでした。
信用できないと言っていても、
トイレの不始末、ご飯用意、掃除は、お風呂に入れたり、送り迎えは僕がしていて、
母親はほとんどそれはしていません。
ご飯を多少作るぐらいで
父親が勝手に外出たときもなにもせずで、
そして父親と今の家の環境がなくなってしまうのが嫌で、
父親の施設を反対して、
自分も施設に行きたくないので反対して、
反対するからには自分でなんとかできたらいいですが、
なにもせずで僕に任せて
まだ父親も元気で生活はなんとかできていたときも
母親と僕が喧嘩してもう家を出ると伝えても、
私等の生活はどうなるのと言ってきたり
故郷に電話すると言っても、
結局は僕の怒りが静まるのをまちで
僕が落ち着いたらまたそのままの流れでいつも通りです。
地域包括の皆さんに、施設を進められても、
施設入るぐらいやったら外で寝て野宿して、
そのまま死んだると言ったりで、
僕が限界やと言うと、
あんた出ていったらいい、
私一人でやるからといいますが、
買い物もできない、お風呂も入ることができない、
ゴミを捨てることができない
そんな人が一人で暮らすことはできません。
まだまだいろいろありますが、
両親関係の苦しみが37年間、
幼少期から父親の暴力暴言、恐怖母親の過保護15 年、
母親の生活縛りが中学卒業してから、22 年間、
父親の認知症で約5年間、
自分の人生はずっと両親次第でした、
僕もそこから離れて自立すればいい話でしたができませんでした、
兄二人が家を出た理由も
一人で暮らす、自立したいからではなく、
兄二人はどちらとも母親との喧嘩別れでした、
両親を支えないといけない気持ちが無意識に出ていたと思います。
一番の原因は、
僕の人生を僕自身が諦めていたのが大きいです。
もう5歳から死にタイ気持ちがあり、
その時から自分は死なないと死なないとと思っています。
今も同じ気持ちです。
それは幻聴、幻覚とかではなくて、
自分に言い聞かせていて、
自分の口で死なないと死なないとと言っています。
一番の原因は僕が諦めてしまったので、自業自得の部分もあります。
でももうそろそろ生きるのが疲れてきたなと気持ちです。
だからといって今はしませんが、
母親が亡くなったり手がかからなくなったら、
そのときだろうなと思っています。