2023年 明けましておめでとうございます。

 

1年ぶりの投稿です

 

コロナは明けることなくむしろ増加傾向、

また、ウクライナでの無意味な戦争も出口が見えず、

世の中が良い方向に向かっているのかどうかさえ分からない状態ですが、

周囲には、ささやかでも嬉しいこと、メデタイことは確実にあります。

 

少し寒さも緩んだこの連休に、我が家の次女が成人式を迎えました!

 

 

このブログを書き始めた初期の頃、

「636gの卒業生」(https://ameblo.jp/adachi-kodomo/entry-12005367029.html)というタイトルで、

小学校卒業について書いた、あのちっちゃな女の子が、いつの間にか成人式を迎える歳になりました。

 

弱視で盲学校かも、体も不自由かも、背は130cmかもと成長ホルモンを毎日注射、何度も斜視の手術、

と父の心配は尽きませんでした。

 

2歳の時でも、ぽぽちゃんのベビーカーに座れる小ささ!

2歳から特注のコンタクト装着!

 

(姉は小学校入学式、本人は保育園、人一倍小さかった)

 

発達面では、出来不出来が凸凹な発達特性(ADHD)さんですが、小学時代はマイペースで天真爛漫、中学時代は、目が悪くて体育、技術など副教科の内申点がもらえない!(身体に何らかの障害のある子どもは上位の学校を選べない、差別的な高校受験制度!)のを何とか乗り切り、高校は、本人の良さを最大限に評価、発揮出来る姫路の私立女子校へ通い、さらに超苦手な数学をギリギリ(31点)で乗り切り、典型的な文系女子として過ごしました。女子校で出会った先生から勧められた、歴史書(病草子)に触発され、それまでも偏った深い興味を示していた歴史の世界へ、そしてマニアックな古文書のディープな世界に足を踏み入れました。卒業後はどうするのかなと思っていると、嬉しいことに、「自ら選んで」歴史を深く学べる奈良の大学を選びました(TVで有名な千田嘉博先生曰く、変態の世界へようこそ)。生まれて初めてじゃないかと思われる、自己決断!で決めたことが嬉しかったですね。出身高校からその大学へは娘が初めてだった様です。それに合わせて、奈良で独り暮らしも始めました!!

 

 

それまでは、毎日のルーティンが苦手、何度も同じことを言わせる、時間ギリギリにならないと動き出さない、などなど、毎日親の癇に障ることばかりしでかす、とにかく、「手がかかる」少女でした。失敗しないように、上手くいくようにと、親が先回りして、チェックして、お膳立てして、「こうじゃないの」と手を差し伸べ、良かれと思って、一生懸命のつもりで親が関わってきたにも関わらず、なかなか上手く行かないことばかり。「この子はできない、いや本当はできるはず」こんな一喜一憂をひたすら繰り返す日々。

 

今振り返って見れば、親が良かれと思って手を出し過ぎることは、かえってその子の自立を妨げているんだ、

と親がようやく気づく有様。

 

思い切って、本人のやりたい様に(得意でやりたいことを)、体裁(学校名、大学名)なんかに左右されずに、そして何より、自分で生きていく力をつけていくために、「女の子だから手元に置いて」なんかじゃなく、親から切り離して(独立して)やらしてみよう、家でご飯の手伝いさえしていなかった(させていなかった)けど、しないといけない状況作れば出来るだろうと、漸く決断できました。

 

奈良での生活は、なんだかんだで痩せてないし、掃除や片付けは苦手だけどなんとか元気に生きているし、やっぱり「自分でなんとかしないと仕方ない」状況で、少しずつだけどできる様になってます。自分なりの自覚や工夫が出来る様になって、高校まで続けていた薬も中止できています。

 

中学時代は、「本が好き、休み時間は一人で読書」とコミュニケーションが苦手、高校時代で「少し友達関係が作れる様になった」程度の引っ込み思案の少女が、

大学では、写真部に入って一眼レフをぶら下げて関西各地に出かけたり、同じマニアック歴女の友人達と、東京の博物館まで出かけて見たり、下宿で女子会したり、幼少期から心配していた、コミュニケーションの苦手さも克服しつつあります。おまけに、ちょっとした恋愛も経験しましたが、現実が色々見えてしまって今はフリーだそうです(父、安堵)
 

昔から、「可愛い子には旅をさせよ」という諺があります。

 

これは言い換えれば、「可愛い子は、親離れさせよ(=子離れせよ)」ですね。

 

こんな娘の成長のおかげで、

日々の診療で出会う、娘とそっくりな大勢(300人超!)のADHDさんとその親御さんに、最近努めて言う様にしていることが、以下です。

 

自己決定をさせよう!

そのためには、どんどん失敗をさせよう!

自分で困って、初めて自分で真剣に考えて取り組むのです!

大人の心配で、先々手を出さないよう!

遠い所へ通う、行く、出かける、大いにやらせましょう!

満遍なく出来なくてもいい、興味のあることをとことんやらせてみましょう!

その代わり、苦手なものはギリギリでもいいから乗り切ろう!

 

こんなことを毎日の様にお話しています。

 

全て、娘を通して経験させてもらったからこそのアドバイスです

色々、困らせてくれて、考え学ばせてくれた娘に、感謝です。

「父の診療の幅は、あなたのおかげです」

 

現在、大学2回生、文化財保存学科で学び、徐々に専門科目が増えて、益々目を輝かせ楽しい様です。先日、ちょっと見せてくれたレポートやPPT資料に、しっかりと文章をまとめ、考察しているのをみて、成長したなと思いました。自分の言葉で、自分の思いを伝えるのがとっても苦手だったADHDの特徴も、こと得意の歴史に関しては、堂々とプレゼンできている様子です。マニアックな世界では、この偏りも武器になるのでしょうね。

 

「好きこそ物の上手なれ」

 

将来の進む方向として、古文書が好きでマニアックな「文献資料学」を選ぼうと考えているみたいで、大学院へ、そして奈文研、日文研、など、さらに学問に生涯を捧げるつもりの様です。

 

弱視の影響で、自転車や自動車の運転ができないことを嘆いていたこともありました。その時、愚妻が娘に言っていたことがあります。

「神様は、あなたに運転というものは与えなかったけど、文字(本)を読むのが好きと言うことを与えたんだよ」と。

不自由な目で周囲が余り見えなかったからか、手元の文字が大好きで、図書館の本を読破するかと思う勢いで読み漁り、本の虫、そこからマニアックで深い興味を示しました。

 

天は、広く見渡す視力は与えなかったのかもしれないが、手元の小さいな文字から多くの知識や興味を与えてくれました。

 

多くの大学生が、免許取得へという状況ですが、代わりに娘には、ありったけの書物と学ぶ環境を「とことん」与えてあげたい、

私たち夫婦の思いです。

 

 

20歳の女子大生の下宿の書棚には異様な、歴史書の数々、一緒に探している元々歴史大好きの妻、そして、余り歴史に関心のなかった父までもが、マニアックな世界にいつの間にか引き込まれてしまっていました。

 

 

天然痘が蔓延した奈良時代と、コロナが蔓延している現在とが、奇しくも似ている状況から、歴史の中の公衆衛生を掘り下げて調べています。漢方の歴史や今の医学にも通ずるものが多くあります。昨年には、家族揃って、日本医史学会というマニアックな学会にも入会しました。

 

卒業までに、両親の医学系知識と、歴史の資料を総動員して、家族連名の論文を執筆し、それを手にさらに勉強し、

ゆくゆくはオリジナルな専門分野を開拓していければなあ、なんて父は夢想しています(これこそお節介か?!)


それにしても、立派に大きくなった娘を嬉しく思います。

 

 

未熟児で出生した際に、市民病院で主治医として全力を傾けてくれた、同期の小児科I先生やその他のスタッフに感謝しかないです。I先生には、着物姿の娘の写真とお礼のメールを送らせて頂きました。

 

そして、まだまだ若く未熟で、当時はオロオロしていた私達夫婦を支えてくれた両親、周囲の方々に感謝です。

これまでずっと一緒に頑張り、妹を守ってくれた長女もまた、不登校を克服して、遠く岩手の雪の中で独り暮らし頑張っています。

 

(長女のインスタに書かれていたメッセージ)

 

そして一番の感謝は、当時、636gで生まれることに狼狽えた弱気な父を、

「私達が守るんだ」「一番頑張っているのは次女なのだから、自分たちがしっかりしないと」と、

悔しいくらいしっかりと振る舞い、父を叱咤激励し支えてくれた、妻に最大限の感謝を述べたいと思います。

 

「本当にありがとう」

 

この子たちと出会えてよかった

この子たちにいろいろ勉強させてもらったことを、仕事などを通じて、世の中で同じような心配をしている方に少しでも安心を与えられたらいいな

 

そう思っています。

 

最後に、20歳となった次女へエールを

 

「これからも、自分の力を信じて、いろんなことにチャレンジを」

 

「これまで通り、貴方らしく、そしてひたむきに」

 

そして、世の中の新成人達も、元気で!頑張れ!

 

そして、世の中に平和で安心な日々が早く訪れ、それが続きますように

 

M.A.