軽自動車の売り上げが好調で、最高の売り上げを記録しているメーカーもあります。これは、各メーカーがアイデアを出し、工夫し、知恵をしぼった結果です。
軽自動車には、エンジンの排気量、全長、全幅などに制限があります。その制限の中で、各メーカーがメーカー独自の個性的な車作りを目指してきました。
燃費をよくしたり、室内空間を広くしたり、スタイリッシュにしたり、高級車並の装備をつけたり、安全性や走行性能を高めたりと、いろいろな工夫をしています。
若者の車離れがいわれていますが、個性的な軽自動車のおかげで選択肢が増え、購入する年代層が若者から老人にまで広がり、売り上げ増につながっています。
また、税金が安い、車両本体がやすい、燃費がよいと言うことで、環境にもお財布にもやさしい軽自動車が選ばれているのです。
さて、このような状況をトヨタや日産などの大手メーカーはどのように見ているのでしょうか。
直接話を聞いたわけではないので、これはわたしの予想ですが、大手メーカーは子の状況を歓迎していると思います。
テレビCMの変化に気づかれた方も多いと思いますが、トヨタは、車に興味を持たせるようなCMを流しています。
軽自動車の躍進で、若い人が車に興味を持つようになり、国民全体の車への関心が高まることは、大手メーカーにとっても好ましいことです。
このような状況は、今現在のネットビジネス界に当てはまる状況です。
大手自動車メーカーは、億単位の収入を上げておられるすごい方々。
軽自動車メーカーは、そこそこ稼いでいたり、ネットビジネス界に参入間もない方々。
参入間もない方は、軽自動車メーカーのように、独自の工夫をして「自分らしさ」を前面に出して、自分にしかできないことを「売り」にして勝負するべきです。
すごい方々と同じ土俵で勝負しても、勝ち目はありません。
自分の土俵を自分で作って、そこで勝負すれば、そこは自分の世界ですから負けること自体がありません。
わたしたちが勝負すべき土俵は、自分で作った自分の土俵、つまり、自分の得意な分野をビジネスに結びつけるべきなのです。
人に何かを紹介したとき、
後輩にアドバイスをしたとき、
よく返ってくる返事が、
「はい、それがいいとは分かっているのですが、
今はちょっとやめておきます。」
なんだそれは?
いいと分かっているのなら、
ダメ元でも試してみたらいいのに。と思います。
人にアドバイスをするときは、
その人のことを真剣に考えて、
こうするのが一番いいと思ったことを伝えます。
それなのに、
このような返事をされると、もう、アドバイスなどしたくなくなります。
このような返事をしてしまうと、
人生において、
とても損をすることになると思います。
さて、
これを自分に置き換えて考えます。
自分で見つけたサイトやメルマガで、
いろいろなセミナーの紹介がしてあります。
信用できるもので、
費用も自分の範囲内であるものがけっこう見つかります。
そんなとき、わたしは、
「いいとは思うんだけど、今回はやめておこう」
などと考えてしまいます。
買い物をするときでも同じようなことがおこります。
店員さんに勧められて、
手に取ってみて、なかなかよさそうだなとは思うのですが、
「なるほど、いいと言うことは分かりましたが、
今日はやめておきます。」
これは、どういうことなんでしょう。
いいと分かっているなら、
参加したり、購入したりするはずですよね。
いいと分かっているけど、そうしない理由は、
本当にいいとは分かっていないからだと思います。
自分にとって、本当にいいもので、
大げさに言えば自分の人生を変えるかもしれないものなら、
きっと手に入れるはずです。
それをしないのは、
本当にいいものだと分かっていないからです。
※そのものが本当にいいものである場合の話です。
自分の今までの人生を振り返ってみて、
高いからとか、時間がなからというような理由で、
手に入れなかったものがたくさんあります。
もし、本当にいいものだから手に入れようと決心していたら、
自分の人生は大きく変わっていたかもしれません。
不必要なものを手に入れる必要はないですが、
信頼できる人にこれいいですよと勧められ、
自分でも、よさそうだと判断できたら、
どんどん手に入れていきたいと思います。
自分の人生が豊かになることを信じて。
後輩にアドバイスをしたとき、
よく返ってくる返事が、
「はい、それがいいとは分かっているのですが、
今はちょっとやめておきます。」
なんだそれは?
いいと分かっているのなら、
ダメ元でも試してみたらいいのに。と思います。
人にアドバイスをするときは、
その人のことを真剣に考えて、
こうするのが一番いいと思ったことを伝えます。
それなのに、
このような返事をされると、もう、アドバイスなどしたくなくなります。
このような返事をしてしまうと、
人生において、
とても損をすることになると思います。
さて、
これを自分に置き換えて考えます。
自分で見つけたサイトやメルマガで、
いろいろなセミナーの紹介がしてあります。
信用できるもので、
費用も自分の範囲内であるものがけっこう見つかります。
そんなとき、わたしは、
「いいとは思うんだけど、今回はやめておこう」
などと考えてしまいます。
買い物をするときでも同じようなことがおこります。
店員さんに勧められて、
手に取ってみて、なかなかよさそうだなとは思うのですが、
「なるほど、いいと言うことは分かりましたが、
今日はやめておきます。」
これは、どういうことなんでしょう。
いいと分かっているなら、
参加したり、購入したりするはずですよね。
いいと分かっているけど、そうしない理由は、
本当にいいとは分かっていないからだと思います。
自分にとって、本当にいいもので、
大げさに言えば自分の人生を変えるかもしれないものなら、
きっと手に入れるはずです。
それをしないのは、
本当にいいものだと分かっていないからです。
※そのものが本当にいいものである場合の話です。
自分の今までの人生を振り返ってみて、
高いからとか、時間がなからというような理由で、
手に入れなかったものがたくさんあります。
もし、本当にいいものだから手に入れようと決心していたら、
自分の人生は大きく変わっていたかもしれません。
不必要なものを手に入れる必要はないですが、
信頼できる人にこれいいですよと勧められ、
自分でも、よさそうだと判断できたら、
どんどん手に入れていきたいと思います。
自分の人生が豊かになることを信じて。
今日、ある小学校の先生とお話ししました。
その先生曰く、
「私のクラスの子どもは、準備をしたり、片付けたり、
また、そうじをしたりするのにとても時間がかかってダメなんです。」
「他のクラスと比べても、本当に遅くて困ります。」
わたしは、
「そうなんですか」
とだけ答えておきました。
このようなことは、会社や組織でもあるでしょうね。
「わたしの部下は、できないやつばかり集まっていてダメだ。」
「このチームで仕事をしていると、常に足を引っ張られている。
リーダーとしての自分のがんばりが台なしだ。」
学校の先生がこのようなことを言っているようでは、
その指導力が問われます。
その学級の子どもを担任して、9ケ月以上すぎています。
もう、そんなことを言っている時期ではありません。
掃除に時間がかかるなら、
効率よく掃除をする方法を教えなければなりません。
準備に時間がかかるなら、
サッと準備する良さを教えなければならないのです。
この先生は、今まで何を指導してきたんだろう、
どんな子どもを育てようとしてきたんだろうと、
大変不思議に思いました。
と同時に、
こんな先生に教えてもらっている子どもたちは、
大変かわいそうだなとも思いました。
会社や組織も同じですよね。
無能なリーダーの元で働かされると、
ストレスがたまって、楽しい仕事も楽しくなくなってしまいます。
リーダーは、
すべての責任は自分がとる。
成果は部下のおかげ、
失敗な自分の責任。
と言う考え方で行動するべきです。
学校の先生は、
子どもが賢くなるのは、子ども自身のがんばりのおかげ。
子どもがうまくできないときは、先生の責任。
と言う考えで教育を進めるべきです。
どの世界にも、
リーダーとしてふさわしくない人はいるもんですね
その先生曰く、
「私のクラスの子どもは、準備をしたり、片付けたり、
また、そうじをしたりするのにとても時間がかかってダメなんです。」
「他のクラスと比べても、本当に遅くて困ります。」
わたしは、
「そうなんですか」
とだけ答えておきました。
このようなことは、会社や組織でもあるでしょうね。
「わたしの部下は、できないやつばかり集まっていてダメだ。」
「このチームで仕事をしていると、常に足を引っ張られている。
リーダーとしての自分のがんばりが台なしだ。」
学校の先生がこのようなことを言っているようでは、
その指導力が問われます。
その学級の子どもを担任して、9ケ月以上すぎています。
もう、そんなことを言っている時期ではありません。
掃除に時間がかかるなら、
効率よく掃除をする方法を教えなければなりません。
準備に時間がかかるなら、
サッと準備する良さを教えなければならないのです。
この先生は、今まで何を指導してきたんだろう、
どんな子どもを育てようとしてきたんだろうと、
大変不思議に思いました。
と同時に、
こんな先生に教えてもらっている子どもたちは、
大変かわいそうだなとも思いました。
会社や組織も同じですよね。
無能なリーダーの元で働かされると、
ストレスがたまって、楽しい仕事も楽しくなくなってしまいます。
リーダーは、
すべての責任は自分がとる。
成果は部下のおかげ、
失敗な自分の責任。
と言う考え方で行動するべきです。
学校の先生は、
子どもが賢くなるのは、子ども自身のがんばりのおかげ。
子どもがうまくできないときは、先生の責任。
と言う考えで教育を進めるべきです。
どの世界にも、
リーダーとしてふさわしくない人はいるもんですね
今は、モノが売れない時代といわれています。
大企業も、
テレビでコマーシャルを流し、
新聞や雑誌に広告を出し、
悪戦苦闘しながらモノを売っています。
個人がモノを売るためには、
大企業のような方法は使えませんから、
頭を使っていかなければなりません。
モノを売るには、
どこで、何を、だれに、どのように売るのか、
ということが重要です。
ネットビジネスでは、
お客さんの属性を細かく絞って、
買ったらどんなメリットがあるのかを訴えて、
買いたくなるように宣伝していきます。
これで、どんどん成果が上がりそうに思いますが、
宣伝の仕方によっては、
全く売れなくなってしまいます。
あおるだけあおって買わせてしまうと、
それほど価値のあるモノでなければ、
お客さんは離れていってしまい、
決してリピーターにはなってくれません。
そうなると、
また新たなお客さんを見つけていかなければなりません。
新たなお客さんが見つからなければ、
売り上げはゼロになります。
これは、不安定で、大変効率の悪いやり方です。
売る側の都合のみで考えると、
このようなビジネスとなって、ついには破綻してしまいます。
そこで、視点を変える必要が出てきます。
モノが売れないこれからの時代は、
お客さんの都合でビジネスを考えるべきなのです。
売りたいモノは、お客さんにとってどんな価値があるのか。
売りたいモノは、お客さんにどんなコストがかかるのか。
売りたいモノは、お客さんにどんな利便性をもたらすのか。
お客さんは、モノを通して売り手とコミュニケーションができるのか。
つまり、売りたいモノはお客さんにとって魅力的なモノであるのか。
という視点が大切になってきます。
どんなにすばらしいモノ(売り手にとって)であっても、
お客さんがそれに魅力を感じてくれなければ、
絶対に買ってもらえません。
例えば、発毛・育毛促進剤。
どんなに年を取っていても、これを使えば必ず発毛する。
そんな薬は、客観的に見たら、すごい薬です。
でも、髪の毛がふさふさしている人にとっては、
たとえ100円であってもほしくない商品です。
そのものの価値は、お客さんが決めるのです。
売りたいモノは、お客さんにとってどんな価値があるのか。
売りたいモノは、お客さんにどんなコストがかかるのか。
売りたいモノは、お客さんにどんな利便性をもたらすのか。
お客さんは、モノを通して売り手とコミュニケーションできるのか。
ものが売れない時代にあっては、
これらのことが大変重要な視点となります。
大企業も、
テレビでコマーシャルを流し、
新聞や雑誌に広告を出し、
悪戦苦闘しながらモノを売っています。
個人がモノを売るためには、
大企業のような方法は使えませんから、
頭を使っていかなければなりません。
モノを売るには、
どこで、何を、だれに、どのように売るのか、
ということが重要です。
ネットビジネスでは、
お客さんの属性を細かく絞って、
買ったらどんなメリットがあるのかを訴えて、
買いたくなるように宣伝していきます。
これで、どんどん成果が上がりそうに思いますが、
宣伝の仕方によっては、
全く売れなくなってしまいます。
あおるだけあおって買わせてしまうと、
それほど価値のあるモノでなければ、
お客さんは離れていってしまい、
決してリピーターにはなってくれません。
そうなると、
また新たなお客さんを見つけていかなければなりません。
新たなお客さんが見つからなければ、
売り上げはゼロになります。
これは、不安定で、大変効率の悪いやり方です。
売る側の都合のみで考えると、
このようなビジネスとなって、ついには破綻してしまいます。
そこで、視点を変える必要が出てきます。
モノが売れないこれからの時代は、
お客さんの都合でビジネスを考えるべきなのです。
売りたいモノは、お客さんにとってどんな価値があるのか。
売りたいモノは、お客さんにどんなコストがかかるのか。
売りたいモノは、お客さんにどんな利便性をもたらすのか。
お客さんは、モノを通して売り手とコミュニケーションができるのか。
つまり、売りたいモノはお客さんにとって魅力的なモノであるのか。
という視点が大切になってきます。
どんなにすばらしいモノ(売り手にとって)であっても、
お客さんがそれに魅力を感じてくれなければ、
絶対に買ってもらえません。
例えば、発毛・育毛促進剤。
どんなに年を取っていても、これを使えば必ず発毛する。
そんな薬は、客観的に見たら、すごい薬です。
でも、髪の毛がふさふさしている人にとっては、
たとえ100円であってもほしくない商品です。
そのものの価値は、お客さんが決めるのです。
売りたいモノは、お客さんにとってどんな価値があるのか。
売りたいモノは、お客さんにどんなコストがかかるのか。
売りたいモノは、お客さんにどんな利便性をもたらすのか。
お客さんは、モノを通して売り手とコミュニケーションできるのか。
ものが売れない時代にあっては、
これらのことが大変重要な視点となります。
最近は、量販店や公共施設のトイレは、
土足で入るところが多いですね。
それでも、公共施設や会社などでは、
スリッパに履き替える所も残っていますね。
我が家にもトイレにはスリッパがあります。
さて、みなさんは、トイレのスリッパをどのようにされていますか。
次の人が履きやすいように、
つま先をトイレの方に向けて揃えているでしょうか。
つま先を出口の方に向けているでしょうか。
バラバラに乱雑に脱いでいるでしょうか。
わたしは、つま先をトイレの方に向けて揃えています。
つま先をトイレの方に向けて揃える方がほとんどだと思いますが、
なぜ、そうするのでしょうか。
機会があって、小学生に、トイレのスリッパを揃えるのはなぜか聞いてみました。
すると、ほとんどの子は、
「次の人がはきやすいようにするため」
と答えてくれました。
先生や親にそのように教わっているのだろうなと思いました。
今このブログを読んでくださっている「あなた」は、
なぜスリッパを揃えるのでしょうね。
わたしは、自分のために揃えています。
といっても、次に自分が使うときのためではありません
どんな自分でありたいか。
どんな自分が好きな自分なのか。
ということです。
トイレのスリッパをきちんと揃える自分と、乱雑にしてしまう自分。
どっちの自分を好ましい自分だと思うのか。
わたしは、トイレのスリッパをきちんと揃え瑠自分を好ましいと思います。
スリッパも揃えられないような人ではありたくないから、揃えています。
これは、他のいろんなことに当てはまると思います。
ルールを守る。
人に迷惑をかけない。
・・・
どんな自分を目指すのか、
どんな自分でありたいか、
どんな自分が好ましいのか、
という規準で行動したいと思っています。
小さな子どもたちであれば、
先生に叱られるからルールを守るとか、
親にほめられるからスリッパを揃えるというように、
自分の外に行動の規範がある場合が多いですね。
成長するにつれて、目指す自分像が、行動の規範となってきます。
世の中を見渡すと、
行動の規範がおかしいのではないかと思える大人がたくさんいます。
警察のお世話になって直すのではなく、
自分の力で直せないものかなと思うと同時に、
今後そういう大人を作らないために、
教育の力でなんとかならないものかなあと、つくづく思います。
教育って、大切ですね。
土足で入るところが多いですね。
それでも、公共施設や会社などでは、
スリッパに履き替える所も残っていますね。
我が家にもトイレにはスリッパがあります。
さて、みなさんは、トイレのスリッパをどのようにされていますか。
次の人が履きやすいように、
つま先をトイレの方に向けて揃えているでしょうか。
つま先を出口の方に向けているでしょうか。
バラバラに乱雑に脱いでいるでしょうか。
わたしは、つま先をトイレの方に向けて揃えています。
つま先をトイレの方に向けて揃える方がほとんどだと思いますが、
なぜ、そうするのでしょうか。
機会があって、小学生に、トイレのスリッパを揃えるのはなぜか聞いてみました。
すると、ほとんどの子は、
「次の人がはきやすいようにするため」
と答えてくれました。
先生や親にそのように教わっているのだろうなと思いました。
今このブログを読んでくださっている「あなた」は、
なぜスリッパを揃えるのでしょうね。
わたしは、自分のために揃えています。
といっても、次に自分が使うときのためではありません
どんな自分でありたいか。
どんな自分が好きな自分なのか。
ということです。
トイレのスリッパをきちんと揃える自分と、乱雑にしてしまう自分。
どっちの自分を好ましい自分だと思うのか。
わたしは、トイレのスリッパをきちんと揃え瑠自分を好ましいと思います。
スリッパも揃えられないような人ではありたくないから、揃えています。
これは、他のいろんなことに当てはまると思います。
ルールを守る。
人に迷惑をかけない。
・・・
どんな自分を目指すのか、
どんな自分でありたいか、
どんな自分が好ましいのか、
という規準で行動したいと思っています。
小さな子どもたちであれば、
先生に叱られるからルールを守るとか、
親にほめられるからスリッパを揃えるというように、
自分の外に行動の規範がある場合が多いですね。
成長するにつれて、目指す自分像が、行動の規範となってきます。
世の中を見渡すと、
行動の規範がおかしいのではないかと思える大人がたくさんいます。
警察のお世話になって直すのではなく、
自分の力で直せないものかなと思うと同時に、
今後そういう大人を作らないために、
教育の力でなんとかならないものかなあと、つくづく思います。
教育って、大切ですね。