昔は特別扱いが嫌いだった。
一人だけ別クラスに隔離され、それをネタにいじめられたことがあった。
なんというか「フツウ」に憧れていたことがあった。
それが、おとなになった今では…
「フツウ」というものが、とても窮屈に感じている自分がいた。
インドア趣味への偏見、障害を打ち明けた返答が「病気に逃げている」、
いいことをした話をすれば「人として当たり前」
パワハラじみた言動を指摘すれば「これが社会だ」
フツウというのは、今となっては窮屈なハコ。
誰かが誰かを支配するための口実、十人十色の否定、我慢の強要。
…なんのために、感情というものがあるのだろうか。
そんなにフツウがいいのであれば、人間に感情なんていらない。
人間性というのは、心の否定なのではないかと、時々思う。