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今回はタイマー公開書き溜めブログ。
…前職を辞めたあたりからだろうか、人間関係に関しては
「結局その人の考え方なんて、成り代わったりしない限りわかり合えない。」
という、一種の諦めが自分の中にある。
それは家族や友達、職場仲間も上司も「所詮、他人」というべきか。
ASDを背負うことがどれだけ生きづらいかなんて、背負ったことがない人には分からぬだろう。
ましてや「病気に逃げている」と言い放った人なんて、まさにそれだろう。
結局誰しも、自分の見てきたこと、経験してきたことが全てなのだと思う。
過去の失敗を繰り返さないために歴史を学ぶなんて言う人もいるが、
その歴史をどう解釈するかも、人によって異なるのだから。
…悲しむべきは、そんな「所詮、他人」のために
自分の持ってきたものを否定され続け、いつしか自己を見失った人々がいるということ。
なぜ「所詮、他人」でしかないのに、「自分」を押し付け合うのだろう。
…まあ、うちも他人のことは言えないのかもしれないが。
少なくともうちは、そんな押し付け合いに揉まれた末に
「フツウ」というものがとても窮屈に感じるようになった。
「社会」というものが、怖く見えるようになってしまった。
今でも、一般就労、転職を考えようとすると…フラッシュバックに襲われる。
働くことはまあ嫌いではないが…でも、一般就労が怖い。
「所詮、他人」と頭でわかっていても…やはり、人が怖いと感じてしまう。
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