犬物語 | 鳥飼和一郎のブログ

鳥飼和一郎のブログ

親しい知人のブログを読んで新しい世界を知りました。
この世に何かを残す事に今トキメキを感じます。
偶然とはミラクルなものです。ボランティア、音楽、絵、友人達、毎日が生きがい元気です。

かなり前の話の話だが、家族の一員だったペスという犬が死んだ。道端の草の中に3匹の子犬が捨てられているのを娘の友人が見つけて3人それぞれが持ち帰って育てた。

それがとんでもない犬で噛む、唸る、吠えるあまりにもひどい。娘に 「この犬は飼えないから返品してこい」 と言った。娘がは 「道で拾ってきたので返品のしょうがない」 と応戦してきた。犬に似た性格だ。

仕方なく家の裏、物置の中で飼うことにした。毎日が犬とのけんかである。近所の人もこんな凶暴な犬は見たことが無いとあきれていた。雑種の茶色の小型犬、一見おとなしい感じがするが犬はわからないもので、人を見るといきりたつた。まあそれでも飼えば情も移りだんだん可愛くおもえてきた。

毎日会社から帰ると頭を撫ぜろとすり寄っきて甘える。5歳になってあまりうるさいので 「お前には負けたなんとかならんのか」 と言ってみたが意味が全然通じない。その頃私はカットなつて思いきり足蹴りを試みて犬に当たらないでフェンスを直撃して、右足のつま先を骨折。未だにときどき痛む。ある日決心して家の中で飼うことにした。

昼夜かんけいなしで家中走り回る、やたらジャンプする、階段をあがったり降りたり一瞬なりともじっとしていない。私の子供の頃とよく似ている。食事も人並みで食卓の側で家族といっしよに食べる。妻が「ごはんですよ」と声を出すと、私より先にとんで行く。

休日に外出する時はいつでも車に乗せてどこでも行った。数えきれないほどの思いでを作り、だんだんと私が犬に飼育されていいなりになってきた。妻はもともと犬嫌いだったが、私が嚙まれるの怖がるため、しかたなく犬洗いの役は彼女になった。

娘は弟のように可愛がり一人っ子の寂しさを忘れていた。ただ外国の生活が長いのでたまにしか会えないが、どちらもあまり深く考えないでつきあっていた。年月がたつにつれだんだんと歳を取り14歳ぐらいからおとなしくなってきた。病弱でもいいおとなしくなればと喜んでいたが、犬が毎日 「俺もあんまり長くない」 と言いたそうな顔をするようになった。

娘は外国を放浪中、死んだら大変なことになる。娘は携帯電話をもたない主義、連絡のとりようがない。 「えらいこっちやどうしょう」 と思ってたある日突然帰国した。無一文になったのだ。
盆を少し過ぎたある日犬は娘の腕の中で息を引き取りはじめて静かになった。

やれやれと思ったが悲しみもあった。山を越え寺の納骨堂に行けばいまでも会えるが、今年の命日も家の写真を見ただけですました。

最近になって知人から借りた、よしもとばなな著「さよならラブ子」の中に 「犬というものは天使みたいなもので、死ぬときまで飼い主の都合を考えてくれるそうでジンとくる。考えなくてもいいのにねえ・・・・」と書いてあるのを読ん、でまったくそのとうりだと思った。

その後娘はイギリスに行き1年後帰国したときは犬のことをすっかり忘れ、世話していた猫のことばかり話していた。

私が高校生の頃家にいた雑種の犬を父が「ペス」と名付けて可愛がっていた。なので同じ名前をつけてみた、ペス・ジュニアーである。私の生涯で親しかった犬は彼ら2頭のみである。