陽転思考の達人 過去と現在の賢人たちに学ぶ実践的アクティブ・ブレインの生き方 -32ページ目

陽転思考の達人 過去と現在の賢人たちに学ぶ実践的アクティブ・ブレインの生き方

記憶術×陽転思考の<a href="http://www.oda-abs.com">アクティブ・ブレイン・セミナー</a>を受講した方限定のメルマガ「ウィークリーコンパス」の中から「陽転思考の達人」のみを抜粋し公開しています。

●運を引き寄せる最強の「幸運力発想法」

経営の神様・松下幸之助には、採用や人事において、独特の判断基準がありました。
それは、「運の良い人を選ぶ」ということです。

重要な経営判断をする場面で、「運」という、一見あいまいで非科学的な要素を導入することに対しては、違和感や反感をもつ人も少なくないでしょう。
そもそも、運の良い人と悪い人をどうやって見分けるのか、という問題もあります。

そうした疑問に対して、松下は「見ればわかります」と答えています。
ある意味、何ら答えになっていないようにも思えますが、その後には、とても示唆に富んだ言葉が続きます。
「運の良い人は、自分で自分のことを運の良い人間だと信じている」と。

石に躓いて転んだ時、「誰だ、こんな所に石を置いたのは」「ああ、今日は朝からついてない…」と「不運をなげく人」がいます。
一方で、「ああ、大ケガせずに済んで良かった」「これで厄払いができた。きっと今日は良いことがある」「子供やお年寄りが転ばなくてよかった」と、「幸運に感謝する人」もいます。

要するに、運・不運の分岐点は、「石に躓く」という同じ出来事に対する解釈の違いにあるということ。
人の羨むような「幸運」に恵まれていても、不平不満が先行し、自らの不運を嘆き続ける「不運な人」もいれば、どんなにきつい状況に置かれても、その中に幸運のかけらを見出せる「幸運力」の高い人もいます。

松下自身、「学歴がなく、病弱だったことが成功につながった」と、その自らの「幸運」について述懐しています。(先回の投稿参照

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□書籍のご紹介
 『1分間松下幸之助
  逆境を力に変える不屈の人生哲学77
  小田全宏著
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●大成功の秘訣は「学歴がなく病弱だったこと」

経営の神様と称される松下幸之助。松下電器(現パナソニック)を創業し、PHP研究所や松下政経塾など、社会教育事業にも大きな功績を残しました。
しかし、その輝かしい成功とは裏腹に、松下の少年期は、普通に考えれば、まさに「夢も希望も持てない」ような、絶望的な状況にありました。

松下が4歳の頃、父親が事業に失敗します。その後も経済的な困窮が続き、9歳の時、尋常小学校を4年で中退、親元を離れ、たった一人で火鉢店に丁稚奉公に出ます。
しかしその店も3か月で廃業となり、その後、自転車店、セメント工場など、仕事を転々とします。

18歳の頃、大阪電灯で働きながら商工学校夜間部予科に通いますが、そこも1年で中退に追い込まれます。
さらに生まれつき病弱な体質で、必死で働きながらも、常に体に対する不安が付きまとっていました。
松下はなぜ、そのような過酷な状況から世界的な経営者へと這い上がることができたのでしょう。

「成功の秘訣は?」という問いに松下は、「学歴がなかったことと、体が弱かったから」と答えています。
「僕は体が弱かったから部下に仕事を頼んだ。だから部下が育ってくれたと思う。学歴がなかったから、部下の意見をよく聞いた。だから成功できたんだと思う」と。

もちろん誰でも「低学歴で病弱であれば成功する」などということはありません。大切なことは、その自分が置かれた状況をどのように受け止めて、どう行動に移すか、ということです。

一見、マイナスに思えるようなことでも、考え方や行動を変えることによって、それを逆にプラス方向へと転換できるということを、「経営の神様」は、身をもって証明してくれているのです。

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●至誠をもって立てた志は必ず成し遂げられる

安政の大獄。吉田松陰は、処刑される前の2日間で、門下生に向けた遺書「留魂録」を書き上げています。
「留魂録」は、その後、維新へと突き進む門下生たちの思想や行動に大きな影響を与えました。

「留魂録」の冒頭には、松陰の辞世の句が掲載されています。
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」

門下生に日本の未来を託した次の一節は、とくに門下生たちの心を揺さぶりました。

死を覚悟した私の平安な心は、穀物の四季を考えることによって到達し得たものである。人間にも穀物と同じように春夏秋冬がある。(中略)
私は三十歳という人生であり、長くもなければ短くもない。四季が備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずだ。
しかしながら、それが単なるモミガラなのか、それとも実の詰まった粟の粒なのかは、私の知るところではない。
もし同志諸君のなかに、私のささやかな真心を受け継いでくれるような人がいるなら、蒔かれた種が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じであろう。(『吉田松陰 留魂録 (全訳注)』古川薫訳・講談社学術文庫)

志なかばで倒れるように見えても、決してそうではない。その志はきっと誰かが引き継いで成し遂げてくれるーー松陰は、門下生に対してそう言いたかったのでしょう。
あるいは、死にゆく自分自身に対しても、そう言い聞かせていたのかもしれません。

至誠をもって立てた志は、たとえ命が絶えた後であっても生き続け実を結ぶということを、松陰は最後の最後まで確信していたのです。(完)

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 『吉田松陰 留魂録 (全訳注)
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●心を尽くして立ち向かえばきっと道は開ける

「至誠にして動かざる者は未だこれあらざるなり」ーー誠心誠意をもって臨めば不可能はないーー吉田松陰は、この孟子の言葉を座右の銘として実際にそのごとく生きました。

しかし現実には、「動かないこと」はたくさんあり、松陰の人生は失敗と挫折の繰り返しでした。
20代前半の頃、藩の許可を待たずに東北地方の視察に出かけて脱藩、その後、罪に問われて士籍剥奪、世禄も没収されてしまいます。
ペリーが来航した時には、西洋の知識を身に付けようと伊豆下田港に停泊中の船に乗り込んで密航を企てますが、受け入れられずに投獄されています。

しかし、失敗してもすぐに頭を切り替えて次の行動を起こすというのが、松陰の人並外れたところです。
あるいは、そもそも松陰は「失敗」とは思っていなかったのかもしれません。
志を成し遂げるという大きな流れから見れば、まだその途上にいると考えていたのでしょう。

とにかく、どんな試練にあっても、たとえ命の危険にさらされるようなことがあっても、「心を尽くして立ち向かえばきっと道は開ける」という強い信念、楽観的な考え方が、常に松陰の心を支えていたのです。
安政の大獄の時、幕府要人の暗殺容疑で投獄されますが、それでも「死罪はまぬかれる。重くとも他家預け、軽いとこれまでどおり。いずれは近いうちに片づきます」と、高杉晋作らに手紙で伝えています。

その希望的観測も虚しく29歳という若さで処刑されることが決まった後でさえ、松陰は自分の人生を「実のあるものだった」と肯定し、弟子たちが切り拓くであろう日本の未来に希望を見出しています。

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●志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない

松下村塾の標語は「立志」でした。
「志を立てて、以って万事の源となす」として、吉田松陰は常に塾生に志を立てることの大切さを教えていました。
志がなければ、学問をすることさえ意味がない(どころか、かえって害が大きくなる)とまで言っています。実際、志も倫理観もない人が権力の座についた場合の弊害は、多くの人が実感するところでもあります。

松陰が、当時まだ14歳だった山田顕義に書き送った漢詩があります。

立志尚特異 (大きな志を立てて人と異なることを尊べ)
俗流與議難 (世俗の意見に惑わされるな)
不思身後業 (死後のことを思い煩うな)
且偸目前安 (目先の安楽は一時しのぎと知れ)
百年一瞬耳 (百年は一瞬にすぎない)
君子勿素餐 (現状に甘んじて無駄に時を過ごすな)

この松陰の言葉を胸に、山田は維新の後、初代司法大臣となり、日本大学を創設して若者の教育に力を入れていきます。

志と夢。どちらもいつか実現させたいという希望や願望ですが、夢が、カッコイイ車が欲しいとか、司法試験に合格したいとか、どちらかというと私的な願望であるのに対して、
志は、日本と世界の架け橋になりたいというような、より公的な使命感が伴う決意というニュアンスがあります。

自分のことは考えに入れず、日本の将来のために人生を捧げた無私の人・松陰にとっては、志と夢が、ほぼ完全に一致していたともいえるかもしれません。

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