陽転思考の達人 過去と現在の賢人たちに学ぶ実践的アクティブ・ブレインの生き方 -27ページ目

陽転思考の達人 過去と現在の賢人たちに学ぶ実践的アクティブ・ブレインの生き方

記憶術×陽転思考の<a href="http://www.oda-abs.com">アクティブ・ブレイン・セミナー</a>を受講した方限定のメルマガ「ウィークリーコンパス」の中から「陽転思考の達人」のみを抜粋し公開しています。

●「しつけ3原則」と「立腰教育」がもたらす心身統一

森信三が提唱した「しつけ3原則」は、子どもはもちろん、大人にさえそのまま通用する日常の行動指針です。

 【しつけ3原則】
 1) ハイという返事
 2) 朝のあいさつ
 3) はきものを揃え、椅子を入れる

この3つの根本的なしつけを、遅くとも小学校低学年までにやれば、他のしつけはできるようになると、森は確信をもって主張しています。
さらに彼は、実践的な教育論として「立腰教育」を考案し、それを自ら「人間に性根を入れる極秘伝」とまで公言しています。

 【立腰教育】
 1) 腰骨を立てる
 2) アゴを引く
 3) 下腹の力を抜かない

これを、立っている時はもちろん、座っている時も実践することで、心と体が1つになり、主体性が確立するようになるというのが森の唱える「立腰教育」です。
この「立腰教育」と「しつけ3原則」に基づいて、実践的に子どもたちを教育している保育園も全国に多数あり、その効果は現場において実証されています。

「しつけ3原則」も「立腰教育」も、一見、極めて単純で誰にでも分かるような平易な内容ですが、その背景には、東西の哲学を越えて壮大な宇宙観、人生観を確立した森の全一学があります。
森は、あえてその深淵を語らずに、具体的で、ある意味「泥臭い」ともいえる行動指針を提示し、まず身体でもってそのごとく行動することから始めることを推奨しているのです。

「きれいごとの好きな人は、とかく実践力に欠けやすい。実践とは、どこかヤボったくて、ときには泥臭いところを免れぬもの」であると、森は述懐しています。

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□書籍のご紹介
 『森信三一日一語
  寺田一清著
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●心と体・未来と現在・理想と現実をつなぐ全一学

「国民教育の父」と称される森信三は、京都大学哲学科で西田幾多郎のもと、西洋・東洋の哲学を極めます。

しかし、どんなに深く考え抜かれた思想であっても、「いかに生きるべきか」という問いに対して具体的な解答を提示することができないのであれば、それは無用の長物に過ぎないと、森は主張しています。

「学問のための学問」に陥りがちだった「哲学」との違いを明確にするために、森は自らの思想を「全一学」と名付けます。
全一学とは、心と体、理念と実践、未来と現在を、対立させずに一つの有機的なつながりのなかで捉えつつ、「人生いかに生きるべきか」ということをテーマに森の思想を体系化したものです。

森が目指したのは、知識偏重の観念論を深めるのではなく、まさに子どもから大人まで実践可能な「人生のための学問」を確立することでした。
そのため彼の思想は一見、将来よりも今、理想よりも現実、天国よりも地上、夢よりも実生活…のほうを重視しているかのように受け止められがちです。

しかし、全一学という言葉に示されるように、彼は、決してそれらを対立的に捉えていたのではありません。
むしろ、将来を明るくするためには今を、理想に近づくためには現実を、夢を実現するためには日々の生活を――しっかりと生きることが大切であるということを、森は教えているのです。

未来に夢や希望を持つことは、とても素晴らしいことのようにも思えますが、一歩まちがうと単なる現実逃避に陥ってしまう危険性もあります。
未来を真に輝かせるためには、あれこれ思い巡らせてばかりいるよりも、まず姿勢を正し、今の現実を直視しつつ、とにかく最初の1歩を踏み出す、行動する、ということを森は教えてくれています。

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□書籍のご紹介
 『修身教授録』現代に蘇る人間学の要諦
  森信三著
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●「人生二度なし」ということを身体的に実感する

今から20年程前、97歳の長寿を全うして他界した森信三。
一般的な知名度はそれほど高くはないかもしれませんが、戦後の教育界に与えた影響は大きく、「国民教育の父」という称号がその業績の偉大さを証明しています。

森の思想の根幹にあるのが、「人生二度なし」という人生観。
今自分がこうして生きているということは、この宇宙でたった一度限りの大事件であり、今この瞬間も、二度と再現することのできない掛け替えのないひと時であるということ。

それは誰しもが当たり前のように(しかし漠然と)知っていることではあります。
しかし単に「知っている」ということと、本当の意味で「分かる」ということの間には、大きな隔たりがあると、森は主張しています。

たとえば、体に針を刺せば痛いということは、誰もが体で分かっていることであり、まともな神経の人であれば、好んでそうする人はいません。
同じように、煙草が体に悪いということも多くの人が「知っていること」です。
もし、その1本1本を吸うことが、体に針を刺すような痛みを伴うのであれば、誰もが禁煙をするはず。

しかし、禁煙はなかなか難しいという現実からすると、その煙草の害が本当の意味では分かっていないということになります。
要するに「分かっちゃいるけどやめられない」というのは、結果的に「分かっていない」ということにほかなりません。

「腑に落ちる」という言葉で表されるように、「真に分かる」ということは、多くの場合、身体的な感覚を伴うものであると、森は考えていたようです。
実際、森の教育法は、具体的な言動・行動を正すことから入るという、徹底した実践指導でした。

「人生二度なし」ということが、身体感覚を伴うほど真に分かるようになれば、誰に言われるまでもなく、「無駄に過ごすことなどできない」ということになるはずです。

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□書籍のご紹介
 『修身教授録』現代に蘇る人間学の要諦
  森信三著
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●思い通りにはならなくてもそのプロセスを肯定する陽転思考

「人生は心に描いたとおりになる、強く思ったことが現象となって現れてくる」ーー後編2でも述べた稲盛和夫の言葉です。
そして彼は、実際に心に描いた数多くのビジョンをことごとく実現させてきました。
こうした考え方は、稲盛に限らず、多くの成功者に共通する成功哲学でもあります。

しかしその一方で、稲盛は「思い通りにならないこともある」ということを、率直に認めてもいます。
それは稲盛が65歳で臨済宗の寺で在家得度をしてからのこと。
禅宗の仏教者は皆、悟りに至ることを目標としますが、稲盛は著書『生き方』の中で次のように語っています。

「どれほど持戒に努め、精進を重ね、何百時間座禅を組もうと、私はついに悟りに届くことはできない。
私のように意志が弱く、煩悩から完全に離れることができない人間は、心を磨くためにいくら善きことを行おうとしても、私欲を完全になくし、つねに利他の思いをもちつづけることはできないでしょう。」

得度するほどの決意であったわけですから、稲盛も当然、生半可な気持ちではなく、悟りに至ることを強く願ったはずです。
しかし、偉大な業績を成し遂げてきた彼の強靭な意志と情熱とイメージ力をもってしても、悟りへの道は絶望的であると、彼自身が実際に経験し、吐露しているのです。

それは、「思いは実現する」という主張と矛盾しているともいえるでしょう。しかしそれでも、たとえ目標に至らなくても、そこに向かおうとする気持ちや姿勢を、稲盛は肯定的にとらえています。

「戒めを十全には守れなくても、守ろうとする気持ち。守らなくてはいけないと思う気持ち。守れなかったことを真摯に自省、自戒する気持ち。
そうした思いこそが大事であって、そのような心をもって毎日を生きていくことが、悟りに至らないまでも、十分に心を磨くことにつながり、救いにも通じる。
そのことを私は、得度や修行によって信じることができるようになりました。」『生き方』より。

思いを尽くしてがんばったのであれば、たとえ結果が思い通りではなかったとしても、その「がんばった自分」を肯定するーーそれこそまさに陽転思考的な生き方そのものです。(完)

┌────────────┤おすすめ├┐
□書籍のご紹介
 『生き方』- 人間として一番大切なこと
  稲盛和夫著/サンマーク出版
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●自ら燃え上がることのできる「自然性」の人になれ

「物事をなすには、自ら燃えることができる『自然性』の人間でなくてはなりません。」ーー技術者らしい稲盛和夫の言葉です。

稲盛は、人間のタイプを、次の3つの物質に例えて分類しています。
【可燃性】火を近づけると燃える物
【不燃性】火を近づけても燃えない物
【自然性】自分で勝手に燃え上がる物

稲盛が最も好んで用いたのは、自らやる気を出して燃え上がることができる「自然性」の人でした。
また、せめて「燃えている人間」が近づくと、一緒に燃え上がることができる「可燃性」の人であってほしいと述べています。
逆に、不燃性の人に対しては、「会社にいてもらわなくてもいい」とまで突き放しています。

ただ、自然性の人ばかりだと、大きなエネルギーが充満するかもしれませんが、現実的には、予想外の爆発や暴発の危険性もあるでしょう。
組織運営上は、そのエネルギーを上手にコントロールすることも大切で、そのときに必要なスタンスは、ある意味「不燃性」的な要素であるともいえるかもしれません。

しかし、稲盛が嫌う「不燃性の人」とは、
「まわりからエネルギーを与えられても、ニヒルというかクールというか、さめきった態度を崩さず、少しも燃え上がらない人間」であり、「能力はもっているのに、熱意や情熱に乏しい人」のことです。
「燃える」ことに対する理解や共感を持ちつつ、自らも燃え上がりたいのに、より大局的な立場に立ってあえて「不燃でいられる人」のことではありません。

後編3」でも述べたように、稲盛のプロジェクトの進め方は、「楽観的に構想し、悲観的に計画し、楽観的に実行する」というものでした。
彼はそこで「悲観的な考え」の有用性もしっかりと説きつつ、単純なプラス思考に流されることを戒めています。

「自然性」の人であればあるほど、冷静に自分を見つめ、周囲の人の意見を聞き入れる耳をもつことを心がけるべきです。
逆に、「不燃性」的傾向があるならば、せめて「可燃性」でありたいと、燃える人に近づきつつ、自らの心を奮い立たせる努力が必要でしょう。

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□書籍のご紹介
 『生き方』- 人間として一番大切なこと
  稲盛和夫著/サンマーク出版
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