陽転思考の達人 過去と現在の賢人たちに学ぶ実践的アクティブ・ブレインの生き方 -26ページ目

陽転思考の達人 過去と現在の賢人たちに学ぶ実践的アクティブ・ブレインの生き方

記憶術×陽転思考の<a href="http://www.oda-abs.com">アクティブ・ブレイン・セミナー</a>を受講した方限定のメルマガ「ウィークリーコンパス」の中から「陽転思考の達人」のみを抜粋し公開しています。

●波乱万丈の人生を越えて悟った「絶対積極」の心

偉大な業績を残した人たちの多くは、初めから順風満帆だったというわけではなく、その成功に至るまでの過程において、さまざまな紆余曲折を経てきています。
なかでも中村天風の生涯は、その数奇さ、波乱万丈さにおいて群を抜いているといえるでしょう。

1876年、大蔵省エリート官僚の家に生まれながら、手の付けられない暴れん坊で、ケンカをすれば、相手の指を折ったり耳を引きちぎるようなことまであったようです。
柔道の試合で天風(当時は三郎)に負けた相手が、その腹いせにナイフを手に闇討ちをしてきたとき、天風は逆に相手を刺殺してしまいます。
正当防衛が認められはしましたが、その事件をきっかけに学校を退学となり、10代半ばにして玄洋社(政治結社)に籍を置きます。

天風はそこですぐに頭角を現し、その能力を高く評価した頭山満(玄洋社総帥)の紹介によって帝国陸軍の軍事探偵(諜報員)として、満州へと渡ります。まだ16歳の時のことでした。
日露戦争の開戦が間近に迫った頃、天風はロシアのコサック兵に捕えられますが、銃殺刑執行の直前に部下の助けにより脱出に成功しています。

日露戦争の後、天風は陸軍で通訳の仕事に従事しますが、満州時代の無理が祟ったのか、当時不治の病とされた重症の結核を患ってしまいます。
病気を克服するために天風はアメリカに渡り、名門コロンビア大学で医学を学びます。
そこで医学の限界に直面した天風は、精神面から病気に打ち勝つ道を探し求めてイギリスやフランスに渡航、著名な哲学者や思想家と交流を深めます。

しかし、そこでもまた根本的な救いを得ることができず、諦めて日本への帰路につきますが、その途上でインドヨガの指導的立場にあったカリアッパ師と運命的な出会いをします。
一目見てすぐに天風が抱えている問題を見抜いたカリアッパ師に驚嘆、天風はそのまま弟子入りしてヒマラヤ山脈麓の村で2年半に及ぶ過酷な修行を続けます。
そこで得た悟りの体験を元に、天風は独自の実践哲学「心身統一法」を体系化し、その普及のために「統一哲医学会(後の天風会)」を創設、後進の指導に生涯を捧げます。

天風の思想の根幹にあるのは「絶対積極」という心のあり方。
「健康も、運命も、心一つの置きどころ」「人間の心で行う志向は、人生の一切を創る」ーー陽転思考にも通じるその哲学は、松下幸之助や稲盛和夫をはじめ、多くの人に多大な影響を与えています。

┌────────────┤おすすめ├┐
□書籍のご紹介
 『運命を拓く
  中村天風/講談社文庫
└──────────────────┘

無料マンガダウンロード
●優れた人の特徴はその徹底性と持続性にある

森信三の信奉者は、教育界にも政財界にもたくさんいますが、イエローハットの創業者・鍵山秀三郎もその1人です。

企業の再建はもちろん、学校も家庭も国家も、そして自分自身を再建するのも、まずは心を込めて掃除をすることから始めるというのが、鍵山の実践論。
高邁な経営理念や教育論の前に、とにかく目の前のゴミを片付けるーーそれはまさに深遠な哲学を実践可能な「生き方」として再構築した森の「全一学」の教えを引き継いでいます。

「心を正そうとしたら、先ず姿勢を正し、物を整えることから始めねばならない。靴を揃えること一つが、いかに重大な意味をもつか分からぬような人間は、論ずるに足りない」
「眼に見える物さえ正せない程度で、刻々に転変して止まぬ人間の心の洞察など、出来ようはずがない」

これまで6回にわたってご紹介してきたように、森の思想の根幹にあるのは、身体感覚の重要性であり、とにかく体を使って実践すること、体に刻み込むこと、にあります。
一度、自転車に乗れるようになれば、その能力は生涯失われることがないように、体で覚えたことは、一生の財産になります。

アクティブ・ブレイン・セミナーでは、マイナスの言葉を使わない訓練を徹底して行います。それによって私たちは、脳という「体」の正しい操縦方法を習得し、それを習慣化することができるようになります。
イメージ力を重視するのも、快不快や喜怒哀楽、味、痛み、匂いなど、身体感覚を伴うような生々しさ、リアリティがあったほうが記憶の定着に有利だからです。

夢を実現するためには、志を果たすためには、まず姿勢を正して、目の前のゴミを拾い、元気にあいさつをすること、そしてそれを継続すること。
極めてシンプルな生き方の指針ではありますが、森をはじめ、これまで多くの人がそれを実践することによって、偉業を成し遂げているのです。

「優れた人の特徴は、その徹底性と持続性にある。少なくともこの二つを欠いては、真に優れた人とは言えない」『心魂にひびく言葉―森信三語録』(寺田一清編/致知出版社)(完)

┌────────────┤おすすめ├┐
□書籍のご紹介
 『心魂にひびく言葉―森信三語録
  寺田一清編/致知出版社
└──────────────────┘

無料マンガダウンロード
●書物の中の真理と実生活の中にある真理

「人生いかに生きるべきか」という問いへの答えを見出すため、森信三は、京都大学哲学科に在籍し、西田幾多郎のもとで8年間にわたって徹底的に東西の哲学を学びます。

しかし、思索を深めれば深めるほど、それは学問の中の観念論に留まってしまい、どこまでいっても「いかに生きるべきか」という明確な解答に到達することはできずにいました。

そんなときに森は、二宮尊徳の「まことの道は天地不書の経文を読みて知るべし」(二宮翁夜話)という言葉に出会います。33歳の時でした。
その時の感動を彼は次のように述懐しています。

「それまでの私はいわゆる哲学書の中にこそ、絶対の真理はあると考えていたのに、
それとは逆に、真理はこの現実の天地人生の唯中に、文字ならぬ事実そのものによって書かれており、しかもそれは刻々時々展開しつつあることに開眼せしめられたわけです」

それ以降、森は二宮尊徳を「開眼の師」として敬愛するようになります。
そうして実際に周囲の現実を見回してみると、挨拶の仕方や、靴の揃え方、座り方、食べ方など、生活の一部のほんの些細なことの中にも、生き方の指針となるような「真理」が、見つかりだしたのです。

しかし決して森は、書物に学ぶことをおろそかにして良いと言っているのではありません。実際、彼自身、膨大な著書をのこしています。
むしろ真剣に書物を読み、思索を深めていたからこそ、現実生活の中に「真理」を見出すことができたのでしょう。
森を書物の呪縛から解放した二宮尊徳にしても、多くの人が思い浮かべる姿は、薪を背負いながら読書をする像ではないでしょうか。

良き書物には先人の知恵がぎっしりと詰まっています。
それを読むことで、私たちは何か大切なことに気づき、感動し、心を豊かにすることができます。
しかし、そこで止まってしまうのではなく、そこで得たものを実生活の中で具体的に実践してこそ、その知恵は自分のものになるのです。

どんなに大きな夢も志も、まずは姿勢を正し、自ら挨拶をし、靴をきとんと揃えることから始まるというのが、森が膨大な書物と実生活の中から探し出し、自らの人生のおいて実証した「真理」です。

┌────────────┤おすすめ├┐
□書籍のご紹介
 『修身教授録』現代に蘇る人間学の要諦
  森信三著
└──────────────────┘

無料マンガダウンロード
●死を意識して生きることで生が輝き出す

森信三が残した言葉に、次のような一節があります。

死の絶壁に向かってつよくボールを投げつけ、
そのはねかえる力を根源的なエネルギーとしながら、
日々を生きぬく人物の生きざまは、げにも凄まじい。
 『森信三一日一語』(寺田一清 編/致知出版社)

「死を意識して生きることで生が輝き出す」ーー余命を宣告されるような病気にかかった人が、その避けがたい運命を受容し得たときに、そのような境地に至るといわれます。
「武士道とは死ぬこととみつけたり」というのも、ある意味、「常に死を意識した生き方」といえるかもしれません。
いつ死が訪れてもいいように、今日1日をベストを尽くして精いっぱいに生きる――森はおそらく、実際にそのように生きている人を目の当たりにして、この言葉をのこしたのではないでしょうか。
そして自らもそうありたいと願い続けつつ、97年の生涯をそのごとくに生き抜いたのです。

たとえ残された時間があとわずかであっても、「死の絶壁」から跳ね返ってきたボールをしっかりと受け止めて生きるならば、その与えられた期間で見事な花を咲かせ、惜しまれて散っていくことができるでしょう。

「コップに半分残った水」をどう捉えるかというエピソードがあります。
アクティブ・ブレイン・セミナーを修了された方はよくご存知だと思いますが、「もう半分しかない」と捉えるか「まだ半分ある」と捉えるかによって、その人の人生が大きく変わってくるという話です。
「まだ半分もある」が、希望的で陽転思考的な捉え方であるということはいうまでもありません。しかし、ある意味、「もう半分しかないから大切にしよう」という気持ちも大切です。

仮に平均寿命が80歳だとして、50歳であればあと30年。「まだ30年もある」と楽観的、希望的に受け止めつつ、逆に「もう30年しかない」から1日1日を大切に生きようという姿勢も同じくらい大切です。

陽転思考は、ただ単純に(あるいは無理やり)プラス方向に物事を解釈するというのではなく、一見マイナスに思えるようなことも視点を変えればプラスでもあったという、逆転の発想法なのです。

┌────────────┤おすすめ├┐
□書籍のご紹介
 『森信三一日一語
  寺田一清著
└──────────────────┘

無料マンガダウンロード
●心の緊張感を保つためには体の緊張感を保たねばならない

先回紹介した「立腰教育」の重要性について、森信三は次のように語っています。

「観念というものは、シャボン玉のようなもの。一度は『よし、やろう』と張り切っていても、すぐにしぼんでしまうものです。これはどんなに意思の強い人でもどうしようもないことですよ。
時間の経過とともにしぼんでいく決意をどのように持続するか、それには『腰骨を立てる』ということしかないのです」

意思の弱さーーつまり心や内面的な弱さを、「腰を立てる」という、極めて身体的なアプローチで支えようとするのは、どことなくカテゴリーエラーのような違和感を覚える人もいるかもしれません。
しかし逆に、体の弱さを精神力でカバーするというようなことは、一般的にもよく言われることでもあります。
メンタル面とフィジカル面がダイナミックに関係し合いながら結果に影響を与えるということは、サッカーなどのスポーツでは常識になっています。

西洋哲学では、心と体を別の実体であるかのように捉える傾向がありますが、森は、人間の現実を観察しつつ、それをより統一的に捉え、全一学を確立しました。
心と体の関係について、森は次のように述べています。

「心身相応の原理で、人間の心と体は切っても切れない、密接に結びついたものです。心の緊張感を保とうと思うなら、体の緊張感を保たねばならないのです。」

姿勢を正せば心も正され、体の中心軸である腰を立てれば、心もまっすぐに筋が通るようになるーーそれは、森が机上で考えた観念論や精神論ではなく、自らの実体験に基づくものでした。

2歳で貧しい農家に養子に出された森は、小学校では1500人中トップの成績を収めますが、経済的理由で進学できず、それまで首席をつとめた母校で給仕・用務員として働くことになります。
まだ10代半ばの頃のこと。普通なら挫折や絶望を感じて落ち込むところでしょう。
しかし森はそこで静坐法の創始者・岡田虎二郎と出会い、姿勢を正すことの大切さを学び、それによって心を立て直し、さらに自らの人生を立て直します。

ただ静かに腰を立て姿勢を正すだけで、不安や空しさが消えて逆に力と自信がわいてくるということを、森は、その心と体で、単なる理論ではなく、明らかな事実として真の意味で理解することができたのです。

┌────────────┤おすすめ├┐
□書籍のご紹介
 『修身教授録』現代に蘇る人間学の要諦
  森信三著
└──────────────────┘

無料マンガダウンロード