陽転思考の達人 過去と現在の賢人たちに学ぶ実践的アクティブ・ブレインの生き方 -25ページ目

陽転思考の達人 過去と現在の賢人たちに学ぶ実践的アクティブ・ブレインの生き方

記憶術×陽転思考の<a href="http://www.oda-abs.com">アクティブ・ブレイン・セミナー</a>を受講した方限定のメルマガ「ウィークリーコンパス」の中から「陽転思考の達人」のみを抜粋し公開しています。

●マイナスをも包み込むような大いなるプラス

「病があったり、不運のときには、より一層、心を積極的にするように努力しなさい」ーー中村天風は、常に積極的に思考・行動することを弟子たちに教えていました。

「たとえどんなに宝の充満している金庫があっても、これを開く鍵がなければ、中の宝は結局ないのと同じことである。
つまり、心一つの置きどころ、積極か消極かというだけで、人生の幸福の宝庫が開かれるかどうかが決まってしまう」(『運命を拓く』講談社文庫)

しかし天風は、積極だけを良しとして、消極を一切認めていないかというと、決してそうではありません。
積極思考やプラス思考は、一般的な成功哲学でもよく提示されるキーワードですが、天風は「積極」という言葉に、次のようにより深い意味を込めています。

「絶対積極」とはどういうことか。たとえば「負けるものか」「よしやってやろう」という積極とはひと味違っている。マイナスになりがちな心を、プラスにしようと鼓舞する積極はもちろん必要だ。
だが、まだまだ本物の積極ではない。相対的な積極である。
本当に心が積極的になると、プラス・マイナスを超えた泰然自若の境地に至る。これが絶対積極だ。(『中村天風 怒らない 恐れない 悲しまない』池田光著 三笠書房)

最初の段階では、消極に陥らないように、常に積極思考を心がけるという意識的な努力が必要なのでしょう。
しかしいずれは、そうした努力さえ不必要になり、心が自然のままで積極的な状態になるということ。
つまり目標・到達点としての絶対積極と、そこに至る過程での方法論としての積極思考と、天風のいう「積極」には大きく2つの意味があるようです。

マイナスを否定するプラスではなく、マイナスをも包み込むようなプラスというコンセプトは、まさに陽転思考と共通する考え方です。
生きている限り私たちはいろいろな問題に遭遇しますが、一見マイナスに思えることも、より大きなプラスに至るためのプロセスの一つであると受け止めるのが陽転思考です。

天風の教えに従えば、そもそも生きているということが宇宙に肯定されている証明であり、プラスであり、希望にあふれているということです。
絶対積極とは、何があろうと、とにかく自分の存在を肯定すること、なのかもしれません。

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□書籍のご紹介
中村天風 怒らない 恐れない 悲しまない
 池田光著
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●つらい状況に遭遇したときの心の持ち方

先回までに述べてきたように、中村天風の真理探究の旅の発端は、自らの病気(重症の結核)を克服するというところにありました。
紆余曲折を経て、結果的に不治の病とされた結核は完治しますが、必ずしも誰もが同じ結果を得られるというわけではありません。
現実は、治る人もいれば、治らない人もいます。

もちろん治るに越したことはありませんが、仮に治らなかったとしても、それによって心まで病気になってしまったのでは、むしろそちらのほうが大損害だというのが天風の考えです。
つらい状況に遭遇したときの心の持ち方について、天風は次のように述べています。

体の悪いときに、「ここが疲れた」とか、「ここが痛い」とか、「ここが悩ましい」とかいう。いうのは構わないが、それは感じなのであるから、逆にいったら嘘になる。
たとえば頭が痛いときに「頭が痛いか」、「いいえ痛くありません」。耳が痛いときに「痛くないか」、「いいえ痛くありません」。これは嘘である。痛いのは痛いでよろしい。
けれどもそのあとがいけないのだ。あなた方は「痛くてしようがない」とか、「どうにも死にそうだ」とか、「もう駄目だ」という。それがいけないのだ。(中略)
痛くてどうにもしようがない、といって、どうにかしようがあるか。よく考えてごらん。つまらないことだ。(中略)
暑いときでも「暑いなあ、やりきれないなあ」これがいけない。暑い寒いは感覚だからそれはいっても悪いとはいわない。「暑いなあ、よけい元気が出るなあ」と。(『運命を拓く』講談社文庫)

病気や事故などに遭遇したとき、最初は誰しもがそれを不幸なことと受け止めてしまいがちです。
しかしよくよく考えてみると、それをマイナスと捉えるか、ゼロにするか、あるいはプラスにするかという価値判断は、それぞれの心の自由選択なのです。

仮にそのときは「不運」と思えることであっても、後々振り返ってみれば、結果的にそれがきっかけとなって人生が好転したということも、よくある話です。
天風自身、不治の病を患ったがゆえに、心と体の関係を真剣に考えるようになり、結果的に「絶対積極」という悟りに到達することができたということもできます。

天風が教えていることは、単に、「気持ちを切り替えることで困難を乗り越える(やり過ごす)というところに留まるのではありません。
絶対積極の心をキープし続けることで、それが状況そのものを好転させていく力にもなる、運を味方につけることができる、ということです。

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□書籍のご紹介
 『日本人の神髄
 - 8人の先賢に学ぶ「大和魂」
  小田全宏著
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●たとえ身に病があっても心まで病まさない

中村天風の思想の根幹を貫く「健康も、運命も、心一つの置きどころ」という積極思考。
その考えは、心の持ち方を変えることで不治の病とされた結核が治ってしまったという、彼自身の実体験によって、より強固なものになっています。

30歳の頃、天風は結核を克服するためにアメリカやヨーロッパを転々としつつ、医学や哲学に救いを求めています。
しかし根本的な解決には至らないなか、彼の求めるテーマは次第に「病を治すこと」から、「人間とは何か」「人生いかに生きるべきか」という、より本質的な問題へとシフトしていくようになります。

最後に行き着いたヒマラヤでのヨガ修行に没頭しているうちに、ついに彼は、自らの最大の課題であったはずの病気のことを、すっかり忘れてしまうようになります。
やがて2年半の修行を終えて下山する頃には、病気はいつの間にか完治していたのです。

仮にもし病気が治っていなかったら、天風の考えは違ったものになっていたでしょうか。いや、決してそうではなかったでしょう。
「健康も、運命も、心一つの置きどころ」という悟りに到達した時点で、天風にとっては、病気が治るかどうかよりも、「心の置きどころ」がどうであるかのほうがはるかに重要なテーマになっていたからです。
むしろ、病気が治るかどうかということは、気にしない方がいいと天風は教えています。

「病める人は、その病から心を放してしまいなさい。病のとき、病を一生懸命に大事に考えてないと、病が癒らぬように思ってるとしたら、大間違いである」(『運命を拓く』講談社文庫)

このメッセージには、病気を治すためにもそうしたほうがいいというニュアンスもありますが、それ以上に大切なことは、病気によって心が消極的にならないようにということ。
体の状態や周囲の状況によって心が左右されることなく、主体性、積極性を保ち続けるべきであるというところにあります。
そして、そうした心の持ち方であったほうが病気が治る確率も高くなるし、仮に治癒に至らずとも心は健康なままでいられる、ということです。

「たとえ身に病があっても、心まで病ますまい。たとえ運命に非なるものがあっても、心まで悩ますまい」(同)

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□書籍のご紹介
 『運命を拓く
  中村天風/講談社文庫
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●人間は全智全能の力とつながっている

「運河の水も大海の水も同じだ。そうしたら人間の生命の中に存在する『この不思議な力』というものは、造物主が持っている力と同じ力である」(『運命を拓く』講談社文庫)

運河を流れる水と大海の水はつながっていて、水そのものは本質的には同じであるように、人間の創造力もまた、その源泉は神にあり、それゆえに無限の可能性をもっていると天風は考えていました。
ちなみに天風は、造物主や神という言葉にこだわってはいません。
如来、天の父、アラー、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、先天の一気、エーテルなど、その呼称はなんでもいいと天風は述べています。
彼自身は「宇宙霊」という言葉を好んで使っていました。
重要なことは、私たち一人一人がその大いなる存在とつながっていて、その宇宙全体を満たす意識エネルギーが絶えず私たちの心に流れ込んでいるということです。

ヒマラヤの険しい山々に囲まれて独り瞑想を続けるうちに、天風は、孤独よりもむしろ限りない愛や優しさを感じ、あふれんばかりの生命力によって自らが生かされているということを悟ります。

「何とありがたいかな、山の中に今座っている自分は、この霊智の力、いわゆる全智全能の働きを持つ気とともにいるのではないか。
いや気に包まれているではないか。そしてここに座っている。だから自分は生きているのだ」(同)

人間は全智全能の力とつながっているーーこれは何も厳しい修行を乗り越えて悟りに到達した者だけの特権ではありません。
天風によれば、すべての人が例外なくその絆を手にしているのです。

「人間はそれ自身を宇宙の創造を司る偉大な力を持つ宇宙霊と自由に交流、結合し得る資格を持っている。
(中略)
その資格は、身分でもなく、学問のあるなしでもなく、器量の良し悪しでもなく、人間であれば、どんな人間でも持っている。」(同)

では、なぜ多くの人はその絆を感じることができないのでしょうか。
天風によれば、宇宙霊のほうからその絆を切ることは決してありません。
いつも人間のほうが、その絆の存在を知らずに、自分で命綱を手放してしまうのです。
冒頭で引用した運河と大海の水の話は、次のように続きます。

「人間として考えなければならない一番必要なことは、どんな場合があろうと、この造物主と自分の生命との結び目を堅固に確保することである」(同)

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□書籍のご紹介
 『ほんとうの心の力
  中村天風/PHP研究所
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●健康も運命も心一つの置きどころ

哲人・中村天風がヒマラヤ山中で悟った真理とは何か。彼自ら次のように語っています。

「我々の生命の中にある肉体はもちろん、精神生命も、一切の広い意味における人生の事象を、心の運用いかんによって、決定することができる、という真理を、私は悟り得たのである」
「健康も、運命も、心一つの置きどころ」(『運命を拓く』講談社文庫)

病気や仕事の失敗、人間関係のトラブルなど、私たちは人生の中で不運や不幸とも思えるようなことに幾度となく遭遇します。
そうした現実は現実として、それを心でどう受け止めるかが大切であるということは、よくいわれることではあります。一見、マイナスに思えることも、プラス方向に解釈することもできる、と。

天風の思想も、一見そうしたプラス思考と同じようなものに感じられるかもしれません。しかし彼の言葉を深く学んでいくと、そこにはさらに一歩も二歩も踏み込んだ考えがあることに気づかされます。
それは、現実をどう解釈するかというより、むしろ心の中の思いのほうが真の現実(実在)であるということです。

さらには、身体や周囲の状況が心に影響を与えるというのとは因果関係が逆で、心で思ったことが原因となって現象化し、世界を形造っていくという、極めて主体的・積極的な世界観が天風思想の根幹にはあります。

「人生の一切は、健康であろうと運命であろうと、肉体も、心も、また環境も、すべてが人の心によって創られているものである」(同)

この天風の言葉をそのまま受け止めれば、人間は、まるで創造の神にも等しい存在になってしまいます。
そしてまさしく天風は、人間存在をそのように捉えていたということが、次の言葉に表れています。

「運河の水も大海の水も同じだ。そうしたら人間の生命の中に存在する『この不思議な力』というものは、造物主が持っている力と同じ力である」(同)

人間の心の偉大さ、その無限の可能性、そしてそれゆえの責任の重さを、天風は生涯にわたって説き続けました。

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□書籍のご紹介
 『運命を拓く
  中村天風/講談社文庫
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