陽転思考の達人 過去と現在の賢人たちに学ぶ実践的アクティブ・ブレインの生き方 -16ページ目

陽転思考の達人 過去と現在の賢人たちに学ぶ実践的アクティブ・ブレインの生き方

記憶術×陽転思考の<a href="http://www.oda-abs.com">アクティブ・ブレイン・セミナー</a>を受講した方限定のメルマガ「ウィークリーコンパス」の中から「陽転思考の達人」のみを抜粋し公開しています。

●伝統がないという伝統

本田宗一郎は「知識」よりも「考えること(思考力)」を重視しました。
どんなに豊富な知識をもっていても、それを臨機応変に使いこなすことができなければ、あまり意味はありません。
場合によっては、古い知識にとらわれて新しい発想が出てきにくくなってしまうという問題もなきにしもあらずです。

ちなみにアクティブ・ブレイン・セミナーにおいても、記憶力を高めるのはそれによって知識の量を増やすためというより、むしろ「脳の使い方」をマスターすることに重点を置いています。
(もちろんその結果として記憶力も飛躍的に向上するということはご存じの通りです)

本田は、知識をひけらかす人を批判して次のように述べています。

『「ああ、わかった。だけどあんたの持ってる知識は、それみんな過去のことなんだよ」といってやることにしている。
「おれが知りたいのは、未来なんだ」 未来というのはたしかに過去とつながっているものであるから、あくまで便宜上、過去を知るということは必要だ。
ただし、われわれが本当に知りたいのは未来である。知識というのは、それを使って未来を開拓するのでなければ価値はないのだ』(『やりたいことをやれ』本田宗一郎著)

過去の成功体験や知識、データにとらわれることの弊害を、本田は常に問題視していました。

『「若さ」とは、一言でいえば過去を持たないことだ。なまじっかの知識がないからこそ、いつも前向きの姿勢でいられるのだ。
そして現実を直感的に受けとめ、こだわりのない新鮮な心で物事を見つめていくのだ。それが「若さ」の最大の特徴である』(同)

一般に企業にとって尊重されるべき「伝統」でさえ、もし、それに縛られて未来へのビジョンが失われるようであれば、無用のものであると本田は考えていました。まさに徹底した未来志向です。

『本田技研がなぜここまで伸びたかといえば、本田技研には伝統がなかったということがいえると思う。過去がないから未来しかない。それだけに、古い過去のひっかかりにわずらわされずにのびのびとやれた。
(中略)強いて伝統という言葉を使うならば、伝統のない伝統、「日に新た」という伝統を残したい』(『ざっくばらん』本田宗一郎著)

┌────────────┤おすすめ├┐
□書籍のご紹介
 『やりたいことをやれ
  本田宗一郎著

 『ざっくばらん
  本田宗一郎著
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●「働く」とは頭を使って動くこと

天才経営者と称賛される本田宗一郎。そのべらんめえ口調や奔放な生き方から、常識にとらわれない面白いアイディアが、あたかも湯水のごとく出てくるように思われがちです。
しかし実際は、数々の素晴らしい発想の多くが地道な努力と苦労の中から生まれてきています。

『私の頭の中に創造力というバッテリーが詰まっているわけではない。苦しまぎれの思いつきなのである』(『本田宗一郎語録』本田宗一郎研究会編)
『人は、次々にアイデアが飛び出すように思っているが、そんなことはない。人並みはずれた好奇心と、努力と、反省のサイクルをフル回転させて、へとへとになりながらアイデアを見つけ出しているのが実情だ』
(『得手に帆あげて』本田宗一郎著)

芸術家にしろ、発明家にしろ、天才といわれるような人のほとんどが、その華々しい実績の陰に凄まじい努力があったということはよく知られている事実です。
ただ「天才」は、それをあまり苦労と思わずに熱中できてしまうということがあります。

大好きなことだったり、強烈な使命感があったり、あるいは、夢実現のビジョンがまるで「いまここにあるように見えている」ような場合は、苦しみよりも、楽しさや高揚感、希望が先に立つものです。
「天才たち」には少なからずそうした共通点があるようです。
逆に普通の人でも、そのビジョンをイメージすることができれば、誰でも「天才」になれるということにもなります。

単にエンジニアとして本田を見るならば、より優れた技術をもった人は他に大勢いたでしょう。幼くして丁稚奉公に出された本田は小学校しか出ていません。
知識の量では、専門大学で学んだ人のほうが有利だったでしょう。しかし本田は、とにかく「考えに考えぬく」という方法で、そうしたハンデを克服していきます。

『人間が人間としての特権である「考える能力」を捨てて、動物や機械と同じことをやっていたら、ただこれだけの能力しかないということをいいたかったまでである。
「働く」という字が、「動く」という字と違うところは、その左側に「人べん」が付くと付かないの違いであるのは、人間である以上頭を使って動け、そうすれば前進的な仕事ができるのだということを示している』
(同)

夢を叶えるためには、ただひたすら前向きにがんばればいいというのではなく、とにかく頭を使ってーー陽転思考的には「脳を使いこなして」ーー行動すべきだと本田は教えています。

┌────────────┤おすすめ├┐
□書籍のご紹介
 『本田宗一郎語録
  本田宗一郎研究会編著
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●攻めと守り・夢と現実のバランス

夢や志を掲げ、その実現を確信しつつ、困難にあっても諦めずに前進し続けるーー偉大な業績を残した人に共通する資質です。
もちろん本田宗一郎もその一人。
戦後の荒廃の中、本田技研を創業した当初から、彼は日本一、世界一のバイクを作るという志をもっていました。
また自動車に参入した時も、「他にないものを作りたい」「世界一でなければ出さない」という強い決意を示し、それを開発の現場にも浸透させました。

しかし、その夢や目標がどんなに大きくても、実際に市場に受け入れられるものでなければビジネスとして成り立ちません。
商品として売り出すからには、価格に転嫁される製造コストも問題になってきます。
そういったマーケティング的な分析やお金の計算、販売方法等については、本田はあまり得意ではありませんでした。それをサポートしたのが、前回も紹介した名参謀・藤沢武夫です。

『「本田さんは、哲学を持ってましたね。それから夢づくりが非常にうまい人でした。だけど、哲学と夢だけでは会社の経営はできません。それを具体的に実現しなくちゃいけない。
実現するためには、戦略や戦術がいる。その面では、百パーセント、藤沢さんでした」(中略) 言うならば、本田の「夢」を実現するのが、藤沢の「夢」でもあったのだ』
(『本田宗一郎語録』本田宗一郎研究会編)

「二人羽織の経営」と称されるように、本田と藤沢はそれぞれ、物作りと販売、ビジョンと実務、攻めと守り、未来と現在という、両極の仕事をお互いに補完し合っていました。

『半端な者同士でも、お互いに認め合い、補い合って仲良くやっていけば、仕事はやっていけるものだ。世の中に完全な人間などいるものではない。
自分の足りないもの、できないところを、まわりの人に助けてもらうと同時に、自分の得意なところは惜しみなく使ってもらうのが、協同組織のよい点で大切なところだと思う』(『夢を力に』本田宗一郎著)

強い意志をもって夢に向かうということは、必ずしも現実を無視するということではありません。
むしろ、思いっ切り夢に向かうためにも、「夢実現」という目標を単なる掛け声にしないためにも、土台をしっかりと築き、それを維持することが大切になってきます。

本田ほどの天才があっても、藤沢という、そのもう一方の面を支える柱がないと、現在の成功はなかったかもしれません。

┌────────────┤おすすめ├┐
□書籍のご紹介
 『夢を力に』- 私の履歴書
  本田宗一郎著
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●訪れた幸運を逃さない秘訣

日本を代表する経営者として松下幸之助と並び称される本田宗一郎。いわずと知れたホンダ(本田技研工業)の創業者です。
先回まで取り上げた孫正義ソフトバンク社長も、「すごい経営者」として松下を、「好きな経営者」として本田を挙げています。

松下も本田も戦前から事業を興し、戦後の混乱を乗り越え、日本の高度成長を先頭に立ってリードしてきました。
どちらも幼少の頃から丁稚奉公に働きに出ていて、学歴も小学校止まり。もちろん経営を専門に学んだわけではありません。そもそも、二人とも元は技術者でした。
とくに本田は根っからの技術者で、会社が大きくなってからも営業や財務はすべて名参謀と言われた藤沢武夫に任せていました。

『「どんな数字でも、ミリやパーセンテージがつくと覚えちゃう」「最後に(円)がつくと全然ダメ」ということで、経理・販売など、技術以外の部門はすべて藤沢に任せた』
(『本田宗一郎語録』本田宗一郎研究会編)

1948年に本田技研を創業してから1973年に退任するまで、本田は一度も社長のハンコを押したことがないと公言しています。
そういった意味では、本田は「天才経営者」どころか、そもそも経営そのものをやってこなかったといえなくもありません。
社長交代の時のあいさつでは「オレをはじめ、ええかげんなやつが、うちでは社長になっている。だから、みんなもよほどしっかりやってもらわんとな」と、笑いながら述べています。

本田は藤沢に全幅の信頼を置き、会社の実印まで預け、お金の流れのすべてを委ねることができたため、自分はひたすら技術開発、ものづくりに専念することができました。
心から信頼できる人と出会うことができたのは本田にとって最高に幸運なことでした。

『藤沢と手を組んだのが決定的だった。あれは素晴らしい人で私の人生を変えた』(同)

本田に限らず、多くの人が、多かれ少なかれそうした幸運に巡り合っているのではないでしょうか。
不運というのは運がないのではなく、幸運に気づかないだけなのかもしれません。常々自分は運が悪いと思っている人ほど、そういう傾向は高くなるでしょう。
大切なことは、訪れた幸運やチャンスをしっかりと掴み、生かし切ることができるかどうかにあります。本田にしても松下にしても、成功者の多くは、自分は運がいいという確信をもっていました。

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□書籍のご紹介
 『本田宗一郎語録
  本田宗一郎研究会編著
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●髪の毛が後退しているのではない。私が前進しているのである

時価総額でトヨタに次ぐ2位となったソフトバンクグループを率いる孫正義。長者番付でも常にトップクラスにいます。
それでも、ツイッターを通して、一般の人からのメッセージに気軽にコメントを返しています。

そのなかには、これまで紹介してきたように、経営や人生の教訓となるような名言も少なくありません。
その一方で、ユーモアあふれる一面も垣間見えます。なかでも彼の「薄毛」をネタにしたツイートは、思わず笑ってしまいます。

「髪の毛の後退度がハゲしい」という、まことに失礼な指摘に対して、「髪の毛が後退しているのではない。私が前進しているのである」と見事に「反論」。大喝采を浴びています。

「100億の義援金の前にハゲ治療に投資をお願いしたい」という「無茶な要望」にも、「ハゲは、病気ではなく、男の主張である」と返しています。

彼がいうと、単なるユーモアではない、どこか深い哲学的な内容のようにも感じられてしまうから不思議です。

「不毛な値下げ競争が始まった」という経営上の批判には、「不毛ではない。まだ少し残っている」と、自ら「そちら方面」の話題に振って応戦しています。

こうしたユーモアのセンスは、経営上もとてもプラスに働いているでしょう。欧米では、それはリーダーの必須条件であるとさえ考えられています。
ユーモアのセンスや一般ユーザーとの直接交流など、これまでの日本の経営者にはあまりなかった資質ですが、そういった面からも孫は新しい時代の指導者像を確立しつつあるのではないでしょうか。

ちなみに孫は、敬愛するリーダー像について次のように語っています。

「いちばんすごいと思うのは織田信長。いちばん好きなのは坂本龍馬。「すごいというのはなかなか自分がなれそうもない人物。
好きというのはどこか欠点があり、とても人間的で身近に感じる人物です」経営者でいえば、すごいのが松下幸之助、好きなのは本田宗一郎」(『志高く 孫正義正伝』)

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□書籍のご紹介
 『孫正義名語録 情熱篇
  志を実現させるための心得50
   三木雄信著
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