陽転思考の達人 過去と現在の賢人たちに学ぶ実践的アクティブ・ブレインの生き方 -14ページ目

陽転思考の達人 過去と現在の賢人たちに学ぶ実践的アクティブ・ブレインの生き方

記憶術×陽転思考の<a href="http://www.oda-abs.com">アクティブ・ブレイン・セミナー</a>を受講した方限定のメルマガ「ウィークリーコンパス」の中から「陽転思考の達人」のみを抜粋し公開しています。

●ゲリラ的生き方のススメ

近年、若者を中心に「世界一周旅行」が小さなブームとなっています。
世界各国を周り、さまざまな文化に触れ、会話や食事を楽しみ、自分を見つめ直すーーそういえば「自分探しの旅」というのもありました。

実際に世界中を旅した安藤忠雄がこれを聞いたら、笑ってしまうかもしれません。

安藤は建築士試験に合格した後、海外旅行の自由化を契機に、23歳で世界を放浪することを思い立ちます。
アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、アジアと旅を進め、インドのベナレスへと行き着いた彼を待っていたのは想像を絶する世界でした。

異物と異臭に溢れるガンジス川を前に安藤は、その生と死が交錯するような状況に強い衝撃を受けます。そして「ゲリラ」としての生き方を決意し、しばらくそこに居座ることにしたのです。
「ゲリラ的生き方」とは、指揮官の命令に従う統率の取れた軍隊のような組織の一員ではなく、すべて自分で理想を掲げ、自分で判断し行動し責任を取るという生き方です。

「人の真似をするな! 新しいことをやれ! すべてのものから自由であれ!」ーーこの刺激的なスローガンのもと、20代の安藤は自らの発想を深化させるために、当時新進気鋭の表現者をひたすら訪ね歩きました。
当時の日本には、ゲリラ的な生き方をしているような人がたくさんいたようです。

「一流大学だろうが、専門学校出だろうが、中卒だろうが、いまの時代、誰も人生を保証されていません。一人一人が、目の前の白いキャンバスに自分で絵を描かなければなりません。
にもかかわらず、依然として一流大学に幻想を抱いている人がたくさんいます。一流大学を卒業すれば安泰な人生が送れるという時代ではなくなったのにね」(『建築家安藤忠雄』安藤忠雄著)

世界的な建築家として大成功を収めた今も、安藤は、守りに入ることなく、一つ一つの作品で新たな挑戦をしかけながら「ゲリラ的な生き方」を続けています。

たとえ組織の中においても「ゲリラマインド」を持つ人は、責任意識やチャレンジ精神を強くもち、停滞状況を打開するための突破力を発揮することができるでしょう。

┌──────────┤書籍のご紹介├┐
□『建築家安藤忠雄』安藤忠雄著
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●限界を見極めるためにもとことんやってみる

日本を代表する建築家・安藤忠雄は双子(兄)として生まれましたが、一人娘だった母親の実家を継ぐために、生前からの約束に従って祖父母の養子となります。
つまり彼の人生は「母親の弟」として始まったということになります。
幼少期から「ケンカの安藤大将」と呼ばれているほどやんちゃだったとか。

中学を出た後、安藤は工業高校に進学しますが、そこで始めたのは建築ではなくボクシング。
ケンカが強かったせいもあり、すぐに頭角を現し、高校2年でプロボクサーのライセンスを取得するまでになります。
プロ6戦目でタイへの遠征が決まりましたが、外国人への感情も良くない中、当時は海外遠征を希望する選手もあまりいませんでした。
おまけに安藤にはお金もなく、セコンドを雇うこともできません。
それでも彼は単身でタイに乗り込みました。
異国の地でたった独り、限界ギリギリまで闘い、自分以外助けてくれる人は誰もいないーーそんな状況下でも彼はたった1人でリングに上がり、1人で水を飲み、戦いに挑んだのです。

「人間、極限まで追い込まれてはじめてたどり着く境地があります。
ひとたびその境地を経験した人は、些末な事柄にとらわれない、大局的な視野を持つことができ、どんなときでも平常心を保つことができるようになるのだと思います」(『情熱大陸』2010年放送分より)

限界に挑戦し、極限状態をむしろ楽しんでしまうかのような安藤の生き方は、ボクシング時代に培われたものかもしれません。
しかしその当時、同世代で一世を風靡していたプロボクサー・ファイティング原田の練習を見て、その実力差に驚愕し、2年間続けてきたボクシングをきっぱりやめてしまいます。

どんなに努力しても、やる気はあっても、自分が勝てないと感じたらきっぱりやめる。物事に情熱を持って取り組めば取り組むほど、こういった決断はなかなかできるものではありません。
おそらく、どんなに想像を巡らせても勝てるイメージがわかなかったのでしょう。

やってみもせずに限界を決めるのではなく、とことんまでやったからこそ、自分の限界を冷静に見極めることができたのでしょうね。

┌──────────┤書籍のご紹介├┐
□『建築家安藤忠雄』安藤忠雄著
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●極限状態を「楽しむ」ことで乗り越える

「極限の状況を乗り越えられるのは、『この先にもっと面白いことがあるぞ』と思えるからでしょう」(『建築家安藤忠雄』安藤忠雄著)——日本を代表する建築家、安藤忠雄の言葉です。
建築学に詳しくなくても、彼の名前を知っている人は多いのではないでしょうか。

コンクリート打ちっぱなしで独特の世界観を表現した「風の教会」「水の教会」「光の教会」や、旧同潤会青山アパートの跡地に広がる「表参道ヒルズ」。
香川県直島でベネッセと共同で実施している一連のアートプロジェクトの設計や、東京スカイツリーのデザイン監修まで、世界的に有名な建築物を多数、世に送り出しています。

「何のためにあるのか分からない余白」をあえて作り、見る人にその先を想像させることで奥行きのある建築を生み出したり、環境保護という問題に対し建築家としての視点から真摯に向き合ったり。
彼のそうした姿勢は、世界各国から高い評価を受けていて、仕事の依頼も国境を越えて世界中から舞い込んで来ています。

世界を舞台に華々しく活躍する安藤は、意外にも大学を出ていません。
ものづくりやデザインには小さい頃から興味を持っていたものの、建築を専門的に学んだことが無いまま高校を卒業し、独学で一級建築士試験に合格した「高卒の建築家」なのです。
日本を代表するもう一人の建築家・丹下健三が東大建築科卒であるのとは、まさに対照的です。

「私は高校も建築科ではないし、大学にも進めなかったので、すべて独学です。京大や阪大にいって、そこの学生が4年間で勉強する教科書を全部買ってきて、1年ですべて読むことにしました。
毎日、朝9時から翌朝4時まで机に向かっていましたから、その1年間は、家から出ていないんです」(『情熱大陸』2010年放送分より)

お金がない、時間がない、知識も経験もない。あるのは、夢と現実との間にあるとてつもなく大きな隔たり。それでも安藤は希望を失わずに極限状態を乗り越えて、ついに夢を実現しました。

もちろん、もともとそういう才能があったのかもしれません。また並外れた意志力もあったでしょう。
しかし陽転思考的には、強い意志を継続できたのも、その才能が開花したのも、自分の脳力を信じ、それを乗り越えた時の喜びを強くイメージできていたからであると考えられます。

┌──────────┤書籍のご紹介├┐
□『建築家安藤忠雄』安藤忠雄著
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●作って喜び・売って喜び・買って喜ぶ

第1回でも紹介したように、天才経営者と称される本田宗一郎ですが、財務を中心とした経営のほとんどは名参謀・藤沢武夫に全幅の信頼を寄せて任せていました。
長きにわたって友人として親交のあったソニー創業者の井深大は次のように語っています。

「本田さんが、六十六歳で社長を辞め、以来、会社の経営には一切口出しをしなかったということが話題になっていますが、
実際のところは、最初から社長でなかった、といったほうが、本田さんの本心に近いかもしれません。
会社を自分の思うように動かしていこうなどという考えはまったくなく、自分がこれをつくろうと思ったら、その目的に向かってとにかく進んでいくだけでした。
途中のプロセスにどんな困難があるかということなどは、最初からまったく頭にはなく、あるのは「こういうものをつくりたい」という目的だけ。(『わが友・本田宗一郎』井深大著)

素晴らしいパートナーを得たことで本田は、「とにかく最高のものをつくりたい」という夢を追い続けることができました。
「二人羽織の経営」とか「ホンダのツートップ」と言われるほど、二人の信頼関係は深いものでした。

「燃えるだけ燃え、二人とも幸せだった。二人いっしょのときは思い出話などしたことはなく、将来の夢しかなかった」(『夢を力に』本田宗一郎著)

ホンダの基本理念の中に「三つの喜び」というのがありますが、それは本田が語った言葉が元になっています。

『わが社のモットーとして「三つの喜び」を掲げている。すなわち三つの喜びとは、作って喜び、売って喜び、買って喜ぶ』(『夢を力に』本田宗一郎著)

1988年、盟友の藤沢が心臓発作で他界。翌年、本田は日本人として初めて米国の「自動車殿堂」入りを果たします。そしてその2年後、本田も肝不全で息を引き取ります。84歳でした。

『米紙「ニューヨークタイムズ」は一面で追悼記事を掲載し、「政府のやり方に抵抗した反骨の自動車技術者であり、戦後の荒廃から世界最先端の企業をつくり上げた経営者」と紹介した。
生前、本田は遺言代わりに、「社葬をしてはならない」と言っていた。
「社葬なんかすれば交通渋滞の原因になり、世間に迷惑がかかる。そんなことはクルマ屋として絶対にやってはならない」(『夢を力に』履歴書その後より)
(終わり)

今回をもちまして、「本田宗一郎」は最終回となり、次号からは「安藤忠雄」をお届けいたします。
乞うご期待。

┌────────────┤おすすめ├┐
□書籍のご紹介
 『夢を力に』- 私の履歴書
  本田宗一郎著

 『わが友・本田宗一郎』
  井深大著
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●能ある鷹はツメを磨け

これまで紹介してきたように、本田宗一郎は「頭(脳力)を効果的に使うこと」をとても重視していました。

『ほんとうの合理化は設備投資をすることじゃない。石頭を切り替えることなのだ』(『俺の考え』本田宗一郎著)

『私の測定によると、人間の体力はだいたい1/20の馬力である。しかもこの馬力は、一定の休養をとり、一定の娯楽も与えなければ満足に出てこない。
こんな気むずかしくて能率の悪い機械だったら、たちまちスクラップである。
人間の労働力が重要なのは、そこにアイデアが生かされている場合である。
数億の設備資金よりも、数千の労働力よりも、一人の秀でた生産手段の発明発見が、能力を高めることがありうる』(『やりたいことをやれ』本田宗一郎著)

最終的に勝ち残るためのカギとなるのはハードウェアではなく、ソフトウェア(考え方)であるということです。
アクティブ・ブレイン・セミナーも、脳そのもののハードとしての性能よりも、その脳力をどのように引き出すか、それをどう使いこなすかというソフト(OS)が重要であるという考えに基づいています。
例えていうならば3日間のセミナーで、それぞれの脳の性能を最大限に引き出すことのできる最新OSをインストールするようなものです。

セミナーでは「自分はあまり頭がよくないので」というような言葉は、たとえそれが謙遜から出たものであっても厳禁です。
本田も同じようなことを述べています。

『わが国には、昔から「能ある鷹はツメをかくす」という謙譲の美徳をうたったことわざがある。
現代でもなおこの言葉が高く評価され、実力のある人はよくよくのことがない限り、その手腕を示すものではないという風潮を生み出している。まったく困ったものだ。時代錯誤もはなはだしい。
若者は、そんなことにとらわれてはならない。まず失敗を恐れず、そして大いにツメを磨いて、その能力をどんどん表すことだ』(『やりたいことをやれ』本田宗一郎著)

┌────────────┤おすすめ├┐
□書籍のご紹介
 『俺の考え』
  本田宗一郎著

 『やりたいことをやれ
  本田宗一郎著
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