西郷隆盛というと、上野の銅像に象徴されるように、ほとんどの人が、がっしりとした体型を思い浮かべるのではないでしょうか。
しかし沖永良部島にある「西郷南洲記念館」に行けば、粗末な庵の中で瞑想する痩せ細った西郷像を見ることができます。
先回述べたように、西郷隆盛は数年に渡って奄美大島や沖永良部島などでの幽閉生活を強いられます。劣悪な環境の中、身体は痩せ細り、脚も悪くしてしまいます。
しかし、西郷にとって最もつらかったのは、そうした肉体的・物理的な問題ではなく、日本の将来を左右する重要な時期に、何もできない悔しさや焦燥感だったでしょう。
西郷の遠島時代(1958年12月~1864年2月)、薩摩藩も日本も、急激な時代の流れに翻弄されていきます。
主な出来事をざっと挙げてみると、吉田松陰の処刑、咸臨丸アメリカ出航、桜田門外の変、坂本龍馬脱藩、寺田屋事件、高杉晋作による奇兵隊編成、薩英戦争ーーまさに激動の時代です。
西郷は、独り遠海の島に置き去りにされてしまったような孤独感にさいなまれながらも、自分が必要とされる時が訪れることを信じて、書物に学びつつ、その準備をしていました。
そこで彼が最も愛読したのは、本メルマガでも取り上げた佐藤一斉の『言志四録』です。
西郷は一斉から「天に与えられた使命を知り、その天命に従って生きること」の大切さを学び、離島で置き去りにされて腐るどころか、むしろより一層志を高く持つようになっていきます。
『言志四録』全1133条に及ぶ教訓の中から、西郷はとくに心に響いた101条を撰び出し、生涯、自らの指針として大切にしていました。それは西郷の死後『南洲手抄言志録』として刊行されています。
「順境は春の如し 出遊して花を観る 逆境は冬の如し 堅く臥して雪を観る」という『言志四録』の言葉には、順境だけではなく、逆境さえ楽しんでしまうような陽転思考に通じる心意気があります。
西郷の次の漢詩にも、逆境をむしろプラスに陽転して捉え、前進しようとする意志が表現されています。
「耐雪梅花麗 経霜紅葉丹」
(雪に耐えてこそ梅の花は麗しく咲き、厳しい霜を経てこそ楓は真紅にもえる)
┌──────────┤書籍のご紹介├┐
□『西郷隆盛人間学』神渡良平著
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