先回紹介したように上杉鷹山は、消えかかったかすかな残り火に希望を見出し、それを種火として藩士たちと夢を分かち合い、大きく広げていこうとしています。
「お前たちこそ、この火種ではないかと思ったのだ。お前たちは火種になる。そして、多くの新しい炭に火をつける。新しい炭というのは、藩士であり藩民のことである。
中には濡れている炭もあろう。湿っている炭もあろう。火のつくのを待ちかねている炭もあろう。一様ではあるまい。
ましてや、私の改革に反対する炭もたくさんあろう。そういう炭たちは、いくら火吹竹で吹いても、恐らく火はつくまい。」(『上杉鷹山の経営学』童門冬二 著)
これは本メルマガの稲盛和夫編で取り上げた、
【可燃性】火を近づけると燃えるもの
【不燃性】火を近づけても燃えないもの
【自然性】自分で勝手に燃え上がるもの
ーーという3種類の人材を彷彿とさせます。
稲盛は、「不燃性は組織にいらない。せめて可燃性であれ」と述べています。
しかし自分の会社ではなく、藩士や領民が相手である鷹山にとっては、不燃性であるからといって切り捨てるわけにはいきません。より厳しい状況にあったでしょう。
「しかし、その中には、きっと一つや二つ、火をつけてくれる炭があろう。私は今、それを信ずる以外にないのだ。
そのためには、まず、お前たちが火種になってくれ。そしてお前たちの胸に燃えているその火を、どうか心ある藩士の胸に移してほしい。」(同)
ここで重要なことは、灰の中に火が残っていたから鷹山の心に希望が芽生えたのではないということです。
むしろ、心の中に希望を探す強い信念があったからこそ、残り火を希望の象徴とすることができたと考えるべきでしょう。
夢や理想と、厳しい現実との間に橋を架けるためには、絶望や困難の中にも希望や可能性を見出すことができる心の余裕と、強い信念、そして陽転思考的発想転換が大切です。
『上杉鷹山の経営学』の著者・童門冬二氏は、この鷹山のエピソードを現代組織論として次のように解説しています。
「絶望的な職場は譬えてみれば冷えた灰だ。しかし、その灰の中をよく探して見れば、必ずまだ消えていない小さな火ダネがあるはずだ。その火ダネはあなた自身だ。その火を他に移そう。
つまり灰のような職場でも、火ダネ運動を起こせば必ずその職場は活性化する。そしてその組織は生き返る。」(同)
┌──────────┤書籍のご紹介├┐
□『上杉鷹山の経営学』童門冬二 著
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