いたです。今日も一言。言って寝る。




僕の中には座標軸がある。




x軸を主観的な僕。

y軸を客観的な僕。

z軸を第三者。




こうして、座標をとって、僕は自分の位置を確認する。




これが僕の、自分自身を知るひとつの方法。


高校生までは、x軸しかなかった。


1Dの世界。


高校生からは、y軸が生まれた。


2Dの世界。


大学生になって、z軸を発見した。


3Dの世界。


こうして今、僕は立体的に自分の思考を感じることができる。




x軸だけでは、主観的な思考の僕。

x軸とy軸だけでは、平面的な思考の僕。

そこにz軸が加われば、立体的な僕の思考が確認できる。




思考の流れとして…




x軸は、頭の中で主観的に考えること。

y軸は、主観的に考えたことを紙に書いて客観的に考えること。

z軸は、客観的に考えたことを第三者に伝え、反応をもらうこと。




ある番組で大江健三郎が言った。

「"think""write""speak"のトライアングルがあって、初めて思考になる」




同じことだ。




僕の中では




x軸が、"think"。

y軸が、"write"。

z軸が、"speak"。




どんなときでも、この軸を忘れることなく、物事を考えられたら、


きっと、クールで、クリアで、クリティカルな結論が出るんだろうなって思う。


























…まぁ酔っ払っちゃったらカンケーないけどさぁ(・∀・)←意味ない

こんにちは。いたです。


先日の日曜日に、浅草の飲み屋さんで飲んでました。


その名も、神谷バー。




そこで出会ったおじいちゃん軍団5人組(もちろん初対面)と仲良くなって




何度も乾杯してたよ(・∀・)

※ 5回くらい




すげー楽しかった♪




そんなおじいちゃん(80歳とか)たちと最後に記念写真を撮ってお別れ。




「じいちゃん!写真送ってあげるから住所教えてよ!」って言ったら、名刺くれた。











おじいちゃん、どっかの会社の














































代表取締役だったよ(・∀・:)




























このおじいちゃん5人組。

仲間で会社やって、持ち回りで社長をしてるらしい。笑




ステキだ!!爆笑













そんなおじいちゃんを見て、ふと思う。


今の若い人たちが、道に迷ってる姿を見てると、こんな言葉が浮かんできた。







どの道を選ぶかも大事だけど、




選んだ道をどう生きるかのほうがもっと大事。







そんな気がするなぁ。





道は選ぶものじゃなくて、歩くもの。





いいお酒でした(・∀・)写真送るぞー

どーも、おーのです。


実は7日土曜日は友達の一周忌で大学時代の仲間と会っていました。


昨年の6月11日に心不全で大学の同期が亡くなり、

一年経つという事もあり、久しぶりに皆で集まって何かしようという事でした。


会自体に対して、そこで行おうとしていたことに対して、皆色々と思うところが

あったようで、幹事をしていたメンバーの中には辛い思いをした人もいたかも知れませんが

僕はいい時間を過ごしたな~と思いました。


と、本題本題。



あんまりシリアスな感じは似合わないんだけども、一年経って改めて考えてみました。

彼の死をどう受け止めればいいのか、そもそも死ぬってどういうことなのか。



実はお恥ずかしながら、いまだに死ぬっていうのがどんな事なのかピンと来てません。

というか、その意味というか、どう受け止めて、どう自分に落とし込む事なのか

わかっていません。


一年経ったんだけどね。


ただ思うのは、一年程前に「あいつのために使う時間ももうないだろうから、最後に

お前のためにたっぷり時間使ってやる」と思って、彼の実家の北海道(実は同郷)までお線香を

あげに行ってきました。



その時に、人のために時間を使うっていう事は実は凄い事なんじゃないかなと思いました。



会社に行って、自分だけのために誰かが時間を使ってくれるだろうか?

あんまりない気がする。


普段生活していて誰か自分だけのために時間を使ってくれるだろうか?

家族や親ならあるかな~。

彼女もいないから、他にはあんまり想像つかないな~。


(これが俺だけだったら自分相当寂しいな~(-"-;A)


純粋に誰かのためだけに自分の損得まったく抜きにして時間を使うって

なかなか無い事だと思います。


(あ~でも、自分のやり場のない思いを持った人たちが

傷を舐め合うようにしているっていう見方もあるかな~o(_ _*)o

ま、いいか)



で、一年経った今、大勢の人間が彼のために時間を使おうって思って

集まってました。


たったそれだけと言えば、確かにそうです。


彼が死ぬ間際にどんな気持ちだったのか、何故死んだのか、

自殺だったのか、そうではなかったのか、実は知りません。


その程度の関係かと言われればそうかもしれません。



でも、やっぱり一人の人間のために皆で時間を使うっていうのは

凄い事だと思いました。


やっぱり未だにわからない事だらけで、自分の中で消化しきれていないんだけど、



彼は大きなきっかけをくれました。

僕らに考えるきっかけをくれました。



おそらく、人生のイベント・冠婚葬祭で、

自分の近しい人たちを集める・もしくは集まる会っていうのは、

参加した人たちに対して、


「俺を見てみろよ。お前ら俺見て考えるところあるだろ?

それしっかり考えて、人生豊かにしてくれな!」


っていうメッセージを発信しているんだと思います。



僕の友達(いた)が言っていました。


過去は変えられる

事実は変わらないけど、その意味は変えられる

そうすれば過去が変えられる




亡くなった彼にとってはもう何もないんだろうと思います。

死んじゃったしね。


後は、僕らがどう考えて自分の人生や他の人の人生に

影響を与えていくかかなと思います。


そうやって、過去をより良くし、未来をより良くして行く事が

大切かなと思いました。



かなり長くしかも言いたい事が不明確でごめんなさい。

しっかりまとめられたらまた書きます。


…と言って、書いた例はありません…( ̄ー ̄;