こんにちは。いたです。

ちょっとしたきっかけで、友情について考えることがあったので、ここにも記しておきます。


ひとつのことを考えるとき、何かと比較して考えることが一番の近道。


今回は、友情と恋愛を比較して明確化してみました。例外もあるかもしれません。






【開始】
恋愛関係:一方的開始
友情関係:相互的開始

※ 恋愛と違って、友情は「友達になってください!」から始まることはあまりないです。



【感情】
恋愛関係:情熱・苦悩
友情関係:冷静・楽天

※ 恋愛と違って、友情は「まぁいっか」で済まされる問題が多いです(・∀・)僕とおーのもそうです。



【抑制】
恋愛関係:恋愛感情の抑制困難
友情関係:友情感情の抑制容易

※ 恋愛と違って、友情は相手を想って眠れないことはありません。(あったらちょっとキモいですね。笑)



【範囲】
恋愛関係:多方面の恋愛関係不可
友情関係:多方面の友情関係可能

※ 恋愛と違って、友情は自由です。(多方面の恋愛関係がOKな猛者も時々いますけど。笑)



【独占】
恋愛関係:相手に対して独占的である
友情関係:相手に対して独占的ではない

※ 恋愛と違って、友情には嫉妬はほとんど存在しません。(小中学生の女の子には結構あるみたいだけど。笑)



【重量】
恋愛関係:愛情を測ろうと思う
友情関係:友情を測ろうと思わない

※ 恋愛と違って、友情には自分が満たされようという欲求があまりありません。



【状況】
恋愛関係:会わない時、相手の事をいつも考える
友情関係:会わない時、相手の事をあまり考えない

※ 恋愛と違って、友情には「昨日何してた?」などの質問はありません。

※ 3年ぶりにあったとしても、昨日別れたばかりのような状態から話が始まる友人がいると思います。



【実像】
恋愛関係:相手への問いが付きまとう
友情関係:互いに等身大の姿

※ 恋愛と違って、友情は虚勢をある必要がありません。




以上のことから、愛情のカテゴリの中でも、友情ってとても自由なもの。逆に、恋愛ってすごい大変なもの。

友情って、愛情(家族愛・恋愛など)の中でも、もっともフラットな愛情かもしれませんね。




最後に、さらに「家族愛」「恋愛」「友情」の表裏を比較して、さらに友情のフラットさを明確にしてみました。




【家族関係】

表:親は子の自由を望む。

裏:子の意思の操作あり。(責任・惜しさから)

※ 家族関係は、上下関係。


【恋愛関係】

表:相手の自由を望む。

裏:相手の意思の操作あり。(愛の確証の願望から)

※ 恋愛関係は、統合関係。


【友情関係】

表:相手の自由を望む。

裏:相手の意思の操作なし。(俺は俺、お前はお前)

※ 友情関係は、平等関係。




そして、もう一例。

それぞれの愛情には、万人に注げるものと、注げないことがわかります。




【家族関係】

子への無償の愛情(非日常的モラル)≠普遍的原則(万人に注げない)

【恋愛関係】

相手への情熱   (非日常的モラル)≠普遍的原則(万人に注げない)

【友情関係】

相手への平等   (日常的モラル)  =普遍的原則(万人に注げる)




以上のことから、友情は、万人に注げる、平等な、誰にでもできる愛情であるといことがわかりました。




いかがだったでしょうか。

どの愛情も特徴があっていいものですが、友情っていいですね。(恋愛が一番難しいようです。笑)




てなわけで、これからも、僕はお酒を通して、

たくさんの友情を作っていきたいと思いますv(・∀・)v←お酒を飲む口実

こんにちは。いたです。
今日は、夏が近づいてきて、僕が思ったことをここに記します。




みなさんは「点の論理」と「線の論理」という言葉をご存じでしょうか。
一言で言うと、以下の通りです。


「点の論理」とは、日本の文化。
「線の論理」とは、西洋の文化。




例えば物語。


【日本の物語】
日本の物語(源氏物語や平家物語)はストーリーの飛躍が激しく、とても読みにくいものでした。

それは、話の飛躍の間の「情景」を読者にゆだねている・想像させているからです。
ストーリーを少し飛躍させることでその部分を読み手に想像させることで、
日本の「つつしみの美学」が生まれたのです。

日本の文化は、説明的なものを嫌うものなのです。
日本の物語は、ストーリーの点を辿っていくイメージ。


これが日本の文化を「点の論理」と言わしめるゆえんです。




【西洋の物語】
一方、西洋の物語は、日本のものとは違い、とても説明的です。
そのため、情景描写がとても詳細で、ストーリーが一本の線として成り立っています。
ある意味直球・ストレート。わかりやすい。


これが西洋の文化を「線の論理」と言わしめるゆえんです。




このように説明すると、双方の文化はこのような分類になります。


日本の文化は「想像的な文化」。
西洋の文化は「説明的な文化」。




この分類は、様々な方面で見ることができます。


■ 絵画
【日本の水墨画】
背景に余白が多く、余白部分を見る側の想像に任せる。抽象的である。


【西洋の油絵】
背景も隅から隅まで描かれていて余白がない具体的である。


■ 演劇
【日本の能楽】
舞台セットは、松の絵一本のみ。場面ごとに背景が変化するはない。


【西洋のオペラ】
舞台セットが詳細。場面ごとに背景が変化する。


■ 住居
【日本の家屋】
布団を敷けば寝室。ちゃぶ台を出せば居間。
出すものによって部屋の役割が変化。


【西洋のハウス】
ベッドがあるのは寝室。テーブルがあるのはリビング。
役割によって部屋が独立。




上記の説明を踏まえて、以下の結論が出たのでした。




日本の文化は「想像的な文化」。
西洋の文化は「説明的な文化」。




ここで、僕は思うのです。


「つつしみの美学」は日本の文化である。そして、僕は日本人なのだ、と。


僕は、日本の文化が大好きです。
この「見えないところを想像させる文化」というものが。

そう、それはいいかえれば、平安時代以前から1000年以上も積み上げられてきたまさに、




筋金入りのチラリズム文化




だからこそ、純粋日本人を自任する僕は言いたい。


現代の女性たちに。
東京メトロ副都心線(祝!昨日開通)に乗っていた女性たちに。






ちょっとオープン過ぎやしませんか!と!
※ 目のやり場に困ってます。






アイドルとかも。







アイドルは水着を着るものだというのは間違っておる!と!
※ 雑誌の立ち読みしづれぇ。







まったく、チラリズムもあったもんじゃない。

日本人の僕にとって、「水着写真」やら「ヌード写真」は却ってガックリきます。


やっぱアイドルはそーいうんじゃなくて、









浴衣とか着てくれ!!
※ 心の叫び








アメリカとかのバァァァーン!とした堂々たるヌードとかは、正直こっちがヘコみます。
※ おーのの家にありました。(ウソ)


だって想像させるものが何もないじゃんかぁー。(泣)
※ 泣ほどのものじゃない。






てなわけで、みなさん、つつしみは持ちましょう。
※ ちなみに、つつしみある女の子がちょっと大胆になったりするギャップはストライク(・∀・)







結論を言います。結局、夏が近づいてきて僕が思ったのは、













やっぱ、女の子は夏服より冬服だなー













ってことです。







…着地点間違ったね僕(・∀・)

どーも、おーのです。


日々生活をしているとふと疑問が湧いたりしますが、
その中の一つを書きます。


仕事をするスタンスっていうのは色々あるんだろうけど、
自分の中では2つ程考えがある。


①つべこべ言わずに先ずはやれ
②最後は自分の責任は自分で持たなきゃだめだよ


といった具合に。


これだと、違いが良くわからないのでもう少し説明を。

例えば病気になったとして、病院に行った方がいいとは思うけど、
別に頑張れないと言う訳ではない。
そんな状況だと以下のような考え方をするって考えてください。


①つべこべ言わずに先ずはやれ
→「具合悪いし正直気になるんだけど、仕事が優先でしょ!
  ダメになったら最後は病院に行く訳だしね~。」


  なので、仕事をする。


 いわゆる仕事人間系


②最後は自分の責任は自分で持たなきゃだめだよ
→「選ぶのは自分だけど、倒れたって誰も面倒は見てくれないよ。
  自分の事なんだから。会社だって最後は一社員よりも会社を
  優先するんだから、自分の事は自分以外守ってくれる人はいないよ。」


  なので、病院に行く。


 わが道行く系(適切な表現ではないかも…。解り易くていいでしょ(汗))



さてさて、どっちのスタンスが正解?


僕の感覚では、男性は前者のタイプが多い気がする。
女性は後者かな。
まー感覚(偏見に思えてしまったらごめんなさい)だけど。


どっちのスタンスも、言い訳にもなるし筋通す事もできるし。



ビジネスで成功する=人間として素晴らしい=素敵・幸せな人生を送る


が成り立つとして、そうなる為にはどんなスタンスでいれば
いいのだろうか。
ちょっと(?)気になる今日この頃。


そもそも、上の3つの要素は=で結ばれるのだろうか…?