[マンションの水と細菌 貯水槽の中で増殖中]
(dot. 2013年8月13日)
麻布大学生命・環境科学部の早川哲夫教授は、貯水槽内で長期間滞留した
水の中にいる細菌に注目している。
それは従属栄養細菌という聞き慣れない細菌だ。
「これまで、水中の細菌に対する考え方は、『塩素に対する抵抗力が比較的
強い大腸菌さえ死滅した状態になれば、赤痢菌やコレラ菌など他の病原菌は
存在しない』というのが前提でした。従属栄養細菌は『無視してよい』と
されてきました。が、私はそこに疑問を持っています」(早川氏)
<塩素に強い耐性>
人間に害を及ぼすことで知られる細菌のほとんどは、栄養豊富な人間に感染
して、体温の36度前後で急激に増殖して、体調を悪化させる。
従属栄養細菌は、有機物を比較的低濃度に含む培地を用いて低温で長時間培養
したとき、培地に集落を形成するすべての細菌のことだ。
厳しい環境に強く、中には塩素に強い耐性を持つものもいるという。
「健常者なら、体内に従属栄養細菌が入っても大丈夫かもしれませんが、
問題はお年寄りなどの健康弱者です」(早川氏)
早川氏は2011年度から、厚生労働省の補助金を受けて、貯水槽内で水道水が
長期間滞留することによる水質悪化の研究を進めている。
昨年度は、学校20カ所、給食センター1カ所、高齢者施設7カ所、病院
1カ所の貯水槽内を調べた。
すると、すべての水槽内の水から、従属栄養細菌が検出された。
「遺伝子検査をしたところ、細菌のデータベースには存在しない、新種の
可能性のある細菌が2株見つかりました。従属栄養細菌は、ほとんど研究
されていない分野で、研究論文の数も少ない。ただ、海外の論文には、
基礎疾患のある人が、従属栄養細菌によって重症化し、敗血症や菌血症、
肺炎になったという報告もあります」早川氏は、こう指摘する。
1990年にスペインで発表された、「アシネトバクター(従属栄養細菌の
一種)によって引き起こされた菌血症の臨床的重要性」という論文では、
「アシネトバクターが死亡率を高めているので(カテーテルを清潔にする
等の)対策が必要である」と報告されているという。
現時点で、その毒性は明確ではないが、海外の論文では、免疫が低下した人に
感染症を引き起こす「日和見感染病原体」とも指摘されている。
従属栄養細菌は、貯水槽内の水が長期間滞留して塩素濃度が低下したことで、
その環境に定着したと、早川氏は考えている。
東京都水道局の調査でも、滞留時間が長くなるに従い、残留塩素が消費されて
いる。
<貯水槽の水が長期滞留>
マンションなどの高層建物は、多くが貯水槽方式を採用している。水道事業者
(主に市町村の水道局)から供給された水をいったん受水槽(地下や地上へ
設置)に入れて、加圧ポンプで屋上の高架(高置)水槽へ送り、そこから
各戸へ自然流下させる。
貯水槽内の水が長期間滞留しているのは、建築時と比べて、節水が進んだこと
などで使用水量が下がり、結果として水槽のタンクの容量が過大となった
ためだ。
従属栄養細菌を研究している数少ない医学研究者の一人が、北里大学医学部
微生物学の笹原武志講師(59)だ。
環境感染学が専門で病院内の環境改善や、院内感染原因菌の環境調査を行って
きた。
笹原氏によると、従属栄養細菌によって健康リスクが生じる可能性がある
のは、持病がある老人やがん患者、自己免疫疾患患者など免疫力が低下して
いる人たち。
肺炎や下痢、敗血症などを引き起こす場合もあるという。
院内感染の原因菌として確認された例もある。
そして、従属栄養細菌が、身の回りに存在していることを認識することの
重要性を訴える。
「従属栄養細菌には多くの種類があります。熱いお湯や乾燥したところには
いませんが、水が滞留する環境さえあれば、あらゆるところに棲息していると
考えて日常生活を送るべきです」(笹原氏)
<原因不明疾患に関係か>
貯水槽の他にも、水がたまる蛇口やシャワーヘッドなども、彼らのすみかに
なっていると、笹原氏は指摘する。
<従属栄養細菌が直接病気をもたらすことはあるのか>
「病気を引き起こす菌ではないと言われていますが、それはまだ私たちに
科学的な知識が乏しいだけなのかもしれません。原因不明の疾患には
いろいろと複合要因が重なって起こっている可能性があり、これらの原因の
1つとして、細菌の長期曝露も関係しているかもしれません」(笹原氏)
いずれにしろ、長期間滞留した「死に水」が衛生的によくないことはわかって
いる。
衛生的な水を飲むには、蛇口から出る水の残留塩素濃度(0.1mg/L)を確保
することが重要だ。
10トンを超える貯水槽の管理者には、年1回の水質検査が義務づけられて
いる。
飲料水の水質基準を定める厚生労働省は5年前に、専門家からの提言を
受けて、従属栄養細菌を水質管理の指標に加えた。
が、大腸菌のように検査義務の対象ではない。
水道課は、「早川教授の昨年度までの研究成果は、貯水槽水道の清掃、点検、
水質管理等をしっかりやらなければいけないことを改めて示していると考えて
います」とするが、直ちに検査項目を見直すことはないという。
<貯水槽の管理は住民>
水道水を各家庭に届ける水道事業者は、従属栄養細菌を、どう認識しているの
だろうか。
ここで、貯水槽の管理責任の所在を確認しておきたい。
自治体など水道事業者の管理責任は、貯水槽に届けるまで。
マンション施設内の貯水槽の管理、水質検査などの義務は住民側にある。
東京都水道局は、2002年の水道法改正を受けて条例を改正し、貯水槽の
水質管理に取り組み始めた。
水道水の中の残留塩素の実態を調べ、その対策を探る検討委員会を立ち上げ、
昨年末には報告書をまとめた。
2004年度から2009年度にかけて、都内のすべての貯水槽約22万件を対象に、
点検調査を実施。
しかし、実際に点検調査できたのは約10万件(46.5%)にとどまった。
点検項目は、受水槽の外観、水温、残留塩素、色度などだ。
注目すべきは、現地で計測した有効容量と使用水量からの受水槽での滞留時間
(水槽内の水の回転数)の推定だ。
貯水槽の容量は、水槽内の水を半日程度で使い切るように設計するよう求め
られているが、都内では4万5千件の滞留時間が基準を上回っていた。
貯水槽内の水の滞留時間は点検を義務づけられていない。
そのため、大半のマンションでは、貯水槽内の水道水の滞留時間を把握できて
いないのが実情だ。
マンション管理会社をいくつか経て、現在は大手マンション管理会社に勤務
する久保木利男さん(仮名)は、様々な貯水槽の現場を見てきた。
「貯水槽が10立方メートルを超える場合は年に1回の点検と清掃、水質検査が
義務づけられていますが、10立方メートル以下だと、まずやらないし管理は
非常にズサンです。築30年以上の古いマンションや、管理会社が入っていない
自主管理のところも危ない。それとオーナーがそこに住んでいない投資用の
ワンルームマンションなどは、水の衛生に対する意識も低い傾向があります」
<自治体は直結方式推進>
衛生観念の乏しいオーナーには呆れるばかりだが、自宅の水に疑問を持ったら
分譲ならば管理組合に、賃貸ならば仲介・管理会社に相談するといい。
貯水槽の水道水の塩素が消費されないようにするためには、
(1)配水管から各戸の蛇口に直結給水する方式に切り替える
(2)貯水槽の点検と清掃、水質検査を年1回実施する
(3)貯水槽内の水道水の回転率を上げて長く滞留しないようにする
の3つの対策がある。
直結方式は、東京都をはじめ多くの自治体が推進している。
これは、増圧ポンプを設置するなどして、水を屋上に上げずに、直接蛇口まで
給水するものだ。
厚労省によると、貯水槽が10立方メートルを超えるもので、検査を実施して
いるのは約8割。
さらに、義務化されていない10立方メートル以下は、1割未満という。
こうした現状に、独自の規制措置を導入する自治体もある。
横浜市は、条例を改正して2011年度から地下式受水槽については容量に関係
なく年1回の検査を義務づけている。
「概ね昭和50(1975)年以前に建てられたマンションなどでは、地下式
受水槽に隣接して汚水槽や排水槽が設置されている場合があり、老朽化した
汚水槽や排水管から受水槽への汚水漏れ事故が後を絶たないことが背景にあり
ます。地下式に限らず受水槽方式には、一定のリスクがあります。例え
年1回の検査を終えた翌日におかしくなることもあり得るので、日常的な
管理が必要です。市民からの相談には最終的には『直結』をお勧めして
います」(同市健康福祉局健康安全部生活衛生課)
貯水槽の水の回転率低下の背景には、現代人の生活スタイルや社会状況の
変化も関係している。
例えば節水機能の高い水洗トイレや洗濯機の普及、いつの頃からかペット
ボトル入りの水が好まれ、原発事故以来急速に普及したウオーターサーバー。
共働きがほとんどで昼間は留守宅ばかりのマンションは多い。
少子化もそれに拍車を掛けている。
それらによって想定を下回る使用量で水の回転率が低くなり、滞留時間が長く
なる。
前出の笹原氏は、こう話す。
「従属栄養細菌の増殖は、むやみに便利になったことが招いたのではないで
しょうか」
(AERA 7月8日号)
http://news.goo.ne.jp/article/dot/world/dot-2013080900006.html