[人骨は江戸・明治 鳥取砂丘人骨ミステリー]
(日本海新聞 2011年8月3日)
鳥取県警は2日、6月30日に鳥取市の鳥取砂丘の砂の中から発見された
4体分とみられる人骨の鑑定を終え、「人骨の年代は江戸時代後期から明治
時代初頭のもの」とする鑑定結果を発表した。
死因は不明としたが、埋葬形態や骨に外傷が認められないことから事件性は
ないとみている。
県警によると鑑定は鳥取大学医学部(米子市)で行われ、人骨は4体分と
判明。
骨密度や髄膜などの状況から死後相当年数が経過していることが確認
されたが、人骨の細部に弾力性が残っていることや有機質が確認されたこと
から、年代を江戸時代後期から明治時代初頭と解析した。
年代の特定では、3体の人骨からは江戸時代以降の人骨から確認の頻度が
高いとされる虫歯が発見されたことに言及し、治療痕がないことから歯科
治療が一般化されていない時代だと特定を後押しした。
人骨と一緒に複数の木片のようなものと鉄製のくぎも発見されたが、形状の
特徴からくぎは明治時代以前のものとみられる。
また頭蓋骨などの特徴から性別は男性2人と女性2人とし、頭蓋骨の縫合の
変化や歯の摩耗具合から年齢は20代~50代とした。
一方で人骨は横たわった状態で発見されており、座位による埋葬が主だったと
される当時の埋葬方法との矛盾もあり「新たなミステリー」も生んだ。
県警によると、同時代の人骨が横たわった状態で発見されたのは県内で例が
ないという。
県内屈指の観光スポットで起きた「砂丘ミステリー」は、さまざまな臆測を
呼んだ。
鑑定結果でひとまず収束に向かった格好だが、人骨の年代と当時の埋葬方法
との矛盾など「新たなミステリー」も生まれた。
発見者の1人で県砂丘事務所の堀部晴彦所長は「発見当時“ひょっとしたら”と
いう事件性が頭をよぎっただけにほっとした」と安堵した様子で「古代まで
さかのぼるくらいの年代だったら、さまざまなロマンも広がったが・・・」と
話した。
4体の人骨は、海からは60~70メートルの近さの場所に頭を西向きにして
整然と埋葬され、穴の深さは約30~40センチだった。
埋葬されていた穴の深さなどからは「同時期、あるいは短期間の埋葬が想定
される」とする鑑定結果が示された。
「コレラ説」を推察していた、鳥取市国府町糸谷の森医院の森納理事長は
「死因が明らかにならないのは残念。ただコレラは“三日コレラ”とも呼ばれる
ように短期間で死に至る。頭が西向きの埋葬は“西方浄土”の宗教的な思想で
しょう」と、埋葬方法にあらためて触れた。
地元の浜坂郷土史会の橋本寿雄会長は、海岸線に漂着した遺体を埋葬していた
などとする記録から「やはり海難事故によるものではないか」と推察して
いる。
http://www.47news.jp/news/2011/08/post_20110803134348.html