[尾根の標 日航機事故25年 (5)看護師が「遺体の修復」]
(読売新聞 2010年8月5日)
<つらい作業「命の尊厳」自問>
日航ジャンボ機墜落事故から5日目の1985年8月16日。
前橋赤十字病院看護師長の田村教江さん(56)は、いつもの白衣でなく、
ベージュの救護服姿で藤岡市民体育館に駆け付けた。
遺体の検視を補助する役割を命じられていた。
損傷が激しく、腐敗の進んだ遺体が次々と運ばれてくる。
上半身だけの遺体がまとった服を1枚1枚丁寧に脱がせ、血や木の葉が付いた
体を、左腕で抱きかかえるようにしてやさしくふいた。
「誰かの大切な家族だったんだ」
バケツの水は、ウジと体の脂で真っ白になった。
検視後は、顔などの傷口を縫い合わせ、新聞紙やさらしを使って失われた
下半身を作った。
「少しでもきれいにして家族の元に帰してあげたい」
その一心だった。
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http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/feature/maebashi1280587714095_02/news/20100805-OYT8T00066.htm