秋田県上小阿仁村の国保診療所における医師退職問題 | アクティブエイジング アンチエイジング
[秋田県上小阿仁村の国保診療所における医師退職問題]

(Wikipedia)


昨今、村唯一の医療機関である上小阿仁村国保診療所に医師が定着せず、
物議を醸した。



<経緯>
2008年(平成20年)3月、僻地医療に20年も従事していた医師が「この
村が、医師として最後の勤務地。人への愛情、興味が尽きない限り、診療を
続けたい」と2008年(平成20年)2月に着任したものの、村人からの苛烈な
嫌がらせにより、わずか4か月で辞意表示・着任から6か月で退職した。

その後2009年(平成21年)1月に、離島やタイで医療に従事した経歴を持つ
医師が新たに着任したが、同医師も翌2010年(平成22年)3月に辞意を
表明、「後任が見つかるように」との理由から2011年(平成23年)3月を
もって離職すると発表した。
この辞意表明の直後、数多くの村民からの慰留、村当局による改善策の申し
入れにより、辞意は撤回された。
しかし、同医師は2010年(平成22年)9月に再び退職願を提出し、2011年
(平成23年)2月下旬受理された。

さらに村の公募に応じて北海道北見市から2011年(平成23年)6月に赴任
した医師も、2012年5月に村に辞意を伝えた。
これにより、3人連続して赴任後1年以内に辞意を示すこととなった。

上小阿仁村は2012年(平成24年)10月1日、5月に辞意を伝えた上記の
医師が10月12日に退職し、同日付で北海道帯広市の西村勇医師が診療所の
新所長に就任すると発表した。
しかし、西村医師も着任から1ヶ月足らずの11月6日までに村に辞意を伝えて
いる。
理由は体調不良としている。



<背景>
僻地医療のベテランを含む3人の医師が相次いで短期間に辞職している背景
には、激務によるものだけでなく、モンスターペイシェントによる嫌がらせ
などの問題行動、およびそれに真摯に対応しなかった村役場の姿勢にあると
されている。

例えば、下記のような患者の問題行動が報道されたが、これに対して村当局が
どのような対応をしたかは報道されていない。

 ・昼食をとる時間がなく診療所内で食事をしようとパンを買ったときに
     「患者を待たせておいて買い物か」と住人に責められる。
 ・年間休日18日。
     土日や祝日も村内回り、お盆期間も診療を続けた。
     しかし盆明けの8月17日を休診にすると「平日なのに休むとは
     一体何を考えているんだ」と批判した住人がいた。
  ・診療所向かいの自宅に「急患にすぐに対応できるように」と、
     センサー式照明を設置費用・電力費用を自費で設置したが、
     「税金の無駄使いをしている」と苦情を言った住人がいた。
  ・自宅に嫌がらせのビラがまかれた。
  ・辞めていった医師の中には、村の広報紙に村人の医師への対応について
     苦言を呈した者もいたが、何も改善されなかった。



<村当局の対応>
診療所の小嶋有逸事務長補佐(2010年(平成22年)3月報道時60歳)は
「こんなに身を粉にして働く医師は過去に例が無く無医村になったら村民が
困る。自分で自分の首を絞めている」と語った。

当時の村の責任者であった小林村長は「お会いして、いろいろとお話を聞き
慰留に努めました結果、結局は辞任の意思は不変の様であります。上小阿仁村
ではこれ以上診療を続けられないとのお話の原因について、ここで詳細に
論ずることは控えますが・・・」「一部の不心得者のために人格も腕も一流の
医師を失うのは不本意。医師不足は深刻で、無医村になる公算は限りなく
大きい」と語った。

2人目の医師の辞意表示のあと、村当局は急きょ改善策を申し入れるが
いったん固辞される。
また同村の広報誌『広報かみこあに』2010年(平成22年)3月号では、
重要事項として「有能で献身的な医者を安定的に確保すること」を挙げた。
2人目の医師は一度辞意を撤回し、上小阿仁村の無医村化は回避されたが[、
最終的に退職願は受理された。

しかし、村民の医師に対する接し方及び村当局の対応は改善することもなく、
2012年(平成24年)5月には3人目の医師も辞意を表明している。
その際村の広報誌にて医師は「村執行部の医師に対する見方、接し方、処遇の
仕方の中に医師の頑張る意欲をなくさせるものがあった」「次の医師が
見つかっても、その人も同じような挫折をすることになりかねない」との
コメントを残している。