と思っている
もちろん下手な演技をしたいとは
誰も思っていません(よね?)
しかしよくよく考えてみると
では「良い演技」って
もし答えが曖昧ならば
向かう方向も「何となく」…
実際問題動けば
演技コーチは
AR演技メソードは
入り口と出口が明確であるからこそ
しかしよくよく考えてみると
「演技」自体が漠然としていて
曖昧なものではありませんか?
「良い演技」となれば
尚更曖昧になります
では「良い演技」って
どんな演技ですか?と聞かれて
あなたはスラスラ答えられますか?
明確に、具体的に答えられれば
あなたの思う「良い演技」には
あなたの思う「良い演技」には
辿り着ける可能性があるでしょう!
もし答えが曖昧ならば
向かう方向も「何となく」…
あっちの方向?はたまた…
こっちの方向?となり…
辿り着くところも分からないでしょう
曖昧であっても演技トレーニングは
入り口も出口も分からないまま
いくらでもやれてしまいます
そして役者は
その曖昧なものに対して
尚且つ形の見えない気持ちのこと
感情のことを扱っているわけですから
ある意味曖昧だらけなのです…
ではそのままでいいのでしょうか?
尚且つ形の見えない気持ちのこと
感情のことを扱っているわけですから
ある意味曖昧だらけなのです…
ではそのままでいいのでしょうか?
何となくのまま
大まかなあちらの方向で
上手くなることを目標にしながら
演技のトレーニングをしていても
なかなか成果は出ませんよね
せっかく勉強しているのに
そうして悩んでいる方も沢山います
世の風潮としては
思考ではなく感じることが大事!
分からなくても
あまり考えないで
とにかく動いて感じてみよう!
と言われることもありますが
それはそういうときも必要な場合が
あるだけで
全てではないということです
実際問題動けば
何かしら気持ちが動くものなので
何かやった気にはなり
変われた気になる錯覚もあります
演技コーチは
共通言語や共通認識を提供出来る
明確に示すものが必要だということ
明確に示すものが必要だということ
▪️曖昧さを明確にしていくこと
▪️その明確さを示していくこと
▪️その明確さを示していくこと
▪️入り口と出口を明確に提示すること
入り口と出口が明確であるからこそ
そこが強みです
役者のためにも
明確にすることが演技コーチの
使命だと思います