(ルカ 19:44) また、あなたと、その中にいるあなたの子らとを地にたたきつけ、石の上に一つの石も残さないであろう。それは、あなたが、顧みられる時を知らないでいたからである」。


 

 

今日、私たちはキリストの福音を軽んじ、教会を嘲笑し、福音を伝える人々を無視する時代を生きています。神に敵対する人々は、あたかも自分たちの無礼な態度や行動が当然の権利であるかのように、意気揚々と振る舞います。

 

 

 

ノアの方舟建設をあざ笑う人々

 

 

しかし、聖書ははっきりと警告しています。彼らの結末は決して軽いものではなく、私たち聖徒は福音を伝える中で、彼らの反応に落胆してはなりません。

 

 

 

ヤシャルの書

 

 

聖書の中でも引用されている古代文献『ヤシャルの書(Book of Jasher)』の記録を見ると、ノアの洪水が始まる時の緊迫した場面が描写されています。

 

 

 

洪水に飲み込まれながら、方舟の前で嘆く人々

 

 

洪水がついに地を覆い始めると、ようやくノアの警告が事実であることを悟った数万の人々が方舟の前に押し寄せました。その時、ノアは彼らに向かってこのように答えました。

 

 

洪水に飲み込まれながら、方舟の前で嘆く人々

 

 

「あなた方はなぜ、120年もの間、神が伝えられた御言葉を聞かずに無視したのですか?」

 

 

 

洪水に飲み込まれながら、方舟の前で嘆く人々

 

彼らはその時になってようやく泣き叫び、悔い改めましたが、すでに恵みの門は閉じられ、手遅れでした。彼らは無理にでも方舟に乗り込もうとしましたが、神は彼らを退けられました。審判の日に、悔い改めのない嘲笑の代償がいかに悲惨であるかをよく物語っている場面です。

 

 

 

ドルイド教徒

 

 

このような歴史的教訓は、18世紀のアメリカでも繰り返されました。皆さんは「ドルイド(Druid)」という名を掲げた集まりをご存知でしょうか。本来、古代ドルイドはケルト族の司祭であり知識人階級で、自然を崇拝し、魂の輪廻を信じる汎神論的な思想を持っていました。1700年代、イギリスでロマン主義の熱風とともに彼らの精神を継承しようとする動きが起こり、その影響力はアメリカにまで及びました。

 

 

 

ドルイド教徒

 

 

ところが当時、ニューヨークのニューバーグ(Newburgh)地域には、ドルイドという名を掲げてキリスト教を露骨に嘲笑し、冒涜していた極端な無神論団体「ニューヨーク・ドルイド結社(Druidical Society)」が存在していました。有名なハミルトン牧師はこの団体について、衝撃的な報告を残しています。

 

 

 

ドルイド教徒

 

 

「36人の会員で構成されたこの団体の目的はただ一つ、『イエス・キリストを信じる信仰を妨害し、冒涜すること』でした。ある時、彼らは集まって聖書を焼き、犬に洗礼を施し、聖餐式を真似るなど、言葉では言い表せないほどの極端な神聖冒涜を犯しました。

 

 

 

ドルイド教徒

 

 

しかし、神の公義は即座に下されました。まさにその日の夜、団体の会長が激しい苦痛の中で急死し、翌朝には別の会員も息を引き取りました。それだけではありません。その後5年の間に、8人が撃たれて死に、2人は餓死し、7人は断頭台で、残りは溺死、自殺、凍死などで、36人全員が悲참な最期を遂げたのです。」

 

 

神のみことばである聖書

 

 

聖書は私たちに明白に宣言しています。

(ガラテヤ 6:7) まちがってはいけない。神はあざけられるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。

 

 

 

神のみことばである聖書

 

 

神を思いや言葉、行動で侮る人は、結局その人がまいた通りに報いを受けることになります。ですから、私たちは常に神を恐れ(Holy Fear)、その方の細やかな勧告に耳を傾けなければなりません。自分のこだわりと高慢を捨てて神を尊ぶとき、主はその豊かな知恵と知識と愛をもって、私たちの人生を最も善い道へと導いてくださるでしょう。

 

 

神様、私はあなたの助けが必要です

 

 

今日も主の御前に進み、その方の導きが必要であると謙遜に告白してください。神の慈しみ深い助けが、聖徒の皆様の人生と共にありますように。人生の険しい航路の中でも、ただ主だけに寄り頼んで勝利し、ついに永遠の天国の宴に皆が預かれることを、主の御名によって切にお祈りいたします。

 

 

(使徒 24:25, 新改訳) パウロが正義と自制と将来の審判について論じていると、フェリクスは恐ろしくなり、「今は去ってよい。折を見て、また呼ぶことにしよう」と答えた。

 

 

 

ユダヤ総督フェリクスに福音を語る使徒パウロ

 

 

私たちは人生において, 物事を先延ばしにすることが多々あります。「今すぐでなくても、また機会があるはずだ」と言い訳をし、聖霊の勧告に従うことを遅らせてしまうのです。しかし、神様が心に負担感(促し)を与えてくださったときは、即座に従うことを習慣にしてください。本日の本文に登場するフェリクス総督とその妻ドルシラは、いたずらに先延ばしにした結果、一生に一度しかなかったかもしれない救いの機会を永遠に逃してしまいました。

 

 

 

R. A. トーリー(Reuben Archer Torrey, 1856-1928)

 

 

一般にR. A. トーリー(Reuben Archer Torrey, 1856-1928)として知られるルーベン・アーチャー・トーリー(Reuben Archer Torrey, 1856-1928)牧師は、アメリカのムーディー聖경学院(Moody Bible Institute)の院長を歴任した、キリスト教界の偉大な「たいまつ」のような方です。聖霊の働きと祈りの人として有名だったトーリー牧師には、驚くべき逸話が数多く残されています。

 

 

 

シカゴにあるムーディー聖書学院

 

 

その一つを紹介しましょう。トーリー牧師がムーディー聖書学院の院長を務めていた頃、学校はしばしば財政的な困難に直面しました。ある時、会計担当者が牧師のもとに駆け寄り、切羽詰まった様子で言いました。 「先生、今すぐお金が入らなければ、明日の朝、学生たちに与えるパンさえ買えません!」 

 

 

 

R. A. トーリー(Reuben Archer Torrey, 1856-1928)

 

それを聞いたトーリー牧師は慌てることなく、静かに書斎へと入っていきました。そして数時間、ただ神様だけに祈りで縋りつきました。彼は人に助けを求める代わりに、「神の仕事は神の方法で供給される」という信仰を持っていました。

 

 

 

R. A. トーリー(Reuben Archer Torrey, 1856-1928)

 

トーリー牧師が祈りを終えて出てくると、一人の見知らぬ紳士が学校を訪ねてきました。彼は「突然、ムーディー学院に献金しなければならないという強い心の感動を受けました」と言い、多額の小切手を差し出しました。その金額は、驚くべきことに必要としていた財政額と正確に一致していました。トーリー牧師は生涯この逸話を伝えながら、「祈りは天の倉を開く鍵である」と強調しました。

 

 

 

R. A. トーリー(Reuben Archer Torrey, 1856-1928)

 

 

もう一つの逸話は、トーリー牧師がイギリスのブライトンで伝道集会を開いた時のことです。当時、トーリー牧師の集会を手伝い、その説教に大きな恵みを受けていたある信徒が、レストランで夕食をとることになりました。彼は自分に注文を聞き、給仕をしてくれるウェイターを見て、なぜか彼に福音を伝えたいという強い思いに駆られました。

 

 

 

 

R. A. トーリー(Reuben Archer Torrey, 1856-1928)

 

 

しかし、「私のような者が伝道なんて……」という思いや、場所の決まり悪さから、申し訳ない気持ちを抱きつつも食事を終えました。店を出ようとしたとき、どうしても心が痛み、「やはり一言だけでも伝えなければ」と思い直し、再び店の中へと戻りました。彼はそのウェイターが出てくるのを切に待ちました。

 

その様子を見た店主が出てきて、何を待っているのかと尋ねました。彼が自分を給仕してくれたウェイターを待っているのだと答えると、店主は悲痛な表情で言いました。 「お客さん、もう遅すぎます。そのウェイターは、あなたへの給仕を終えた後、2階へ上がって自ら命を絶ってしまいました。」

 

 

 

ユダヤ総督フェリクスに福音を語る使徒パウロ

 

 

パウロの福音を聞いたフェリクス(Antonius Felix, ? ~ ?)は、奴隷の身分からローマの総督にまで上り詰めた人物で、残酷さと貪欲さで悪名高い不義な男でした。その妻ドルシラ(Drusilla, AD 38 ~ AD 79)は、ヘロデ・アグリッパ1世の娘であり王族でしたが、代々悪名高いヘロデ家の呪いの下にいた人物でした。

 

 

ユダヤ総督フェリクスに福音を語る使徒パウロ

 

 

カイサリアの総督官邸に監禁されていたパウロ(Paul the Apostle, AD 5 ~ AD 67)は、彼らにとって最も必要な御言葉を伝えました。 「パウロが正義と自制と将来の審判について論じていると……」(使徒 24:25)。

 

今すぐ神様に従いましょう

 

 

しかし、彼らは先延ばしにし続け、パウロと同じ場所に2年間もいながら、結局、救いの道を逃してしまいました。今日、私たち一人ひとりが、神様が感動をもって勧告される導きを決して逃すことのないよう、即座に従うことで応える聖徒となることを切に願います。

 

(箴言 16:3) あなたのなすべきことを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は成功する。

 

 

 

忙しい人生の中で, 助けが必要ではありませんか?

 

 

私たちの知識や経験は, この複雑な世の中を勝利をもって生き抜くには十分ではありません。世の中には, 私たちが予測できないことや, 知っていたとしても自分の力では負いきれないことがたくさんあります。そのような世界で自分の力だけで勝とうとするのは, 非常に愚かなことかもしれません。

 

 

 

「羊が羊飼いを必要とするように、人生にはイエス様が必要です。」

 

しかし, 私たちには助けがあります。私たちの牧者である神様は, 人生の計画とすべての過程を神様にゆだねなさいとおっしゃっています。

 

 

 

フェリックス・メンデルスゾーン

(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809–1847)

 

私たちがよく知るフェリックス・メンデルスゾーン(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809–1847)は, 19世紀ドイツが生んだ世界的な作曲家であり, ピアニスト, 指揮者です。彼は9歳でピアニストとして初舞台に立ち, 10歳で作曲を始め, 10代ですでに作曲家として名を馳せました。

 

 

 

フェリックス・メンデルスゾーン

(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809–1847)

 

 

メンデルスゾーンの天才性を明確に示す例の一つが, 17歳で作曲した管弦楽のための序曲《真夏の夜の夢》です。1826年, 17歳の彼はシェイクスピアの戯曲を読み, 深いインスピレーションを受けてこの曲を書きました。驚くべきことに, この曲は単なる習作ではなく, すでに完成された大家の腕前を示していました。当時の批評家たちは, 17歳の若者が書いたとは信じられない「天才的な霊感と完璧なオーケストレーション」に驚嘆しました。

 

 

フェリックス・メンデルスゾーン

(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809–1847)

 

 

また, メンデルスゾーンは凄まじい絶対音感と音楽的記憶力を持っていました。ある日, 彼がピアノを弾いていた際, 突然オーケストラのすべての楽器の音を真似し始めました。演奏が終わると, 隣にいた友人が「楽器が一つ足りないのではないか?」と尋ねました。

 

メンデルスゾーンは少し考えた後, 「ああ, オーボエが抜けていたね」と正確に答えたといいます。このように, 彼は複雑なオーケストラの総譜をわずか数回見ただけで暗記することができ, それは指揮者として活動する際, 楽譜なしで完璧に指揮する能力の土台となりました。

 

 

 

フェリックス・メンデルスゾーン

(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809–1847)

 

 

この偉大な音楽家メンデルスゾーンが, ドイツのある小さな村の古い教会を訪れた時のことです。礼拝堂の中に巨大なパイプオルガンがあるのを見て, 演奏してみたいと思い, 管理人の老人に「少し弾かせていただけませんか」とお願いしました。しかし, 老人は不機嫌そうにそれを断りました。それでもメンデルスゾーンが熱心に頼み込むので, 老人はしぶしぶ許可しました。

 

 

パイプオルガンの演奏

 

 

メンデルスゾーンがオルガンを弾き始めると, 素晴らしい旋律が教会堂の中に溢れ, 恍惚とした空気に包まれました。演奏を終えてメンデルスゾーンが席を立つと, 驚いた老人が尋ねました。「あなたは一体どなたですか?」。「はい, メンデルスゾーンです」。それを聞いた老人は腰を抜かさんばかりに驚きました。「なんと, 私は大変な過ちを犯すところでした。これほど偉大な音楽家だとは知らず, オルガンを触らせないようにしてしまうところでした」。

 

 

 

「今, あなたの人生を神様にゆだねてください。」

 

 

今日, 私たちも, 私たちの人生を成功へと導こうと提案してくださる神様に, 自分の人生をお任せ(ゆだねる)すべきです。今日も神様の前にひざまずき, 助けを求めてください。そうすれば, 人の前にひざまずかなくてもよいようにしてくださるでしょう。

 

 

「今, あなたの人生を神様にゆだねてください。」

 

 

今日も神様の御言葉は私たちに勧告しています。 (箴言 3:6) あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの道をまっすぐにされる。

 

この約束は変わることのない, 今も生きている御言葉です。この御言葉を頼りとして, この地で勝利し, 神の国の永遠の命を享受する聖徒となられますよう, イエス・キリストの御名によって祝福し, お祈りいたします。

 

 


私たちは信仰生活を送る中で、牧師先生や教師、あるいは両親から伝え聞いた神様に満足してしまうことがあります。しかし、深い信仰の段階に到達するためには、自分自身が直接神様に出会う経験が必要です。

 

木に登ったザアカイ

 

木に登ったザアカイと、彼を呼ぶイエス

 

 

ザアカイはイエス様についての噂を聞いた後、遠くからでもその姿を見ようと、いちじく桑の木に登りました。すると、イエス様はそんなザアカイの切実な心をご覧になり、木の下から彼を呼び、直接彼の家に泊まるとおっしゃいました。

「イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。『ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、あなたの家に泊まることにしているから。』」(ルカ 19:5、新改訳)

 

 

木に登ったザアカイ

 

木に登ったザアカイと、彼を呼ぶイエス

 

 

結局、イエス様を家に迎え入れたザアカイは、過去を悔い改め、イエス様を受け入れます。その時、イエス様は次のように言われました。

「イエスは彼に言われた。『今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。』」(ルカ 19:9-10)

 

パット・ブーン(Pat Boone, 1934-)

 

パット・ブーン(Pat Boone, 1934-)

 

 

 

アメリカの往年の歌手、パット・ブーン(Pat Boone, 1934-)は、歌手としてだけでなく、作曲家、俳優、執筆家として世界的に知られる有名人であり、素晴らしいクリスチャンでもあります。彼がまだ真実な信仰を持つ前、教会には通っていましたが、ヒルトンホテルの高級ナイトクラブに招待され、時々歌を歌っていました。

 

 

パット・ブーン(Pat Boone, 1934-)

 

パット・ブーン(Pat Boone, 1934-)

 

 

彼がそこで歌う際、ホテル側は最高のもてなしをし、創業者であるヒルトン氏のスイートルームを提供しました。それだけでなく、ヒルトン氏専属の料理人が直接料理を振る舞うなど、創業者と同等の高級サービスを受けました。

 

 

パット・ブーン(Pat Boone, 1934-)

 

パット・ブーン(Pat Boone, 1934-)

 

 

ある日、いつものようにヒルトンホテルのクラブで歌い、ヒルトン氏の部屋に宿泊していた時、壁に掛かっているヒルトン氏の肖像画を見つめることになりました。ふと考えてみると、自分はヒルトン氏の部屋で寝て、彼の料理人が作ったものを食べ、彼の肖像画を眺めているけれども、まだヒルトン氏本人に直接会ったことは一度もないという事実に気づいたのです。

 

 

パット・ブーン(Pat Boone, 1934-)

 

パット・ブーン(Pat Boone, 1934-)

 

 

まさにその瞬間、パット・ブーンの心に聖霊の感動が臨み、彼は深い黙想にふけりました。その時、彼が悟ったのは次のようなことでした。「私は長い間、教会に通ってきた。それなのに、私はまだイエス・キリストに直接お会いしていなかったのだ」。パット・ブーンは、心の中で主を直接お迎えしたいという深い霊的な渇望が生まれたと、後に告白しています。

 

今日、私たちもイエス様に個人的にお会いしたいという慕い求める心を持つべきです。私たちが切に主を求める時、主は会ってくださいます。

「わたしを愛する者を、わたしも愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。」(箴言 8:17)

 

取税人のかしらであったザアカイ

 

人々に嫌われていた取税人の頭、ザアカイ

 

 

このように主に出会い、主と毎日歩む、命あふれる信仰となることを切にお祈りいたします。

 

 

(ペテロの手紙 二 3:3-5) [3] まず第一に、次のことを知っておきなさい。終わりの日に、あざける者たちがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って歩み、[4] こう言います。「主の来臨の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造の初めからのままではないか。」[5] こう主張する彼らは、次のことを見落としています(あえて忘れようとしています)。すなわち、天は古くからあり、地は神のことばによって、水から、また水を通して成り立ったのであり……。

 


多くの人は、自分の理性を超える出来事を受け入れようとしません。「すべては自分の知識の範囲内で説明されなければならない」と考えています。そのような人々にとって、聖書に記された神様の奇跡を認めることは、誠に困難なことです。

 

 

紅海を割るモーセ

 

 

ある無神論者の教師が、学生たちにこう言いました。 「聖書の奇跡は、実際に起きたことではありません。例えば、モーセが民を率いて紅海を渡った時、そこは水深がわずか6インチ(約15cm)ほどの湿地帯にすぎませんでした。奇跡が起きたわけではないのです。」

 

 

 

 

紅海を割るモーセ

 

 

すると、後ろに座っていた一人の学生が叫びました。 「その奇跡のゆえに、神様に栄光を帰します!」

 

不機嫌になった教師が「何の奇跡だというのか?」と問うと、学生はこう答えました。 「神様は、モーセとイスラエルの民を追ってきたエジプトの大軍を、すべて紅海の中に沈めて滅ぼされました。わずか15cmの深さで、あれほどの軍勢を全滅させた神様の御業こそ、本当の奇跡ではありませんか?」

 

 

 

紅海を割るモーセ

 

 

実際、私が神学校に通っていた頃、ドイツで自由主義神学を学んで帰国された教授から、これと全く同じ主張を直接聞いたことがあります。その方は聖書の奇跡を否定し、紅海の奇跡もこのような形で説明されました。

 

 

五つのパンと二匹の魚の奇跡

 

五つのパンと二匹の魚の奇跡

 

 

自由主義神学に従う一部の人々は、聖書の奇跡を「合理的」に説明しようとします。イエス様が水の上を歩かれた事件は、「実は霧の深い早朝、浜辺を歩いておられたのを弟子たちが誤解したのだ」と見なします。五つのパンと二匹の魚で5,000人を食べさせた事件も、「幼い子供の献身に感動した人々が、自分たちの弁当を次々と差し出したために皆が満腹になったのだ」と説明します。しかし、このような考え方では、聖書最大の奇跡である「イエス様の十字架の贖い」を、理性で受け入れることは到底できません。

 

 

 

紅海を割るモーセ

 

 

聖書の奇跡、すなわち神様が私たちの理性を超越して行われる御業を信じることができなければ、救いもまた起こり得ません。それゆえ、復活されたイエス様は弟子たちにこう言われました。

 

(マルコの福音書 16:15-16) [15] それから、イエスは彼らに言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。[16] 信じてバプテスマを受ける者は救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。」

 

私たちは神のことばを伝えると同時に、福音を聞く人々が悟ることができるよう、次のように切に祈らなければなりません。 「主よ、申命記29章4節の御言葉のように、彼らに見る目と聞く耳、悟る心を与えてください。」

 

今日も神様の助けにより、御言葉を信じ、その上に固く立たれる聖徒の皆様となりますよう、お祈りいたします。

 

 

 

(詩篇 127:1-2, 新改訳) [1] 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者の目覚めているのはむなしい。[2] あなたがたが早く起き、遅く休み、辛苦の糧を食べることは、むなしい。主はその愛する者に、眠りを与えてくださる。


 

主が家を建てられるのでなければ、建てる者の働くことはむなしい

 

主が家を建てるのでなければ、建てる者の労苦はむなしい。

 

 

私たちはこの世に生きながら、毎日多くのことを計画し、それを成就するために没頭します。そして、すでに成し遂げた成果をしっかりと守り抜くために努力します。しかし聖書は、私たちのこのような誠実さと努力にもかかわらず、実際に事を成し遂げ、守ってくださる力は神様にあると語っています。ですから、私たちは常に神様に依り頼まなければなりません。

 

Edgewater Beach Hotel in Chicago

 

シカゴのエッジウォーター・ビーチ・ホテル

(Edgewater Beach Hotel in Chicago)

 

 

1923年当時、世界で最も成功した経済人9人の悲劇的な晩年について、シカゴのエッジウォーター・ビーチ・ホテル(Edgewater Beach Hotel in Chicago)での集まりの話がよく語られます。

 

Charles Schwab

 

チャールズ・シュワブ(Charles Schwab)

 

 

 

彼らは当時、最大手の鉄鋼会社社長であったチャールズ・シュワブ(Charles Schwab)、

 

Samuel Insull

 

サミュエル・インサル(Samuel Insull)

 

 

 

最大の工業会社社長サミュエル・インサル(Samuel Insull)、

 

Arthur Cutten

 

アーサー・カッテン(Arthur Cutten)

 

 

最高の穀物投機家アーサー・カッテン(Arthur Cutten)、

 

Richard Whitney

 

 

リチャード・ホイットニー(Richard Whitney)

 

 

 

ニューヨーク証券取引所理事長リチャード・ホイットニー(Richard Whitney)、

 

Albert Fall

 

アルバート・フォール(Albert Fall)

 

 

 

アメリカ政府の閣僚の一人であったアルバート・フォール(Albert Fall)、

 

Jesse Livermore

 

ジェシー・リバモア(Jesse Livermore)、

 

 

 

ウォール街で「偉大なる熊」というあだ名で呼ばれたジェシー・リバモア(Jesse Livermore)、

 

Ivar Kreuger

 

イヴァール・クルーガー(Ivar Kreuger)、

 

 

世界最大の専売事業「マッチ・キング」の最高責任者イヴァール・クルーガー(Ivar Kreuger)、

 

Leon Fraser

 

レオン・フレイザー(Leon Fraser)

 

 

そして国際決済銀行総裁のレオン・フレイザー(Leon Fraser)らであり、ガス会社社長のハワード・ホプソン(Howard Hobson)もこのリストに含まれていました。

 

 

写真はイメージです。実際の内容とは関係ありません

 

 

しかし、25年が経過した1948年に、ビリー・ローズという人物がこれらの人々の状況と行方を調査して発表しました。鉄鋼会社のシュワブは破産し、晩年を苦しみの中で過ごして亡くなりました。工業会社のインサルは法の網を逃れて外国へ亡命し、一文無しの乞食として死にました。ガス会社のホプソンは精神を病んでしまいました。

 

穀物投機家のカッテンは支払不能の破産者として外国で亡くなり、ニューヨーク証券取引所理事長のホイットニーは、重犯罪者のみが収容される恐ろしいシンシン刑務所に収監され、服役後に釈放されました。閣僚の一人であったフォールは刑務所から特赦でようやく釈放されましたが、間もなく自宅で亡くなりました。ウォール街の大物リバモアは自ら命を絶ち、専売会社社長のクルーガーも自殺、国際決済銀行総裁のフレイザーも自らこの世を去りました。

 

 

主が家を建てるのでなければ、建てる者の労苦はむなしい。

 

 

私たちは世を生きる中で、何かを成し遂げて財を蓄えたり、地位を享受したりすることに過度に集中し、そのような権威や機会が神様から来るものであることを忘れてしまうことが多々あります。今日、ソロモンは「神様が家を建て、町を守ってくださる時に、その家と町は保存される」と語りました。ですから、世の事に飛び込む前に、まず神様の前に膝をつき、その助けを求める知恵ある聖徒とならなければなりません。

 

 

内容を要約したイメージ写真

 

 

今日の2節の御言葉をもう一度読みましょう。 [2] あなたがたが早く起き、遅く休み、辛苦の糧を食べることは、むなしい。主はその愛する者に、眠りを与えてくださる。

 

このように、神様と共に歩み、主の助けをいただく者が最も知恵のある者です。今日も主と共に歩むことで、真の勝利を収める聖徒の皆様となりますよう、主の御名によって祝福いたします。

 

 

(ヨハネ 3:17-18, 新改訳) [17] 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。 [18] 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。

 

 

 

警告 (けいこく)

 

 

私たちは人生において、しばしば警告を受けることがあります。健康診断で医師から警告を受けることもあれば、運転中に車の警告灯や整備士から警告を受けることもあります。

 

 

 

警告 (けいこく)

 

 

また、資産を運用する銀行のプライベートバンカー(PB)から警告を聞くこともあるでしょう。これらの警告を無視すれば、大きな災難に見舞われることになります。しかし、最も重要なのは、私たちの永遠の命のための「聖書の警告」です。

 

 

South Fork dam

 

サウスフォーク(South Fork)ダム

 

 

1888年、アメリカ・ペンシルベニア州のサウスフォーク(South Fork)ダムを調査した技術者たちは、その下流にある町、ジョンズタウンの住民に警告しました。「この上にある貯水ダムは安全ではないので、移住したほうがいいでしょう。」しかし、町の人々は耳を貸さず、鼻で笑いました。

 

South Fork dam

 

サウスフォーク(South Fork)ダム

 

 

その年の秋、別の調査団が来て再び警告しましたが、結果は同じでした。「起こるかどうかもわからないことではないか。私たちを怖がらせて、住み慣れた故郷の家を離れさせることはできない。」しかし、最後の警告から半月も経たない1889年5月31日、そのダムは決壊し、崩壊してしまいました。このダムの崩壊により、ジョンズタウンの住民のうち2,200人が瞬く間に命を落としました。

 

 

Johnstown Flood

 

(Johnstown Flood)

 

 

これはアメリカ史上、大洪水事件(Johnstown Flood)として記録されています。繰り返される警告と勧告を受けながらも、従わずに固執した人々は、ついに取り返しのつかない滅びと死を迎えることになったのです。

 

 

栄山江(ヨンサンガン)の洪水

 

韓国の栄山江(ヨンサンガン)の洪水

 

 

韓国でも1989年7月27日、羅州市(ナジュシ)栄江洞(ヨンガンドン)の栄山浦(ヨンサンポ)駅前にある栄山江(ヨンサンガン)の堤防80メートルが崩壊しました。

 

 

栄山江(ヨンサンガン)の洪水

 

韓国の栄山江(ヨンサンガン)の洪水

 

 

栄江洞の住宅街は瞬く間に浸水し、320世帯・1,700人余りの住民が建物の屋根などに緊急避難したり孤立したりするなど、8つの地域で1,900人余りが危険にさらされました。もともと栄山浦は、水害のたびに市街地全体が浸水する常習水害地域でした。しかし、この時の被害は、頑丈だと信じていた堤防が突然決壊し、一気に川の水が流れ込んできたために起こりました。

 

 

栄山江(ヨンサンガン)の洪水

 

韓国の栄山江(ヨンサンガン)の洪水

 

 

ところが、被害者の中にある一人の老人がいました。避難の警告放送を聞いて家族全員が避難しようとしているのに、「この町に70年住んでいるが、洪水になったことなど一度もない」と言い張り、まとめた荷物を再び解いて、最後まで夫婦で残っていたところ、惨事に遭ってしまいました。経験による先入観が、自分自身はもちろん、妻までも死に至らしめたのです。誠に痛ましいことではありませんか。助かる道が明らかにあり、警告も聞いていたのに、それを無視したために亡くなってしまったからです。

 

聖書を大きく要約すれば、「滅びに対する警告」と「救いの道の紹介」で構成されていると言えます。神様は、すべての人が救われ、永遠の命を享受することを願っておられます。

(テモテへの手紙 第一 2:4, 新共同訳) 神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。

 

聖書が与える驚くべき救いの警告を決して逃さず、固く握って永遠の命という贈り物を受け取る聖徒となられることを、主の御名によってお祈りいたします。

 

 

 


(箴言 25:11-12, 新改訳) [11] 適切に語られる言葉は、銀の彫り物にはめられた金のりんごのようだ。 [12] 聞く耳のある人にとって、知恵のある叱責は、金の耳輪、純金の飾りのようだ

 

 

 

 

私たちは人生において数多くの言葉を発します。しかし、常に自分が「適切な言葉」を発しているかどうかを振り返らなければなりません。

 

 

 

 

なぜなら、私たちの言葉は、ある人を慰めて生かすこともあれば、あるいは誰かを傷つけて死に至らしめることもあるからです。私たちは知恵のある言葉を発することができるよう、神の助けを求めなければなりません。

 

 

 

預言者イザヤはこのように告白しました。

(イザヤ 50:4, 新共同訳) 主なる神は、弟子の舌をわたしに与え、疲れた人を言葉で励ます方法を教えられた。

 

 

今日も、知恵に満ちた神の御言葉によって人々を慰め、生かす聖徒(信徒)となられることをお祈りいたします。


 

 

侍者

 

 

ユーゴスラビアの小さな田舎町にあるカトリック教会で、日曜のミサの際に神父を手伝っていた一人の少年がいました。ある日、ミサが終わった後、神父の祭服を素早く脱がせなかったという理由で、神父から屈辱的な言葉を投げつけられ、頬を打たれました。それ以来、彼は生涯二度と教会に足を踏み入れることはありませんでした。この少年は成長し、ユーゴスラビアの共産主義指導者、チトー大統領となりました。

 

共産指導者 ヨシップ・ブロズ・チトー

 

ヨシップ・ブロズ・チトー

(Josip Broz Tito, 1892-1980)

 

 

その少年の名は、ヨシップ・ブロズ・チトー(Josip Broz Tito, 1892-1980)でした。

その一方で、別の大きな街のカトリック教会でミサを手伝っていた少年が、やはり聖餐用のワインの器を落としてしまいました。

 

 

 

侍者

 

 

しかし、その時の神父は、理解と慈愛に満ちた眼差しで彼を見つめ、静かにこう囁きました。 「お前は将来、素晴らしい神父になるだろう。」 

 

 

Archbishop Fulton Sheen, 1895–1979

 

フルトン・シーン

(Archbishop Fulton Sheen, 1895–1979)

 

 

その少年は、この言葉通りに成長し、後にアメリカカトリックの有名な大司教、フルトン・シーン(Archbishop Fulton Sheen, 1895–1979)となりました。

 

 

Josip Broz Tito, 1892-1980

 

ヨシップ・ブロズ・チトー

(Josip Broz Tito, 1892-1980)

 

 

チトーは言葉によって傷つき、神の祭壇の前から去って神をあざ笑う共産主義の指導者となり、シーンは言葉によって慰められ力を得て、神に仕える尊い働き人となりました。

 

 

今日も私たちは毎日、多くの言葉を口にしています。私の口からは、どのような言葉が流れ出ているでしょうか。それを思うと、恐れを抱かざるを得ません。詩編の記者は神にこう求めました。

詩編 141:3, 新改訳) 主よ。私の口に番人を置き、私の唇の門を守ってください。

 

 

また、神様は私たちの唇の告白通りに祝福してくださる方です。イスラエルの民が荒野で不平不満を漏らしたのを聞かれた神様は、こう仰いました。

(民数記 14:28, 新共同訳) 彼らに言いなさい。「主は言われる。わたしは生きている。わたしは、お前たちがわたしの耳に語りかけた言葉どおりに、お前たちに対して行う。」

 

Joshua and Caleb

 

ヨシュアとカレブによる信仰の宣言

 

 

結局、ヨシュアとカレブは自分たちの告白通りにカナンに入り、残りのイスラエルの民は自分たちの告白通りに荒野で死にました。今日、私たちはどのような告白をすべきでしょうか。

 

 

"In God We Trust"

(私たちは神を信じる)

 

 

アメリカの通貨には、1セント硬貨から1,000ドル札に至るまで、すべてに "In God We Trust"(私たちは神を信じる)という言葉が刻まれています。

 

 

 

ペンシルベニア州のマーク・ワトキンソン

(Mark R. Watkinson, 1824-1877)牧師

 

 

 

これは南北戦争の困難な時期に、ペンシルベニア州のマーク・ワトキンソン(Mark R. Watkinson, 1824-1877)牧師が、当時のリンカーン大統領の下で第25代財務長官を務めたサーモン・ポートランド・チェイス(Salmon Portland Chase, 1808-1873)氏に提案し、議会が承認して実現したものです。

 

 

 

"In God We Trust"

(私たちは神を信じる)

 

 

このような告白を通じて、米ドルは世界の基軸通貨となる驚くべき祝福を受けました。今日、私たちも信仰の告白を通じて、物質的な祝福はもちろん、永遠の命の約束を固く握りしめる聖徒となられることを切にお祈りいたします。

 

 

(マタイによる福音書 11:12、現代訳) バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天の国は激しく攻められています。そして、攻める者たちがそれを奪い取っているのです。

 

私たちは人生を歩む中で、「熱心さ」がいかに重要であるかを経験します。あらゆる物事には情熱が必要であり、その情熱は多くの歴史を変えてきました。しばらくの間だけ生きて去っていく旅人のような人生においても熱心さが必要であるならば、永遠の天国のために熱心さが必要であることは、言うまでもありません。永遠の生命は、何物にも代えがたいほど重要だからです。

 

Thomas Alva Edison, 1847-1931

 

トーマス・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847-1931)

 

 

 

アメリカの発明家トーマス・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847-1931)が白熱電球を発明した際、彼は数多くの実験で失敗しましたが、決して諦めませんでした。エジソンは電球に使うフィラメント(芯)を見つけ出そうと、部下たちを中国、日本、南米、アジア、ジャマイカ、セイロン(スリランカ)、ビルマまで派遣し、草や繊維などを持ち帰らせては、実験を何度も繰り返しました。

 

 

Thomas Alva Edison, 1847-1931

 

トーマス・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847-1931)

 

 

エジソンは鉄、白金、毛髪、竹など、6,000種類以上の物質で実験を続け、ついに1879年、炭化させた綿糸のフィラメントを用いた実験で成功を収めました。その電球は40時間以上灯り続け、ろうそく30本分に相当する光を放ちました。その後、エジソンはフィラメントを炭化させた竹の繊維に改良し、1,200時間以上持続する白熱電球を実用化することに成功し、長く輝き続ける電球を誕生させたのです。

 

 

Luther Burbank, 1849-1926

 

ルーサー・バーバンク(Luther Burbank, 1849-1926)

 

 

また、豆、きゅうり、りんご、トウモロコシ、ジャガイモ、桃、そして多くの草花の改良種を生み出したアメリカの偉大な植物学者ルーサー・バーバンク(Luther Burbank, 1849-1926)も、実験中に困難に直面しても決して諦めませんでした。

 

 

Luther Burbank, 1849-1926

 

ルーサー・バーバンク(Luther Burbank, 1849-1926)

 

 

 

バーバンクは特にトゲのないサボテンを開発するなど、改良植物を得るために数え切れないほどの交配と実験を重ね、時には6,000回を超える実験を自ら行うこともありました。その結果、数多くの改良植物を生み出し、世の中に多大な利益をもたらしました。

 

 

George Westinghouse, 1846-1914

 

ジョージ・ウェスティングハウス

(George Westinghouse, 1846-1914)

 

 

 

さらに、アメリカの有名な電気製品会社ウェスティングハウスを設立したジョージ・ウェスティングハウス(George Westinghouse, 1846-1914)の最大の功績の一つは、列車に使用する空気ブレーキを発明・製作したことです。当時は長い列車のブレーキ全体が均等に作動せず、多くの事故が起きていました。

 

 

George Westinghouse, 1846-1914

 

ジョージ・ウェスティングハウス

(George Westinghouse, 1846-1914)

 

 

 

ウェスティングハウスが空気ブレーキを発明しようと心血を注いでいた時、人々は彼を狂人扱いしてあざ笑いました。「どうやって空気で鉄の塊である列車を止めるというんだ? 馬鹿げた話だ」しかし、ウェスティングハウスは粘り強い研究を通じて、ついにそれを成功させたのです。

 

 

今日、イエス様は「天国も激しく攻める(侵略する)者が奪い取るものである」とおっしゃいました。神の国に入るためにも、私たちの熱心さが必要であるということです。天国に至る道は険しいものです。イエス様も「狭い門、狭い道」と比喩で語られました。

 

しかし、その報いは永遠の命です。毎日天国を慕い求めながら熱心に励み、辛く苦しい時でも決して信仰を捨てずに固く握りしめ、ついに天国を手にする聖徒となられますよう、お祈り申し上げます。

 

 

(ヘブライ人への手紙 4:13、共同訳) 創造されたもののうち、神の御前に現れないものは一つもなく、神の目にはすべてが裸であり、覆い隠されていません。私たちは、やがてその方から裁きを受けなければならないのです。

 

上司ポティファルの妻の誘惑を振り切るヨセフ

 

ポティファルの妻の誘惑を退けるヨセフ

 

 

聖書に登場する神の人々は、この世に生きながらも、あらゆることにおいて神の御前に立っているかのように慎重に生活しました。兄たちに売られて故郷을離れ、エジプトで奴隷として仕えたヨセフは、神を信じる人がほとんどいない異邦の地にあっても神を思い出し、すべてのことに注意を払いました。ある時、主人ポティファルの妻が彼を誘惑した際、ヨセフはこう言いました。

 

(創世記 39:8-9、新共同訳) [8] ヨセフは拒み、主人の妻に言った。「ごらんのとおり、主人はこの家のすべての財産を私に任せ、何も関与していません。[9] この家には私より偉い者はいません。主人は、あなただけを例外として、何も私に禁じていません。あなたは主人の妻だからです。そのようなことをして、どうしてこの大きな悪を行い、神に対して罪を犯すことができましょうか。」

 

 

上司ポティファルの妻の誘惑を振り切るヨセフ

 

ポティファルの妻の誘惑を退けるヨセフ

 

 

このように、ヨセフは人が見ていなくても、神の御前で聖なる生活を送るよう努めました。今日私たちも、常に神を心に留め、言葉と行動に注意を払う信徒となるべきです。

 

 

Hugh Latimer, 1487–1555

 

ヒュー・ラティマー(Hugh Latimer, 1487–1555)

 

 

イギリスのケンブリッジにあるクレア・カレッジの教授であり、宮廷牧師として働いたヒュー・ラティマー(Hugh Latimer, 1487–1555)は、王室礼拝で説教に出かける前に、常に自分自身にこう言い聞かせていました。

 

「ラティマーよ、ラティマーよ、お前は今、権力があり、位の高い国王ヘンリー8世(Henry VIII, 1491~1547)の前で話すことになる。国王はお前の命を一瞬で処分できる方だ. だからラティマーよ、お前は言葉に注意しなければならない。しかしラティマーよ、お前は何よりも、王の王であり、主の主であるその方が見ておられる前で話していることも忘れてはならない。お前は、その方をがっかりさせないように話さなければならないのだ。」

 

 

Hugh Latimer, 1487–1555

 

ヒュー・ラティマー(Hugh Latimer, 1487–1555)

 

 

 

このように、ラティマーはヘンリー8世の宮廷牧師として働きながら、王の前でも自らの信念を曲げない勇敢な説教者として有名でした。彼の度胸ある態度に関する逸話があります。ある時、ラティマーは説教中に王の機嫌を損ねるような内容を強く説きました。激怒した王は、次の週の説教でその内容を撤回し、謝罪するように命じました。

 

 

Hugh Latimer, 1487–1555

 

ヒュー・ラティマー(Hugh Latimer, 1487–1555)

 

 

これに対しラティマーは機知に富んだ対応をしました。次の週、ラティマーは教壇に立ち、王の命令について語った後、しばらく沈黙し、「ヒュー・ラティマー、お前は異端者なのか? それとも真理を説く者なのか?」と、まるで自分自身に問いかけるように言いました。そして大声で、「ヒュー・ラティマー、神を恐れ、この世のどんな王よりも王の王を恐れなさい。

 

 

 

Hugh Latimer, 1487–1555

 

ヒュー・ラティマー(Hugh Latimer, 1487–1555)

 

 

王にあなたの真理を宣べ伝えなさい!」と叫びました。このラティマーの態度に対し、ヘンリー8世は驚くべきことにこの大胆さに感銘を受け、彼を罰することなく、むしろ恩恵を与えたと伝えられています。

 

 

 

「わたしはすべてを見ている」ー 神

 

 

今日、多くの人が神が存在しないかのように話し、行動しています。しかし、いつか私たちは皆、神の御前で、自分たちがしたすべての言葉と行動について説明し、裁きを受けることになります。

 

(ローマの信徒への手紙 14:11-12、リビングバイブル) [11] これに関して聖書にはこう記されています。「主が言われる。『その日、すべての者がわたしの前にひざまずき、すべての舌が神を告白するだろう。』」[12] そうです。その時が来れば、私たち一人ひとりが、自分のことをすべて神に包み隠さず告白しなければならないでしょう。

 

 

恐れと戦慄をもって、あらゆることにおいて神を覚えながら生き、常に神の喜びとなる信徒となられますよう、主の御名によってお祈り申し上げます。