No. 1,225 こころのメモ974(ACアダルトチルドレン札幌
212/365 私が私を守る
アダルトチルドレン(AC)は、
親からじゅうぶんな
愛情を与えてもらえなかった
だから、
大人になってから
○ 愛情を基本とした
○ 愛情を通じた
○ 愛情がキーワードとなるような
☆肯定的なコミュニケーションが
・できない
・わからない
・嫌い
・怖い
このような反応を示す場面があります。
そこで今回は、
あるクライエントさんが
語ってくださったことに
ヒントを得て
了承をいただいて
話してみたいと思います。
『私が私を守る』
このような
自分とのかかわり方が
できないため、
肯定的なコミュニケーションに
困難さを感じるアダルトチルドレン(AC)。
「私が私を守るってどういうこと??」と
腑に落ちない人もいるかと思います。
そうですね、
前提とした
"親からじゅうぶんな
愛情を与えてもらえなかった"を
思い返していただくと、
少し理解に近づけるかもしれません。
ヒントをくれたクライエントが言います
「私は、両親から十分な愛情を与えてもらえたとは思えなくて、ずっと30年以上生きてきました。それにショックなことは、親が私を守ってくれず、見捨てたことです。私には、デキの良い兄と姉がいます。世間的には高学歴で高収入。二人とも結婚して子に恵まれ持ち家。高級車も持ち年に一度は海外旅行。流行りの投資もして堅実で資産も増えていく。一方で私は…父は他界していなくて母とふたり暮らし。母はまだ働いています。教師です。私は…フリーターです。何でしょうかこの格差は。私には交際相手すらいないし、なんなら付き合ったのは一回だけ。ちょっと何言ってるのかわからない人だったからすぐに別れて以来十数年。母は何も言いません。同居していますが、平日ほとんど顔を合わせることはなく、たまに週末に一緒に買い物に行くくらい。でも、それが苦痛です。母は普通に喋るはずなのに、助手席でほとんど話しません。申し訳ないから出先で支払いしようとすると母がクレカで済ませてしまう。側にいるのにとても遠い存在な気がして、私は緊張して話せません。言いたいことは無限にあるのに…幼い頃からずっと放っておかれた気がして上ふたりに手をかけていたからわかるけど、私はデキが悪くて荒れたりもしたけど、母は変わらなくて毎晩のように出歩く私の帰りを寝ないで待ってた。末っ子で素行悪いなんて生まれてこなければよかった…一度だけキレて暴言吐いて母に言ったら、ビンタされました。あんな母の顔はあのとき一度だけ。私何やってるんだろう」
側にいるのに遠い存在なように感じる母
守ってはくれず見捨てられたと思っている
「頭ではわかっているんです。いい加減、自立しなきゃって。でも、なんか私だけ愛情を与えてもらえなかった気がして、心底損してるような不公平感が拭えなくて、いつも頭の中は母でいっぱいなんです…おかしいですよね、歳だけとって30すぎてオバさんになって、まだ経験したことないし女としても人としてもなんか子供のままなんですよね…何人かいる友達はみな所帯もってるから会話についていけないし、私何やってるんだろう…私このまま誰にも守ってもらえずに愛情も与えてもらえずに、人の温もりを知らないままお婆ちゃんになるんだろうか…それも仕方ないのかな」
担当心理カウンセラー
村上なおと
カウンセリングサロン Anela
札幌市中央区北3条西18丁目2-11 ブランノワールW18.exe 301号
・地下鉄東西線の西18丁目駅より徒歩8分
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・整理をして、これからのことを考えます
・短期的な悩みの解決策を決めます
・必要なら、長期的な悩みの解決策も決めます
(ご予約受付時間:10時〜21時)
☆
「[私は]人生を幸せで快くしうるさまざまなものに囲まれているというのに、それでも私には喜んだり感じたりする能力が欠けています。・・・・・・私の感覚のそれぞれ、私の本来の自己の各部が、いわば私から切り離され、もはやどのような感情も抱かせてくれないかのようです。この状態は、自分の頭の前部に感じる空白に拠っているようであり、自分の体の全表面における感覚能力の鈍麻のせいのように思えます。なぜなら、私は自分が触れるものに、実際にはけっして手が届いていないように思えるからです。これはみな、些細なことなのでしょうが、恐ろしい結果を伴うので、そうも言えません。他のどのような感情も、どんな種類の楽しみも、私がそれを必要とし、望んでいるにもかかわらず不可能であり、人生を計り知れぬ拷問に変えてしまうという結果です」
ウィリアム・ジェイムズ『情動とは何か』1884年 W.James,"What Is an Emotion?"Mind 9:188-205.
ベッセル・ヴァン・デア・コーク「身体はトラウマを記録する」p150より抜粋
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人格の統合性とは死に直面しても人生の価値を肯定しうる能力であり、自己の人生の限界の有限性と人間の条件の悲劇的限界と和解する能力であり、絶望なくして現実がそういうものであることを受容する能力である。
人格の統合性は対人関係における信頼をそもそもその上につくった土台であるが、いったん砕かれた信頼をとりもどす土台でもある。
ケア提供的な関係における人格の統合性と信頼との緊密な相互関係は、世代から世代へと引き継がれる鎖の輪のつながりを完全なものにし、外傷が破壊する人間のコミュニティ感覚を再生させるものである。
ジュディス・L・ハーマン 「心的外傷と回復」p240より