趣味の音楽をともにしている友人と今回の選挙結果について話をしていたら、突然、「今の選挙制度では、選びようがありませんね。」と言う。

 

すかさず、私は、

 

「そうですね。現在、世界で拡大した選挙制度は、一世紀以上も昔、欧米で開発されたもので、大半の有権者が文字を書けないような知的レベルを前提としていますから。」と答えた。

 

日本の現状で言えば、立候補者の中、誰が誰だか、政党名のない無所属も、最近は多くなっているし、選挙のチラシを貰っても、有権者の多くは、深くチラシを読んでいるわけではない。

 

ある衆院議員と有権者との小さな集会で、「選挙前に、立候補者と面談してからでないと、絶対に投票しない。」という人がいて、驚いたことがあるが、

 

この方は、企業経営者であり、直接面談しなければ、人物を理解・評価できないとの確信があったのである。

 

今回の選挙結果では、自民党が過半数を維持したことが大きいが、得票数から計算すると全有権者数の26%程度で支持率3割もない。

 

原因は、投票率が、54%と低いからであるが、組織票のある自民党は、投票率が低い方が有利とされる。

 

昨年来からのコロナ感染状況を見ての通り、日本列島に住む我々は、非常に他民族とは、異なっている。

 

平均的に暗算・計算が早く、手先が器用で、華道や水墨画などでは、アンバランスに美を認める。

 

先を読む力があって、準備が早い。

段取りと終わりが綺麗である。

 

人間の集合体として、空気をどことなく感じて、全体としてモーティベーションが高くないとなると、各自、行動に抑制を効かせ、投票でさえ、他者に任せる。

 

集合体としての知能が高いので、「そこまでやらずとも」と感じると、行動しない。

 

投票率が低いとしても、

有権者間で、色々な意見はあるものの、

総じて他人の判断力を信頼しており、

 

「投票する皆さんは、それなりに、きちんと考えてくれる。」と思っている。

 

アメリカでの経験であるが、小学校の父母の集会で、「私は、聖書以外は、読まないので、知らないのですが、・・」と

宗派にもよるのだろうが、自分の無知を誇る人がいる。

 

自らの無知を誇る米国人に対して、

日本人で自らを無知と思う人は、総じて、謙虚・控えめである。

 

アメリカ大統領選のニュースで、真剣に自分の一票の大切さを強調している有権者の発言を聞くことがあるが、

 

各州で何十万~百万人の有権者投票がある中、自分一人の票が重要でないことは、数学的に明らであるが、その事実を理解していないようである。

 

選挙中、政策に関して意見のある有権者に、全く発言の機会を与えない限り、立候補者は、学ぶことがない。

 

実際、私のところに衆議院議員立候補者が、自ら挨拶に来ることがあるが、彼は、自分のチラシを出すだけで、全く私と議論しない。

 

つまり、顔を見せる挨拶と握手が、選挙運動だと思っているように見える。

 

落選した立候補者の反省は、握手の数が少なかったことであって、主張した政策内容に関してではないだろう。

 

市会議員のチラシを見ると、

 

a. ある人は、コロナ感染症対策を語り、

b. ある人は、高齢者のための補助金バス、また、

c. 他の人は、貧困家庭の子供達への食事会の充実

 

を提案している。

 

「リンゴとオレンジを比較せよ!」と言われても、元より論理的に不可能ではないか。

 

国会議員レベルでも、

学歴詐称、経歴詐称、さらに国籍偽装までありで、いったい選挙に公正さを求める意思は、どこにあるのかと言わざるを得ない。

 

今度の国政選挙では、「日本維新の会」が、議員数を増やしたが、若い吉村市長の効果だと聞く。

 

それに、強面の松井議員が話すと「何か難しいことをしてくれそう。」なので、有権者にアピールしたのだろう。

 

必要なところに財政を拡大し、GDPに十分新規通貨を注入して、皆が金持ちになれば、それは、国家経済発展の正しい姿なのだが、日本維新の会の彼らは、理解できているだろうか。

 

地域経済の中、特に大阪市などの地方自治体の経営を、企業経営と同じようにコスト削減一直線では、正規公務員が減り、働く人々が貧困になり、地方経済全体が、疲弊していく。

 

日本の国家経済の長期影響を考えたとき、諸外国と比して少ない政治家の数の削減や給与削減、さらに公務員の非正規化・リストラをアピールポイントとしているのは、単に頭の悪い勘違い政策である。

 

日本国民は、皆、全体に努力家で誠実である。

 

ある時、国民一世帯平均の貯蓄額が、1000万円だったとしよう。

 

中央政府も地方自治体も、財政健全化などと厳しいことを考えず、教育、環境、インフラなどの整備予算を必要なだけ盛り込めば、円通貨の巡りが良くなり、20年後、国民平均貯蓄額が、現在の3倍、3000万円になったとしても不都合はない。

 

困るようなインフレにさえならずにおれば、世帯の平均貯蓄額が、やがて5000万円、1億円、さらに、3億円、5億円と膨らんでいくことが、経済的に豊かになるという意味である。

 

必死になって少ない通貨の取り合いをするのでなく、

循環通貨量(GDP)を増加させ、国民皆に貯蓄が増加し、安心して多額のお金を日々使えることが、豊かな国ということである。

 

モンゴルで大臣経験者のいるグループと選挙での体験について議論していたら、

 

大臣経験者が「有権者の状況や意見を理解していては、選挙では、何も言えなくなってしまうので、有権者を理解しない方が、選挙戦に有利」だと言う。

 

聞いて驚いたが、現状の選挙制度では、この発言に合理性があるのかも知れない。

 

つまり、有権者のことは一切考えることなく、自分が決めた政策を、時間の許す限りまくしたてる立候補者が、有利に選挙戦を戦うのだ。