小学校長として敗戦を迎えた私の祖父は、GHQの指導内容に怒り、村長になった。

 

子供の頃の私に母が教えたことは、先生とでも対等に討論するようにと言うことだ。

 

母の言葉の端々には、GHQの指導を批判もなく従った戦後日本の学校教師に対する祖父の憤慨が、含まれていた。

 

そのような育てられ方をしたためか、私は、海外での仕事や国際会議に出ても、いつでも質問し、反論もする。

 

対して、日本人専門家の殆どは、国際会議に出ても黙って外国人の意見を聞き、少しでも、良いアイデアがあれば、自分の報告書に入れ込む。

 

議論することが、互いに学び合うことと、育てられている欧米人から見ると、日本人専門家は、議論もせず、他人のアイデアを盗む卑怯者である。

 

(日本人同士で議論できないのは、言葉の使い方が未熟であることに加え、反対=人格否定ととらえる人もあり;鍛え方不足である。)

 

ある時、米国でPhDを取得し、世界銀行を経て日本の大学で教えていた日本人女性と仕事をした折に尋ねたところ、

 

彼女の答えは、「日本人ってそんなものよ!」だった。

 

日本語での対話は、独特である。

 

丁寧さや礼儀が必要であることは、どこでも同じだが、加えて、相手の気持ちを考えてから、話をする必要がある。

 

そのため、国内では、忖度が問題になる一方、外人観光客に対しては、世界一の「おもてなし」が生まれる。

 

しかし、バランスのとれた国際関係のためには、対話できる人材が、必要である。

 

英語で対話する能力があれば、2021年来のコロナワクチンの輸入契約にしてもLGBT法案の対応も、全く違ったのではないかと思う。

 

米国のBusiness Schoolなどでは、正解のないケースの議論が授業である。

 

私が学んだDarden Business School のスケジュールは、毎晩5名ほどのグループ・スタディ「小さな会議」と

 

授業では、60名ほどのクラス「大きな会議」;両方で日々数時間の議論である。

 

教えているのは、知識ではなく、思考することと議論である。

 

度々、書物から多くの知識を得た日本人がいるが、内容を聞くと、知識は、誇るが、思考不十分で自分の言葉がない。

 

1931年、満州事変の首謀者であった石原莞爾は、戦後、証人として東京裁判で反論した。

 

(満洲国建国では、彼は、「五族協和」を掲げ、日米決戦に備えるため、満洲国を、満洲人自らに運営させ、アジアの盟友を育てようとしていた。)

 

戦後の東京裁判;

 

病床の石原に尋問するため、特設した山形県酒田の出張法廷では、

 

「歴史をどこまでさかのぼって戦争責任を問うか?」と尋ね、「およそ日清・日露戦争までさかのぼる。」との回答に対し、「ペリーをあの世から連れてきて、この法廷で裁けばどうだ。

 

もともと日本は鎖国していた。日本に帝国主義を教えたのは、欧米諸国だ。」との持論を披露した。

 

私たちは、彼の姿勢を劇にして学ぶべきかも知れない。

 

沈黙は、存在しないことと同じである。

 

自国(自分)の利益を擁護する日本人の育成が、急務である。

 

以下は、第2次大戦時、真実味のある英国首相チャーチルの回想である。

 

「日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。

 

反論を期待して、もう一度、無理難題を要求すると、これも呑んでくれる。

 

すると英国議会は、いままで以上の要求をしろという。

 

そこで、無理を承知で要求してみると、笑みを浮かべていた日本人がまったく別人の顔になって、

 

『これほど、こちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない』と突っかかってくる。

 

英国は、1941年、マレー半島沖合いで戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。

 

日本にこれ程の力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。」と。

 

日本の内と外。各々で異なった思考回路を使えるようにしておくべきである。

 

何世紀にもわたり、世界で欧米人が、拡大してきた制度や法律の裏には、意図があることを理解する必要がある。