渡辺 穣二 の『組織は「人」、されど評価は「仕事基準」』

渡辺 穣二 の『組織は「人」、されど評価は「仕事基準」』

旧ソ連、アジア、アフリカ、日本国内でコンサルティングをしています。「人基準」「仕事基準」と言う概念の圧倒的な力、それが、組織経営において、どのように役立つかを、少しづつアップします。http://iedi.org/across/ 

私は、経営コンサルタントです。

10年間、外資系石油会社の技術者として仕事をした後、通産省外郭の社団法人海外コンサルティング企業協会に入り、その後、米国でMBAを取得し、ボストンコンサルティンググループの創始者、James C. Abegglen氏と共に主に欧米豪の外資系企業にコンサルティングをしました。

若い頃、開発途上国への国際援助が不正取引になったり、逆に経済の自立を妨げるケースも見て、愕然となったことがあります。

しかし、その後、コンサルティングによる効果は、非常に大きいものがあると思うようになりました。

前田卓三(元 PwC Japan会長)が、1990年代から提唱してきた「仕事基準」「人基準」という概念が、国内だけでなく旧ソ連でもアフリカでも、大きな改善をもたらします。

カザフスタンでは、米サブプライムローンの悪影響で2007年末頃から、建設ブームが終わり、多くの建設会社の倒産が始まりました。一時不動産価格が100倍にもなった後で、たいへんな急変です。

しかし、私の顧客企業は、建設業からエンジニアリングに転換し、見事に再生しました。「仕事基準」の哲学を適用、経験のなかった営業にも力を入れた結果、多くの従業員の給与を4倍にできたのです。

また、ロシアの顧客企業は、アルコール中毒などで毎年20%の従業員が退職していたのですが、組織全体に高いモーティベーションが生まれ、生産性が倍増しました。

「仕事基準」の哲学が、仕事には「やり甲斐」、人生に「生き甲斐」をもたらしたのです。ソ連社会の真の問題は、顧客概念の欠如だったと思います。

モンゴルでは、数千人規模の会社で、毎年6-7割の従業員が、転職していくのが悩みでしたが、「仕事基準」の哲学を入れたことで、転職率を3分の1に減じることができました。

「従業員を信じられる」と気付いた経営者は、打って変わって柔和な表情になりました。

仕事への正当な「仕事基準」評価を導入すれば、従業員には生きがいが生まれます。かつて社会主義で報酬への評価軸が、不健全であった組織でも、命を得ます。

「仕事基準」は、一定のリスク内での失敗を許し、挑戦できる組織文化を作ります。

経営哲学を「仕事基準」にすれば、急速な業績改善が可能です。

働く人々の精神活動を支配するDNAが変わり、表情、言葉、会議が変わり、チームワークと挑戦する意欲が生まれ、経営者を含め組織全体の知恵と労働から大きな相乗効果が生まれるからです。

日本でも開発途上国でも共産圏諸国でも同じだったのです。
これは、極めて有用なノウハウです。

その意義を皆様と共有したいと思います。

PS: 組織再生、政治経済の健全化のため「勝抜き熟議選挙」の提案をしています。

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渡辺 穣二 略歴  

・英国・オランダ・米国に留学(語学・技術研修・MBA)
・外資系石油会社で技術・経済評価などに従事。
・(社)海外コンサルティング企業協会 局長補佐。米国に留学しMBA取得。
・ボストン・コンサルティング・グループ創始者、ジェームス・C・アベグレン氏と主に外資系企業へのコンサルティングに従事。その後、独立。
・現在、株式会社 アクロス・コンサルタンツ 代表取締役、また、ヒューマンキャピタルソリューション研究所 パートナーなどとして、「仕事基準」に基づくコンサルティングに従事している。

大阪大学工学部、バージニア大学ダーデン経営大学院卒業

【業務経験】

・人材育成、事業再生、事業継承、国際ビジネス
・公的セクター案件:行政改革、インフラ(地下鉄、道路等)、PFIなど
・組織の国際化、組織・社員の動機付け、付加価値報酬制の導入

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政府は、国の債務を問題視しているように見える。

 

多分、財源がないと言って、少しづつ、高齢者の年金額、生活保護世帯などへの予算額を下げるのだと思う。

 

財源がないというのは、国民には、理解し易い理由なので、皆が黙っているようだが、実のところ、これは、必要な予算を減らす理由にはならないどころか、物価を下げる方向なので、「政策矛盾」である。

 

(社会的弱者は、収入が少ないので、収入を補助金で増やしてやると確実に消費して物価を上げる力になる。しかし、弱者の収入を減らすと、不安が増え、消費を絞り、ますます、物価は下がる力になる。)

 

例えば、健康保険の財源問題について、議論してみよう。

 

働く人たちの人口が減少するので、政府に収められる健康保険の財源は、減っていく。

 

私が考える対策は、政府が赤字国債を発行して、財源確保し、医療にかかるサービスを減らさないこと。

 

医療費は、国(厚生労働省)が定めた点数制で、国が定めた医療である限り、インフレの心配はない。

 

(医療機関・医療関係者へのサービス需要は、増えるので、自然に供給側も増えていく。かつて、歯医者不足の時代があったが、今では、全国的に供給過剰でサービスの質は向上している。これは、高い需要を見て歯医者が増加したためである。)

 

赤字国債(国の借用証書)は、ノーベル経済学賞を取得したスティグリッツ教授が言うように「相殺(無効化)」。

 

つまり、円貨(中央銀行である日銀の借用証書)と交換すれば、問題ではない。

 

メディアは、知ったかぶりで「デフォルトする!」と脅すが、

デフォルトとは、国債価格の暴落と超インフレである。

 

しかし、日本の財務省や日銀(金融当局)が、民間銀行などを通して、円貨(円の硬貨は、財務省の発行)で国債を買い支えれば、国債価格の暴落は起こらない。

 

この場合のリスクは、国際的に他の通貨に対して円の価値が下がることであるが、円安方向は、国内産品の価格競争力が増加するので、民間セクターは、もちろん、政府財政当局も望むことである。

 

アベノミクスでは、異次元の日銀バズーカ(経済学教科書では禁じ手だった、中央銀行である日銀が、国債を大量購入)と言って得意になっているが、何年続けても、物価は上がらない。

 

これは、各銀行が有する国債を日銀が買っても、日銀内の各銀行預金が増えるだけで、一般企業にも個人にも何の影響もないためである。(天井の上の取引があっても、物価を決める市場に影響を与えない。)

 

正しい政策は、日銀バズーカではないのだ。

 

法整備を行い国債を早期に償還(相殺)できるようにして、教育や医療、社会的弱者(介護施設・高齢者・貧困家庭など)が必要とする予算を十分流し続けることである。

 

こうすると、日本の国債(借金額)は、減少し、日本経済に対する国民の認識は、明るくなる。

 

経済が活性化して、税収は増加し、国のプライマリーバランスも改善する方向である。

 

元来、通貨とは、経済の中で大小無数にある歯車の潤滑油である。

 

政府や中央銀行を中心に、流れ続けておれば、それで良い。

 

かつてモンゴル帝国が、紙幣の流通を開始した時、偽造する者や紙幣を受け取らない者には死刑とした。

 

今、そんな死刑制度はない。しかし、誰が紙幣の価値(例えば、1万円札を本当に1万円で取引できるかどうか)を気にするだろうか。

 

数十年前まで、各国の中央銀行は、通貨の価値を維持するために、金を保有していたのである。

 

今、どこにも金本位制をとる国はない。誰も金保有量を気にしなくなったのである。

 

衣食住とサービスが十分に供給されている日本のような先進国で、政府がすべきことは、必要なところに財源を確保し、資金を流し続けることだけである。

 

逆にプライマリーバランスを気にするところから、思考を開始すると、本当に日本の経済が衰退していくだろう。

 

幕府に財源がないからと言って、時の将軍が、武士・町人・百姓皆に、質素倹約を強いてはいけないのである。

 


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国の経済運営で課題とすべきことは、

 

第一に国民に必要な衣食住(もの)とサービス(医療、教育、金融、運輸など)が十分提供されているかどうかである。

 

政府は、物価上昇が2%程度あると、企業経営がしやすいと言うことで、異例の金融緩和を何年も続けているが、物価は、びくともしない。

 

これは、国民による経済活動が盛んで、必要な衣食住とサービスが、十分というより、過剰に提供されているためである。(衣料品は、箪笥に溢れるほどあり、食料は、賞味期限だなどと言って、色々あってもその3割を廃棄し、住居は、日本のどの地域でも、1-3割が空き家である。

 

国内だけにいるとなかなか分からないことであるが、日本人は、実に勤勉であって、世間のために働くことを厭わない、働くことを喜びとすること、トップクラスにあると断言できるのではないだろうか。

 

政府閣僚は、日銀の力を得て、何とか物価を上昇させようと、猛烈な金融緩和をしているが、

 

市場への衣食住とサービスを提供する側の国民が勤勉すぎて効果がでない。

 

財政政策でも予算増加して、需要喚起しようとしてきているのであるが、それに対応する側の経済界(企業と国民)の効率(心がけと性質)が良いため、物価が上がらないのである。

 

(このことは、誰でも納得できるだろう。

 

なにしろ、日本では、経済活動で市場での実務;つまり、下に行くほど、世界標準からはるかに上のレベルにあるからだ。

 

しかし、上に行くと、例えば、政治家の平均レベルは、世界標準から低くなる。)

 

現状を観察するに;全体のループは、


景気刺激のため、財政政策で予算増 ⇒

(プライマリーバランスは取れない)  

 

  政府借金が増加 ⇒ 

 

    市場での仕事の需要も増加 ⇒ 

 

      しかし、

      国民経済による供給側

      (仕事の総能力)が即座に対応 ⇒ 

 

        物価は、安定 ⇒ 最初に戻る。

以上から、ご理解いただけることは、政府借金の増加は、国民の優秀性と勤勉性がもたらしたものだと言うことだ。

インフレ2%を実現するための一つの最も簡単な対策は、国民が怠けて、スーパーに食品や衣料や・・と置かないことである。

 

すると、

もの不足になり、物価が上がる。(⇔ 国民が怠けることを奨励する政治は、正しいか? との疑問が出てくるが・・。)

小泉政権では、自由化と自己責任論をぶち上げた。

 

その時、タクシーの自由化を進めた。

すると、失業している人たちが運転手になって、タクシーが増えた。

 

タクシー料金を上げられない。そして、タクシーの運転手達の収入が増えない。

 

駅前で多数のタクシーがしているのは、待つことばかり。

政策を考えるときに、国民受けする言葉を羅列する政治は、危ない。(⇔竹中平蔵氏は、経済の実態を知らないのだ)

しかし、これが、メディアに依存した現代政治の限界だろう。

タクシーの数も、ヨーロッパ諸国と同様に、きちんと許可制にしてコントロールすることが、サービスの質を高め、運転手の生活も守るのである。


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時々、テレビなどで

 

「国の借金が大きく、何とかしないと返済できなくなる。その金額は、870万円/国民一人にもなる。」との報道がある。

 

本当に視聴者を不安にさせる報道である。

 

しかし、よく考えて欲しい。

 

これは、国の借金であって、

 

「国に対する国民(経済)は、これだけの資産を持っている。

日本経済は、こんなに金持ちなのだ。」ということだ。

 

また、国は、通貨発行の機能があるので、その気になれば、いくらでも借金を消すことができる。

 

そして、多くの食料やエネルギーなどの原料を海外から、輸入しているとは言え、物とサービスの供給能力が、大幅に余っている日本経済においては、通貨を増加しても、インフレは、起こり得ないのである。

 

日本の国の借金を消すことについて、米のノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・E・スティグリッツ・米コロンビア大学教授は、「相殺(無効化)できる」と発言しているが、このことである。

 

つまり、財務省が半分以上の株を保有する銀行;日本銀行が保有する国債は、通貨に交換できるのである。

 

彼の発言が、メディアで取り上げられていないのは、消費税を上げる方向に、世論を導こうとする財務省の意向のためであろうか。

 

こういうと、財務省とスティグリッツは、対立しているようだが、

 

財務省の仕事の目的がプライマリーバランスを維持するという項目があるため、彼らは、消費税を上げて、バランスを維持したいのである。

 

(かつては、そうすることに意味があったが、現在は、不要な仕事だ。)

 

消費税を上げても、1%毎に税収増は、年2兆円くらいか。

 

仮に、今より、3%あげて、年間6兆円の税収増になる。

 

そこで、計算して欲しい。

 

消さなければ、ならない財務省の借金が、600兆円あるとして、何年かかるのだろう。 600兆円 ÷ 6兆円 = 100年 である。

 

計算すれば、わかるだろうが、

 

そもそも、消費税増で、国の借金を返済しようと考えるなら、間違っている。

 

そんな馬鹿なことは、しなくともよい。

 

なぜなら、日本経済は、企業に当てはめるなら、「上場経済」なのだ。

 

「上場経済」においては、上場企業と同じく、借金などしなくとも、自社株や債権を売るだけで、自社の資金(自己資金)に取り入れることができる。

 

いや、現在のデジタルな株式市場においては、それらの印刷さえ、不要である。


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1980年代、私は、コンサルタントとしてアフリカへの国際協力に、関与し始めた。ザンビアに行って、最初に驚いたことは、通貨がそれほど使われずに、物々交換が頻繁に行われていたことだった。

 

地方のサバンナを車で行き、小さな村にある店に入ると、とにかく、売っているものの種類と数が、少ない。

 

「ああ、経済が発展していないとは、こういうことなのだ。」とその時、初めて理解したのである。

 

本来、通貨は、人々の暮らしに必要な商品やサービスの交換をスムーズにするためのものだ。

その意味では、現在の我々は、その通貨を使うことで、便利な物やサービスの交換・流通を行い、便利な社会に住めるようになったのである。

 

ところが、それを蓄積する人類が現れたのは、予定外のことであろう。

 

蓄積量が、気候リスクから、冬季だけの短期間の生活費程度ならまだしも、子供の世代に相続できるよう、年収の何倍も蓄積するものが多くなってきて、互いに蓄積量を比較する者まで出始めた。

 

(経済の末端市場でこんなに通貨の蓄積があると、従来の経済学なら、ハイパーインフレが起こってもよさそうなものだが、少しもインフレにならない。逆に言えば、過剰に造幣し通貨を供給しても、現代の日本社会の様に物・サービスが十分供給されている限り、インフレへの悪影響は、ないのである。)

 

一方、近い将来、AI技術の発展によって、多数の労働者が、仕事を失うと言われている。

 

その場合、若年層を含めた失業対策としては、中央政府からの補助金が必要になる。と言うのは、仕事したくとも、仕事が十分にないのだから、失業している人たちが、悪いわけではないのである。

 

つまり、市場での物・サービスの製造方法が簡便化され、人手がなくとも、例えば、食料品は、衛生的な食料生産工場で、細胞分裂技術などを使い、人手をそれほどかけなくとも自動的に製造され、市場に十分供給されるようになる。

 

そうなると、通貨や国債の供給量、その制限値を議論しても、意味がない。そして、大切なことは、経済の下部構造(貧困層や高齢者層)が痛まないことなのだ。

 

通貨は、人々に必要な量、つまり、必要な物資が購入できるだけ、提供されるべきである。国債も通貨も両方が債務なのだから、残高など気にせず、人々や企業が、使うだけ供給されるべきだ。

 

そして、使われない通貨は、各々の法人や人々の預金通帳に残る。

 

それでどうなるかって? 

 

市場で必要な商品とサービスが、十分に提供されている限り、人々を困らせるインフレは、起こらない。

 

日本銀行の金融緩和政策は

 

1.「末端市場において物・サービスの供給が十分であることが理解されていない」 

 

その上に、

 

2.「経済全体を単純に一つの大きな袋と考える古典的なマクロ経済の見方」

 

から来る誤解に基づいているのではないかと思われる。

 

実際、日本経済は、上部から下部まで多段層あり、これまで何年も続く金融緩和政策は、大手の上場企業や銀行を初め、上位層だけ(に通貨が供給されただけ)のことだから、インフレ目標の2%が達成できないのである。

 

2%のインフレ目標達成のためには、経済の下部構造の貧困層への補助金を減額しないことが、最低限の条件である。

 

特に年金だけで生活をしている高齢者層への年金額を減らしては、いけない。減らすと、人々は、国の財政状況が、良くないことを身をもって感じるので、消費を減らすからである。そして、減った消費は、経済を委縮させ、国の税収を減らす。

 

この悪循環は、日本経済全体にとり、致命的な問題を引き起こしかねないのだ。

 

特に子供を育てていても、貧困な人々には、補助金は、十分に確実に支払われるべきである。


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私のこの考えは、新しい通貨:Local Currency(地域通貨)の流通をある米国大学の家族寮で行った実験経済の話から発想されている。

 

この家族寮で各家族に少額(5万円?程度)の地域通貨を提供したが、互いのサービス交換は、起こらなかった。

 

そこで、通貨量を激増して100万円(学生家族から見て、十分多額の感覚)を配布したら、とたんに、ベビーシッターとか、どんどんと通貨が活用され始めた。

 

つまり、通貨供給の増加だけで、経済活性が起こったのである。

 

(物価上昇2%を目標としていても、期待通りの刺激になっていないが、近年の日本の金融緩和政策もその線に沿ったもの。)

 

学生寮でのこの地域通貨は、もちろん、金本位制ではない 真に人工的なものだが、

 

私の発想は、正式通貨:円も、この程度に考えてはどうかということだ。

 

つまり、国債の残高(GDP比率)など考えないでよい。

 

むしろ、国債は、貨幣で売買できるのだから、通貨と交換して、そのまま償還(繰上げ)する。

 

例えば、日銀が買い入れた国債に応じて、日銀券(円通貨)を日銀が発行して、繰上償還してしまう。

 

(そして国債を消す。 日銀は、発行した日銀券を日銀の資産として地下倉庫に保管しておけば良い。こうすると、現状、10年国債は10年間どこかにあり、「その金額が国家の借金」だと叫ぶメディアがいなくなることが、メリットだ。)

 

ある価格の通貨と交換できるということは、その流通価格の債権だから、国債を1万円づつに分割して、財務省発行券(普通の紙幣:日銀券でなく)と印刷して、他は、完全に日銀券(1万円札)と同じデザインにしても良い。(同様の議論をして、「政府貨幣」と呼ぶ人々もいる。)

 

つまり、借金(国債)=資産(貨幣)になる。


驚かれるかも知れないが、複式簿記において左右は、同じ金額が入る。

 

つまり、国債 とか 新たな日銀券は、資産(左側)=借金(右側)、つまり、政府や日銀にとっては、借金(手形)であり、受け取った我々国民や金融機関にとっては、資産であることは、基本中の基本である。

 

そう考えると、国家の金融システムの将来への心配が、雲散霧消する。

 

もちろん、財政規律の歪みが起こる可能性(財務省券を限りなく印刷とか)はあるが、これは、日本経済を、きちんと貨幣が出回り物価を決めている市場とその上の日銀、銀行預金などの物価を決める国民の日常生活とは、無関係の市場とで明確に分けて考えれば、良い。

 

現在、国債を日銀が、一般銀行を通じて購入する方法で、長年、莫大な緩和政策を続けているが、これこそが、市場経済を本当には、理解できていない証左なのではないかと思う。

 

実際、物価上昇は、期待したほどは、起こってはいない。5年続けて、効果が出ないということは、考え方が間違っているのではなかろうか。

 

ここで、最も大切なこと。

 

それは、国家債務の心配をしなくなると、人々の消費行動が盛んになり、景気が改善し、若い世代に明るい未来が見えてくることである。

 

元々、人間世界には、貨幣などなかったのである。

 

人々が食料品その他、必要な衣食住、他の製品サービスをを生産し、それらを人々が消費する。

 

人々と生産機械類が、勤勉に働き、商品とサービスの供給量が下がらない限り、人々が心配なく幸福であることは、当然ではないだろうか。

 

結論を言えば、商品・サービスが供給されている限り、国の債務は、心配ないということである。

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