現状の世界の選挙制度の問題をまとめてみる。

「世界中で選挙が問題 1」(PDCAがない制度)

政治家に不祥事があったとしても、誰がその政治家に投票したのかが問われない。改善のためのPDCA(Plan-Do-Check-Act)が回らない。

ボトム・アップ選挙なら、選んだ人たちは、問題を起こした政治家に「いやー。貴方が良いと思ったのだが・・。」と直接文句も言え、反省できる。

また、その選んだ人たちが、周囲から批判を受け、カイゼンの動機となる。小さな気持ちの差ではあるが、制度全体で長期には、大きな改善を生んで行く。




「世界中で選挙が問題 2」(未来の有権者がいない制度)

有権者に、未来の有権者は、含まれない。立候補者は、短期思考となり、明日の当選のため人気を得るための主張をする。

理想を実現しようと考える立候補者も生活しなければならないからだ。そのためには、当選の必要があり、種々の妥協をする

しかし、「小さな会議」のボトム・アップ選挙では、「それでは、ダメだ。」と誰かが言えば、参加者全員で長期的な視点からの思考が始まり、提言政策もまるで違ってくる。立候補者にとっては、一般の有権者との直接対話が、健全な政策を生む。

(現状でも立候補者は、有権者と対話しているというだろう。しかし、立候補者のまわりに集まるは、限られた有権者である。0.1%程度ではないか。)


「世界中で選挙が問題 3」(選挙の物差しが、不適切)

学校は、試験で学生を選ぶ。入学選抜で使う「物差し(試験)」と、その後の「活動(学習)」が 
同じ要素(学力)である。

しかし、選挙では、有権者の多くが、立候補者への親密度(握手など)や知名度(メディア情報)で選ぶ。使用される「物差し」と、政治家としての活動が無関係である。

ある候補者は、教育だけを語り、他は、経済産業だけを語る。
リンゴとオレンジを比べ、どちらが優れているかを決めることはできない。

選挙は、最後には、空疎な言葉の挨拶競争となる。

経済がグローバル化し、産業も技術も高度に発展した現代社会は、チラシ一枚で政策・戦略が語れるほど、単純ではない。

地方の市庁舎一つを建設するにも、選択肢は、建てずに賃借、既存建物の改造、防災・耐震性能、保育所の有無、コミュニティセンター、デザインなど、様々の機能設計まで入れると、数十の選択肢がある。

しかし、選挙では、市庁舎を作るか、どうかだけが争点となる。

課題を単純化しないと選挙にならないからだ。

外交はどうだろう。
子供の碁・将棋でも、2,3手先は、考えるだろう。外交なら、5手、6手先まで読まなければ、危なっかしくて仕方がない。しかし、選挙では、外交も単純に一手先を争点にして、妥協か対立かの2つの選択肢しかない。


かつては、「英米、何するものぞ!」であり、近年では、近隣諸国への攻撃的な姿勢である。

 

勇ましい言葉は、分かりやすい。しかし、そこから得られる将来は、選挙で議論できない。

経済開発、外交、学術研究などの専門家から見ると、「リーダーとして全く相応しくない人材」が、次から次に立候補する。

 

彼らに知恵がないのではない。経験からその分野が欠落しているのである。

 

選挙への立候補と選挙活動は、簡単である。根本的な矛盾を感じている優れた実務家達は、政治家が主催する議論にさえ参加しない。実務経験があればあるほど、政治家による議論の空疎さに辟易するからだ。

一方、「小さな会議」によるボトム・アップ選挙では、最もよく政策を研究している人材が最も話す。

「大きな会議」だけでの選挙は、視聴率を求め、議論の内容を下げて、面白くすることが中心となるが、「小さな会議」においては、参加者の間で、質問ができ、学べるのである。


「小さな会議」は、政治家としての演習となり、それを見る参加者は、優れた人材を推挙するだろう。


「世界中で選挙が問題 4」(有権者間で熟議がない制度)

日本では、TVやチラシを見て、有権者の一部だけ(日本では、0.1-0.2%)が、演説会(「大きな会議」)に出て投票する。

それも全く質問がなく、納得もない「大きな会議」だけである。

有権者同志の接触(熟議)がないため、
個人や有権者間で解決できる問題までもが政治に投げられる。

 



基本的に、有権者は意見を言えないため、不満が残る。「小さな会議」によるボトム・アップ選挙は、会議に出て、質問をして議論して、目の前の人から選ぶ。

噂やメディア情報でなく、議論の場を共有し、
議論に参加している。立候補者は、参加者からの要求にも、「有権者同士で解決すべき」とか、課題解決方法を具体的な行動計画として意見交換できる。

例えば、施設建設なら、設計段階から住民が参加し、「あんなものは、いらなかった。」はなくなる。(現状は、施設建設計画があると、業者の関係住民が、積極的に議論に参加し、一般住民の声はかき消される。)


「世界中で選挙が問題 5」(必要な資金や被選挙権の格差)

立候補には、長い準備期間と経済的な基盤が必要である。米大統領選では、数十億円を使い、開発途上国や旧ソ連では、物資や生活必需品の流通を止め、価格上昇で資金を作り、選挙戦を戦う。

日本では、顔を売るために有為な人材が、何年も選挙浪人する。
そのため、「一票の格差」よりも、事実上の「被選挙権の格差」のため、立候補倍率がやたらに低い。有能な人材が埋もれている。

政治制度は、かつて限られた家族が権力を世襲し、人民を支配する構造から、現在の選挙制度に変遷している。しかし、現行の選挙でも、資金と時間の必要性から、限られた人々だけが、立候補している。

「小さな会議」によるボトム・アップ選挙は、立候補に特別な資金も時間もかからず、立候補倍率が、一桁か二桁あがり、世襲議員でない有能な人物を政治家にすることができる。

ボトムアップ選挙においては、各首長選挙に1000人づつが、立候補していても、全く問題がない。無名でも有能な人物が、社会や国のリーダーとして発掘できるだろう。

単に政治を家業としていたため、若い頃から何となく、政治家になっている人物からみれば、立候補者倍率が、1000倍となる方法などは、考えたくもないだろう。

しかし、有権者にとっては、国のリーダーとしての候補が多いほど、望ましい。


「世界中で選挙が問題 6」(売らんかなメディアの影響が絶大)

イスラム教では、偶像崇拝は禁止されている。しかし、フランスの「シャルリー・エブド」は、イスラム教の風刺画を掲載して、従来の100倍以上の部数を達成した。

メディアには、世界の紛争や不幸を、利益に変える側面があり、

より刺激的な場面や表現を求める。メディアの影響のため、有権者には、世界の本来あるべき真の姿が見えない。

政治家として有能な人物でも、メディアにかかれば、政治家生命を偽情報でつぶされることさえある。売上と部数を目的とするメディアは、ゴシップ合戦、センセーショナルな情報合戦をして、世界を不安定化する。

しかし、「小さな会議」によるボトム・アップ選挙は、メディアの不健全な影響を最小化する。


「世界中で選挙が問題 7」(人間と地域社会を堕落させる選挙)

立候補者は、「人気(知名度)」を求め、有権者受けする「甘言」を発する。現状の社会教育や公的教育がどれほど健全であろうとも、

人気を求める立候補者の発する言葉や政策は、人間や地域社会を堕落させる方向に働く。
政治家と有権者(企業)間での互恵取引(過剰な公共投資や不適切な補助金など)が、国の財政を歪める。

甘言に慣らされた国家・地域の組織は、弛緩し競争力を失う。しかし、健全な精神の「小さな会議」によるボトム・アップ選挙では、立候補者による裏取引(癒着)が最小化され、自律・自尊の健全な力が働く。


「世界中で選挙が問題 8」(有権者や地方からのボトムアップがない。)

政府は、福島原発事故後、多額の復興予算をつけた。しかし、現場からは、「使いにくく無駄が多い」と苦言が出た。

末端有権者から意見を吸い上げるボトムアップのない政治制度・選挙制度と売上目的のメディアの影響とで、世界中で政治経済が混乱していく。選挙制度の改革が、テロへの抜本的対策となるだろう。

ボトム・アップ選挙では、政治家が、選ばれるまでに多くの「小さな会議」が開催され、各段階で立候補者は、有権者から要望を付託される。

それら要望は、「小さな会議」で熟議され、精選される。

偏った意見も含め、日ごろ仕事で忙しい有権者が、政治的・行政上の発言をして、意見に参加者皆が耳を傾け、妥当性が議論される。

選挙のたびに「小さな会議」で繰り返される熟議が、人類史上、これまでにない新しい文化を創造するだろう。


「世界中で選挙が問題 9」(票数の集計が、困難。)

2000年、米大統領ブッシュ(息子)の選挙では、フロリダ州で接戦となった。そして、票を数えなおしたら、えらい僅差だ。

結果はブッシュ勝利だったが、数える毎に数字が違うのはどうしてか?  
実際、どの国の選挙でも全得票数を確認できる人は、どこにもいない。

先進国は、最新機器で発展途上国の選挙を公正にすると言うが、

その前の集会で賄賂が飛び交っている。日本の各投票所で、投票者人数と得票数の合計が合わないことは、珍しいことではない。

 

数百人の手を使う開票では、時々間違いが出る。担当職員に悪意があれば、票の廃棄、隠ぺい、持ち込みなどは難しいことではない。

「小さな会議」によるボトム・アップ選挙では、各「小さな会議」であるため、多くとも20~30票しかない。
有権者の目の前で議論の末、毎回、3人~数人が選ばれ、間違えようがない。


「世界中で選挙が問題 10」(自己PRに忙しく、政治ができない政治家)

自己宣伝に忙しくて本来の仕事をしない政治家が多い。議会で他の議員を追及する一方、「辞職は本人の判断ですから」などと言う。

選挙では、社会がどうあるべきかより、有権者の意向に乗るべく、波を探す。リーダーたるべき政治家が、有権者の意向を探り「風見どり」性の発揮で、国家の方向が定まらない。

批判力の高い優秀な人材は、癒着を嫌い、政治家に近づかない。
そこで「小さな会議」(選挙制度)が、深い政策対話・議論の機会を提供する。


「勝抜き熟議選挙(ボトム・アップ選挙)」では、各政治家の同じグループ(20~30人づつの)に関与した有権者(全100-300人)の4分3のリコールで政治家は、辞職させられる。

いつでも問題の度に政治家の進退を決められる有権者は、本当の民主主義を取り戻すだろう。

以上、

私が感じてきた現状の世界における標準的な選挙制度(=トップ・ダウン型選挙:欧米型選挙;非熟議の投票選挙)の矛盾点を議論してみたが、


私が提案するボトム・アップ選挙(勝抜き熟議選挙=トーナメント型勝抜き熟議選挙)では、以上の全項目の解決ができる。

全国の学校で、生徒会役員を決めるにも新しい選挙制度として、試行をお願いする。

それは、
公正さを求められるスポーツで良く使われている「トーナメント型の選抜」をベースとした

「勝抜き熟議選挙」の試行である。