様々な考えを持つ人々が参加する会議で、皆が納得できる形で議論を進めるのは、簡単なことではない。

欧米先進諸国では、日本以上に交渉やファシリテーション技能を教育訓練しているが、日本でも若い頃からの教育訓練が必要である。

それは、「誰が悪いとの結論にしない。」(「仕事基準」の哲学) で様々な意見の人々と対話を繰り返す訓練である。

未来を拓く新しいリーダーの育成のため、学校教育において「勝抜き熟議選挙」の実施を提案する。


---- ケース:学校で生徒会役員を選ぶ。

20名づつのグループを作る。(各クラス40名として、20名ずつの2グループとする。)

(注:DTE(Deliberative Tournament Election)の基本型は、代表者を選ぶに至る効率と情報交換による効果を配慮して、最大30名である。しかし、各グループを何人にするか、各グループから何名選ぶかは、諸条件によって決めれば良い。しかし、選ばれる人数は、各グループ2~3名とすると、効率が良い。ただ、教育効果を目的とする場合は、スポーツのトーナメントのように、各グループを小さくし、選ぶ割合を増加し (e.g. 各グループを5名、うち1名をFacilitatorにして議論から2名を選ぶとか)、議論に参加できる頻度を増加する方式も考えられる。)

各グループにファシリテーター(20名以外の司会役)を正副2名決める。 

前もって用意した行動・発言上の「倫理規定」を皆で読み上げ、各員が著名をする。

⇒ 倫理規定(例); 
     
「ケンゼン」な学校や雰囲気の希求。
 暴言・暴力・投げやりの禁止。
 個人・大声の禁止・人間性の尊重など。

 また、大切なこととして、

 優れたリーダーを選ぶことができたら、
 組織・グループ全体が、少ない努力で
 より大きな果実を得ることができるという認識を
 共有すること。

(逆に、政治家によくある自己顕示欲ばかりが
 強い人材は、ここでは、エゴを殺すことを学ぶ。
      
 どの学校でも、先生は、各生徒が勉強面で優秀に
 なることを教えている。

 しかし、ここでは、自分を含めたグループの
中、
 できるだけ優れた人を探し出し、そのような人に
 リーダーシップを譲る美徳と賢明さを学ばせる。

 学校の生徒会にしても、自治会にしても、地域の
 村祭り委員会にしても、優れたリーダーは、きちん  
 と責任ある仕事をすると同時に、日頃から将来に
 思いを致し、次世代リーダーを育てることができ
る。

 逆に愚かなリーダーは、社会や人々のための
 良い仕事をすることなく、いつまでも居座り、

 コミュニティに迷惑をかけ、その自覚もない。)

熟議のアジェンダは、
1.学校の現状と課題

  (カイゼン & ケンゼンの概念の説明含む。

  参加者による課題の追加を認める。)
2.学校の理想的な状況やイメージ
3.取り除くべき障害や努力項目
4.障害を越えるための実行計画
5.計画実施のためのリーダーの理想のイメージ

   
  そして、  

6.最終選挙人候補と生徒会役員候補によるスピーチ

7.理想的には、翌日投票による投票選出(数の10%
8.全員が、選ばれた人に要望を託し、内容の再確認。


また、各グループ20名であるが、ワールド・カフェ方式で、
5名づつの小グループとして、議論すると、さらに効果が高い。

 

(ワールド・カフェ方式では、議論の中、一度、各小グループのメンバーを入れ替え、さらに戻し、相乗効果を得る。)

次の第二段階では、選ばれた人同士で、第一段階で得られた結果をもって、
第一段階と同じアジェンダと手法で熟議を行う。

毎回10%を選ぶ方式とすると、生徒数600人の学校でも第一段階で60人、次の第二段階で6名を選ぶこととなる。それと同時に、選ばれた人材は、必ず、それまでの議論の内容と結論を維持する。

 

(選ばれる人数割合は、グループによって構成員が異なり、人材が豊富と判断されれば、多くしてもよい。ただし、上限は、20名中の最大5名と決めておく。)

各グループを20名とすると、33回の会議で6名の役員を選べる。(60名を選んだ次は、60名の合同会議でも良い。その場合は、全31回の会議で6名を選出することとなる。)


選ばれた6名は、真剣な熟議を通して、選ばれた100分の1の人材であり、単なるイメージや人気ではなく、熟議の末に選ばれた者となる。

(誰でも選ばれ1%に残ったら、一生の誇り、真剣な長い議論の末であり、名誉である。
もちろん、就職の際にも履歴書に残したい一行となる。)

選ばれた人たちは、各グループの熟議に参加した全校生徒に直接・間接につながっている。

また、誰でも、いつでも、その関係を通して生徒会役員に意見を具申できる。

 
(つまり、ボトム・アップが可能。あらゆる意見は、熟議選挙時の関係を通して、上に届けることができる。


カイゼン提案制度のある企業でなら、下からの提案事項が、有効に生かされることと同じである。


一方、現在の政治においては、有権者の知恵が生かされず、

政治・行政制度そのものが、硬直的で非効率である。)

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子供の頃、日本で育ち、親日派でありながら、大人になって欧州を中心に多くのグローバル企業に、コミュニケーション分野でコンサルティングをしてきた英国人の知人(女性)は、

「日本人って、本当に残念な人たちなのよね。」

「日系企業が成功し、欧米諸国の企業を買収し、愈々、真のグローバル化という時になると、

グループのトップに欧米人を置かなければならないから」と言う。


日本の社会は、均質性が高いため、グローバルに活躍できる人材を育成するには、特別な教育訓練が必要である。

国際ビジネス分野のコンサルタントに言わせれば、日本人は、議論に際し、精神的にタフネスが不足というだろう。(Lack of Tough-Mindedness)

この問題の解決には、


【自らが考え、ビジョンを確立し、
 仲間や他の関係する人たちと議論し、
  行動により自らの将来、組織の未来を決める
   心の習慣を育てる教育】

 

   が必要である。

議論では参加者全員が、

・意見に相違がある場合、その相違の原因は、

前提条件としての

「知識」+「経験(慣習)」、結論までの「論理」の3側面 

 

または、

『(課題の定義(詳細項目)」と「前提条件(環境など)」を含めるなら、5側面』


における違いから出ていることを理解し、

・どの側面でどう相違が生じているかを「互いに確認」する必要がある。

そこまで できて初めて、参加者間の無関心や嫌悪感を減らし、問題解決のための小さな光がともった状態になる。

(残念ながら、日本人の若い世代でも、阿吽の呼吸が普通の日本語環境で育った人は、

真正面から異なった意見の表出を前にすると、負け犬のように議論から逃げ出す人が、多い。

これでは、国際的には、評価されなくなる。)


また、ファシリテーターが、個々の参加者の気持ちを軽視しないことも大切である。


現代社会は、経済や時間の効率優先で個々人の気持ちが軽視される傾向にあり、中でも

大きな問題は、150年以上もの昔、欧米諸国が開発した民主主義における諸制度が、陳腐化しても、生きていることである。

(そのことに多くの有権者が気付いていない。例えば、国会は、政治家の自己PRのための見世場であり、日本を良くするための議論は、限られる。

また、選挙については、世界中、どこにも投票数の正しさを確認できる有権者はいない。

全投票人数と獲得票数(白票も含め)の合計は、各地域で何百人もが開票にかかわるが、
日本でも、しばしば一致しない。

つまり、現行の選挙方法では、資金力のある専横な者の

思いのままの結果が出る可能性があるのである。)

選挙の際、ある政治課題について、長時間、真剣に考察した有権者も、殆ど考えない有権者も、同じ一票である。

 

真面目な有権者が、意欲を失う不健全な「逆インセンティブ」が働いている。

これは、
【大学入試に 学力検査(ケンゼンな評価制度)のない状態】であり、長期的にその全体の学力を低下させていくのである。

 
⇒ 私が事業再生を経験した旧ソ連地域・モンゴルで、
     
  組織(
共産主義思想に基づく)の根本問題は、
  一生懸命働いた人も、そうでない人も、
  (特別な共産党員などの人材は別としても)
  結果としての報酬が同じであることであった。

  個々の労働者に優しい「共産主義思想」が
  問題なのではない。

  評価報酬制度の不備のため、
  組織や社会全体の意欲が低下し、生産性が落ち、
  国家や地域全体で経済が破綻したのである。
  (各地域に食料さえ、届けられなくなった。)

  共産圏の人々の教育レベルは、比較的に高い。
  経営哲学を日本的・ケンゼンにして、
  評価制度を整えれば、
  どの組織でも生産性の倍増は、容易であった。


一方、発行部数・視聴率を競うメディアは、

最大公約数として思考能力の比較的に低い有権者を対象とするため、

 

ケンゼンな世論の確立を妨げることがある。

(視聴者の支払いで経営されているNHKでも、


高い人気や「高視聴率」を目標にしており、

「この番組は、視聴率を評価指標にしていません。(事実を伝えるだけ)」

とテロップの流れる番組がない。 

そして、高視聴率を目的とするがため、

NHKまでに、でっち上げやヤラセが出てくる。)

 ここでも考えてほしい。
 やらせに対して、「誰々が悪い。」の「人基準」評

 価で終わっていては、ダメなのである。
 そして、視聴率を求める評価軸が、狂っていること

 に気付くべきなのだ。

現在、互いに意見交換しても、理解できないほどに細分化した仕事と産業、多くの有権者が理解できないほど高度化した科学技術、

 そして、便利ではあるが、
 人間関係を希薄化する社会構造を背景として、
 我々は、未来を視野に入れた
「新しい民主主義の制

 度」確立する必要がある。

この提案は、新しい技術やコンセプトを活用して、

世論を特定の方向にもって行こうということではなく、
有権者の中で、広範な経験を持ち、より深く考える人が政治に関しての学習・研究意欲を継続し、

人の集合体としての地方自治体や国、アジアの方向性をよりケンゼンな方向に導くための方法なのである。

(お釈迦様は、各人が本来有する「仏性」に目覚めよと言われたが、私は、人間の集団が本来有する集合体としての「賢明さ(Wisdom)」を引き出す手法を提案しているのである。)


現在の政治家について言えば、政治家の大半は、個々の有権者と公的ネットワークがなく、「現場の知恵」から遠いところにいる。

政治家にとっての最重要な活動は、「考察」でも「政治」でもなく、「選挙活動」となるのは、制度上の問題なのである。

知恵のある現場の人々は、仕事、つまり、経済活動に忙しく、政治に顔を出さない。

多くの政治家は、選挙で選ばれるための活動をしているのであって、日本や世界を良くするために、活動しているわけではない。

結果として、政治家の人々は、一般市民が有する現場の知恵、特に理工系や技術面の知識経験、組織のマネジメントについて、疎くなる。

そのため、政策の検討・実施において、膨大な無駄が生じるのである。

(一例では、高齢者介護は、大きな財政負担と言われている。

 

しかし、公的補助制度を使う介護用品のリスト価格は、一般市場の商品価格の3倍を超えることもある。

 

これは、誰かが大儲けしていることで責めるべき問題ではない。

 

むしろ、政治・行政の仕組みを分析し、解決すべき課題である。)

選挙で立候補者は、難しく重要な課題の議論を避け、有権者からの反発を避けるよう、自己PRしなければならない。

つまり、立候補者は、選挙に勝つため、国や地域をケンゼンにするためのスローガンではなく、深く考えていない多数の有権者に受けが良い用語を考える。


その結果、大予算と多人数をかける選挙というせっかくの機会が、様々の問題解決に、活用されないのである。

開発途上世界の政治家の中には、国内のある部族や外国に対してネガティブな感情(憎悪や過去の紛争)を活用し選挙に勝つものが出る。

その結果、紛争や戦争が繰り返され、さらに、経済発展を10年、20年と遅らせていく。

しかし、もし、「勝抜き熟議選挙」を世界中に拡大できれば、テロでさえ激減できるのである。

現在の選挙制度を維持している限りにおいて、

突然、優れたリーダーが現れ、我々有権者や社会の問題を解決してくれるなどと言うのは、幻想である。

有権者にとって安易な道は、残されていないことを、

今こそ、我々は理解する必要がある。

真の意味で「タフ・マインデドネスTough-Mindedness」を有する未来の人類を育てることで、

 世界に明るい未来は、約束されるのである。

 

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以下、ご参照ください。